ユダの救い(ヨエル書を読む)(4章)
聖書箇所は、4章16節から21節です。
●16節.主はシオンからほえたけり/エルサレムから声をとどろかされる。天も地も震える。しかし、主はその民の避け所/イスラエルの人々の砦である。
●17節.あなたたちは知るようになる。わたしがあなたたちの神なる主であり/わが聖なる山シオンに住む者であることを。エルサレムは聖なる地となり/もはや、異国の民がそこを通ることはない。
●18節.その日が来ると/山々にはぶどう酒が滴り/もろもろの丘には乳が流れ/ユダのすべての谷には水が流れる。泉が主の神殿から湧き出て/シティムの川を潤す。
イスラエルの民、キリストの民は反キリストである諸国の軍隊に対する神の怒りの現われは、主の民にとってはそれが救いです。
●19節.エジプトは荒廃し/エドムは滅びの荒れ野となる。ユダの人々を虐げ/その国で、罪なき者の血を流したからだ。
4章4節と同じことを言っています。
イスラエル周辺の、諸国民の裁きです。
その理由は、4章2節の「わたしの民、わたしの所有であるイスラエルを/彼らは諸国の民の中に散らし/わたしの土地を自分たちの間に分配したからだ。」です。
なお、「エドム」とは、エサウの子孫の総称で、神に敵対する勢力、あるいは、歴史における反ユダヤ主義的勢力を象徴していると言うことです。
他にエドムの滅びの預言は、オバデヤ書では、10節・18節。アモス書1章11節から12節です。
参考に、エドムが永遠に絶やされる理由ですが、それは以下の二つです。
一つは、心の高慢(オバデヤ3節)、もう一つは、同胞の災難を喜んだ(オバデヤ書10~14節)ことです。
●20節.しかし、ユダはとこしえに/エルサレムは代々にわたって/民の住むところとなる。
●21節.わたしは彼らが流した血の復讐をする。必ず復讐せずにはおかない。主はシオンに住まわれる。
ここの特徴は、「ユダはとこしえに/エルサレムは代々にわたって/民の住むところとなる。」と「主はシオンに住まわれる。」でしょう。
千年王国においての、救われたイスラエルの姿でしょう。
主はユダの人々の只中、シオンに住まわれるのです。
ヨエル書4章15節「太陽も月も暗くなり、星もその光を失う。」の表現では、「主の日」がちょうど天地創造の「終わり」を表現しているようです。
しかし、4章16節から18節を読むと、神の発声によって、「新しい神による支配(世界)」がエルサレムを中心にした形で表現されています。
また、新約聖書のヨハネの黙示録も同様に、まさにそのことが聖書全体として意図しているかのように配置されているように見受けられます。
しかし、ここで確認したいことは、諸国民の裁きは、「ユダとエルサレムの繁栄を回復するその日」(1節)であることです。
すなわち、ヨエル書では、「主の日」における諸国民に対する神の裁き(ハルマゲドンか)が、「報復」「復讐」ではなく、「ユダとエルサレムの繁栄の回復」、すなわち「諸外国の罪によって損害を被ったユダとエルサレムに対して、神が加害者に対する刑の執行と損害賠償を行う」という形、あくまでも世界における正義の執行であるということです。
ですが、最初に記しましたように、ヨエル書におけるイスラエルの裁きと「ユダとエルサレムの繁栄の回復」の預言は、ヨハネの黙示録で人類にもたらされる艱難時代と千年王国および新しい天地の創造の預言の中でのイスラエルの出来事とみます。
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