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2022年5月11日 (水)

いなごによる荒廃(ヨエル書を読む)(1節)

聖書箇所は、1章1節から20節です。
●1節.ペトエルの子ヨエルに臨んだ主の言葉。

 

預言者ヨエルはペトエルの子です。どの王の時代かはわかりません。
「ペトエル」という父の名がありますが、ペトエルが誰であるかもわかりません。

 

●2節.老人たちよ、これを聞け。この地に住む者よ、皆耳を傾けよ。あなたたちの時代に、また、先祖の時代にも/このようなことがあっただろうか。
●3節.これをあなたたちの子孫に語り伝えよ。子孫はその子孫に/その子孫は、また後の世代に。
聴衆に対する呼びかけています。

 

「老人」(長老)に呼びかけ、「この地に住む者」に呼びかけ、また後世の子孫にも言い伝えよ、と命じています。
なぜなら、「あなたたちの時代に、また、先祖の時代にも/このようなことがあっただろうか。」と叫びたくなるような事態だからです。
長く生きている長老たちに、昔の話の中にも、これだけの災害はあっただろうかと呼びかけています。

 

とても重要な事柄を忘れることなく、次の世代、その次の世代にも周知徹底させようとする呼びかけているのです。
即ち、昔から起こったことがない、これから後の代々の時代にも再び起こらない事態で、終末に起こる未曾有のさばきを指しているのでしょう。

 

 

そして、3節の伝えるべき「これ」とは、いなごの大軍の来襲に例えられる「一つの民がわたしの国に攻め上って来た。強大で数知れない民」(6節)の来襲です。
それは、アッシリヤ、バビロン、ペルシャ、ギリシャ、ローマ、そして最後は反キリストによる勢力が考えられます。

 

●4節.かみ食らういなごの残したものを/移住するいなごが食らい/移住するいなごの残したものを/若いいなごが食らい/若いいなごの残したものを/食い荒らすいなごが食らった。

 

ここではいなごが行ったことを四種類に分けて記載しています。(四種類のいなごと言う見方もあります。)
いなごの大群が押し寄せる時、四種類のいなごの行いで徹底的に食い荒らされる、すなわち神の裁きの徹底さを強調しているのでしょう。

 

●5節.酔いしれる者よ、目を覚ませ、泣け。酒におぼれる者よ、皆泣き叫べ。泡立つ酒はお前たちの口から断たれた。

 

いなごの災害で被害を受ける最初は、「酔いしれる者」です。
いなごによって、ぶどう園が徹底的に荒らされ、酒(ぶどう酒)が造れなくなるので、酒なしには生きていけない人が泣き叫ぶのです。
主なる神は彼らに、「目を覚ませ、泣け」と命じられているのです。

 

●6節.一つの民がわたしの国に攻め上って来た。強大で数知れない民が。その歯は雄獅子の歯、牙は雌獅子の牙。

 

いなごの大群を、「一つの民がわたしの国に攻め上って来た。強大で数知れない民」に形容しています。
箴言30章27節に、「いなごには王はないが、隊を組んで一斉に出動する。」とあります。

 

そして、いなごの顎の部分がライオンの牙に似ているので、「その歯は雄獅子の歯、牙は雌獅子の牙」と言っています。
そして後に、これが単なる形容ではなく、恐ろしい軍隊が後にやってくることを預言する前触れとなります。

 

●7節.わたしのぶどうの木を荒らし/わたしのいちじくの木を引き裂き/皮を引きはがし、枝を白くして投げ捨てた。

 

いなごの来襲で、イスラエルの地に生えているぶどうの木といちじくの木が荒らされたことを記していますが、これは事実なのでしょうが、これを主の裁きとして預言しているのでしょう。

 

●8節.泣き悲しめ/いいなずけに死なれて/粗布をまとうおとめのように。
●9節.献げ物の穀物とぶどう酒は主の宮から断たれ/主に仕える祭司は嘆く。

 

ぶどうの木といちじくの木を失った悲しみを、「いいなずけに死なれ」た女のように悲しめ、と言われています。
それは、強大で数知れない大軍が雄獅子、雌獅子のようにイスラエルに攻め上って来るからであり(6節)、イスラエルを象徴するぶどうの木、いちじくの木を食い荒らしてしまうからです(7節)。

 

この二種類の木はイスラエルを象徴する木であったのでしょう。
もしかすると、ヨエルの時代、多量に酒を飲み、酔いしれる人々(次節を読むと、祭祀かも知れません)が少なからずいたということかも知れません。

 

この警告は、主に仕えている者が酒に酔い痴れていることに対する警告、大変な国難が襲おうとしているという警告ではないでしょうか。

 

●10節.畑は略奪され、地は嘆く。穀物は略奪され/ぶどうの実は枯れ尽くし/オリーブの木は衰えてしまった。
●11節.農夫は恥じ、ぶどう作りは泣き叫ぶ。小麦と大麦、畑の実りは失われた。
●12節.ぶどうの木は枯れ尽くし、いちじくの木は衰え/ざくろも、なつめやしも、りんごも/野の木はすべて実をつけることなく/人々の楽しみは枯れ尽くした。

 

農夫たちが泣き叫ぶのは、彼らの労苦は空しいものとなったからです。
いなごが畑の作物だけでなく、果樹園の実りも、そして果樹そのものも食い荒らしてしまいました。
神の恵みとしての地の産物がいなごに奪われるということは、そこに主の御手が働いていると考えざるを得ません。

 

●13節.祭司よ、粗布を腰にまとって嘆き悲しめ。祭壇に仕える者よ、泣き叫べ。神に仕える者よ、粗布をまとって夜を明かせ。献げ物の穀物とぶどう酒は、もはや/あなたたちの神の宮にもたらされることはない。

 

●14節.断食を布告し、聖会を召集し/長老をはじめこの国の民をすべて/あなたたちの神、主の神殿に集め/主に向かって嘆きの叫びをあげよ。

 

神は、いなごの大群の襲来により損害を受けている人々のうち、祭司とか神に仕える者の嘆き悲しみに焦点を当てておられます。
なぜ、祭司らかというと、このいなごの災害は、単なる災害ではなく、神の裁きと言う意図をもった災害だからでしょう。
恐ろしい侵略と荒廃を予想させます。

 

だから、まず祭祀たち神に仕える者であり、祭司たちが率先して断食と清めの集会を開かなければいけないと命じられておられるのでしょう。
「主に向かって嘆きの叫びをあげよ。」は、主の日に備えての「悔い改め」をうながす諸命令だと言っているのです。
「主の日」こそ、ヨエル書の主題であり、それは未曾有の神の裁きと、その後に来る終末の回復の希望が同時に現われる日なのです。

 

●15節.ああ、恐るべき日よ/主の日が近づく。全能者による破滅の日が来る。
●16節.わたしたちの目の前から食べ物は断たれ/わたしたちの神の宮からは/喜びも踊ることもなくなったではないか。
●17節.種は乾いた土の下に干からび/穀物は枯れ尽くし/倉は荒れ、穀物倉は破壊された。

 

ヨエルは、イスラエルにもたらされるいなごの災害のことを預言する中で、神の御霊によって「主の日」が近いことを預言し、主の日を「全能者による破壊」の日とします。

 

この「主の日」は、通常、ヨハネの黙示録で預言されている、終わりの日の7年間の艱難を指します。
その日を指し示す新約聖書の三か所を参考に上げておきます。

 

テサロニケ第一5章2節・3節「盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。
人々が「無事だ。安全だ」と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。

 

ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそれから逃れられません。」。
黙示録1章10節「ある主の日のこと、わたしは“霊”に満たされていたが、後ろの方でラッパのように響く大声を聞いた。」
周りで起こっている出来事は、神がご計画として定められたこの期間(7年の艱難期間)に向かっていく一過程なのだ、と言っているのです。

 

●18節.なんという呻きを家畜はすることか。牛の群れがさまよい/羊の群れが苦しむのは/もはや、牧草がどこにもないからだ。
●19節.主よ、わたしはあなたを呼びます。火が荒れ野の草地を焼き尽くし/炎が野の木をなめ尽くしたからです。
●20節.野の獣もあなたを求めます。流れの水は涸れ/火が荒れ野の草地を焼き尽くしたからです。

 

ヨエルは、いなごの大群によって根こそぎ草が食い尽くされた姿を見て、終わりの日に火によって焼き尽くされる地上の幻を見ているのです。
事実、家畜はいなごの被害によって牧草地がなく飢え苦しんでいるのですが、それは将来、火によって焼き尽くされ、荒廃した地を歩いている家畜の姿を投影していたのでしょう。

 

主の裁きの日は7年の艱難期間ですが、なぜこのような主の裁きが行われるのでしょうか。
それは、地上の民を主に立ち返らせるためと言いますが、確かに悲惨な艱難時代であれば苦しい時の神頼みで主に立ち返る人々が多く起こされると思います。

 

それに、神はヨエル書3章でイスラエルの聖霊降臨が預言されていますので、御霊の働きが全世界的に活発になるのでしょう。
しかし、それではそのような機会も与えられないで、それまでにこの地上に産まれて主を知らずに死んでいった人々はどうなるのかと思うのですが、そのようなことも主はよくご存じで心配することではないのかもしれません。

 

主は、すべての人々を罪から救い上げて新しい天地を創造されると思うからです。
ヨエルはイナゴの襲来による農作物の被害に主なる神の裁きのしるしを見たのです。
このヨエルの預言を、当時の人々はどのように受け止めたのでしょうか。

 

被造物のうめきを受けて、祈りの手を挙げたヨエルのその祈りは、聖霊の切なるうめきによって執り成され、どんな苦難の出来事も、主にあって益と変えられるものとわたしは信じます。

 

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