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2022年5月の記事

2022年5月 4日 (水)

ヤコブの罪(ホセア書12章)

聖書の箇所は、12章1節から15節です。
12章は、11章の最後の節からの続きになります。

 

そして、この12章と13章は、神とイスラエルとの関係の歴史を概観し、イスラエルの背教が、父祖ヤコブ以来の特性であったことを明らかにしています。

 

12章では、イスラエルの父ヤコブの罪を原形として、現在のイスラエルの人々の罪が物語られていますが、それは、イスラエルに伝えられる伝承を用いているが、その順序は歴史の順序に従っているわけではないと言うことです。
ですから、ホセアは、祭儀において伝えられた、口頭伝承を用いたと思われます。

 

●1節.エフライムは偽りをもって/イスラエルの家は欺きをもって/わたしを取り巻いた。ユダはいまだに神から離れてさまよい/偶像を聖なるものとして信頼している。

 

「偶像を聖なるものとして信頼している」という言葉は、主に背き、偶像の神へ示す、イスラエルの歪んだ信仰に対する預言者の皮肉と捉えることが出来ます。

 

 

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エフライムの終わり(1)(ホセア書13章-14章)

聖書の箇所は、13章1節から14章10節です。(1)は13章15節までです。
13章からは、エフライム(北エルサレム)の終わりを告げる預言です。

 

12章15節で神はエフライム(北エルサレム)を威嚇され、エフライムの終わりを告知されました。
1-3節は、神々と偶像礼拝について、4-8節は、牧者ヤーウェとその裁きについて、9-11節は、ヤーウェ(イスラエルの神の名)の怒りによって取り戻される王国について語っています。

 

●1節.エフライムが語れば恐れられ/イスラエルの中で重んじられていた。しかし、バアルによって罪を犯したので/彼は死ぬ。

 

エフラエムとイスラエルを同義語で扱っていましたが、エフライムは北イスラエルの中心的な部族の名前です。
北イスラエルがエフライムと呼ばれたのは、一言で言えば、エフライムは、イスラエル12部族の中で、首位を占める指導的部族であったと言うことでしょう。

 

約束の地カナンの侵攻・占領の際には、エフライム部族出身のヨシュアがイスラエルの12の部族を率いました。
またエフライム部族の地シケムに契約の箱が置かれました。

 

そこに人々は集まり、シナイ契約を更新しました。(ヨシュア24:1)。
また、ソロモン王の死後、北イスラエルの10部族をまとめた初代の王ヤロブアム1世は、エフライム族でした。

 

その言葉は、部族連合の中で尊重され、恐れられ、誰もこれに敢えて反抗しようとする者はなかった。
このようにエフライムは常にイスラエルの政治の中で中心的存在であったのです。

 

 

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エフライムの終わり(2)〈ホセア書13章・14章)

聖書の箇所は、13章1節から14章10節です。(2)は14章1節から10節までです。
このホセア書、最後の章は、北イスラエル王国の崩壊後の回復と祝福について語られているのでしょう。
内容は、三つの部分からなります。

 

第一は、2-3節前半で、悔い改めと立ち返りへの勧告。
第二は、3節後半-4節で、民による悔い改めの祈り。
第三は、5-9節で、救いの約束としての神の応答。

 

●1節.サマリアは罰せられる。その神に背いたからだ。住民は剣に倒れ/幼子は打ち殺され/妊婦は引き裂かれる。

 

サマリアは、北イスラエルの首都です。
サマリアが罰せられるのは、「神の背いたかたら」とされます。
自分が躓くのは、やはり自分の不義なのですが、わたしたちはその真実を認めたくなくて、現実を避けようと、逃げよう、あるいは隠れようとします。

 

●2節.イスラエルよ、立ち帰れ/あなたの神、主のもとへ。あなたは咎につまずき、悪の中にいる。
●3節.誓いの言葉を携え/主に立ち帰って言え。「すべての悪を取り去り/恵みをお与えください。この唇をもって誓ったことを果たします。

 

「イスラエルよ、立ち帰れ」で巣から、主が悔い改めを促されているのです。
悔い改めというのは、「主に立ち帰って」「すべての悪を取り去り/・・」を主に誓うことです。

 

「あなたの神、主に立ち返れ」の意味は、単に主のところに立ち返れという意味ではなく、「もっと深く、もっと親しく、主のふところに届くように立ち返る」ことを求めていると言うことだと言うことです。
まさに「悔い改めと立ち返りへの勧告」です。

 

だから「この唇をもって誓ったことを果たします。」と、4節に続く祈りがあるのです。しかし、このような誓いは自らの力で主の立ち返ることが出来ない民にとって何の意味もなさないと思うのですが、ホセアの願望でしょうか。

 

 

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2022年5月11日 (水)

前置き(ヨエル書を読む)

「ヨエル書」は、わずか4章からなる小預言書で、記述預言書です。
未曾有の大災害をもたらすイナゴの大軍の来襲を「主の日」、つまり主がご計画があってなされた出来事として語られています。
この主の日がヨエル書の大きな主題となります。
イスラエルに災難として降りかかる出来事は、神のさばきであり、同時に、神の救い(回復)の恩寵でもあるのです。

 

つぎに、この預言書が書かれた時代ですが、預言者ヨエルのプロフィールについての情報は1章1節の「ペトエルの子ヨエル」のみです。
そして、自分が語る内容は、主から与えられたものであると述べています。

 

時代背景ですが、ヨエルは南王国ユダの預言者であって、時代的にはオバデアに続く預言者です。
オバレヤ書もヨエル書と同じで、主題は「主の日」です。

 

 

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いなごによる荒廃(ヨエル書を読む)(1節)

聖書箇所は、1章1節から20節です。
●1節.ペトエルの子ヨエルに臨んだ主の言葉。

 

預言者ヨエルはペトエルの子です。どの王の時代かはわかりません。
「ペトエル」という父の名がありますが、ペトエルが誰であるかもわかりません。

 

●2節.老人たちよ、これを聞け。この地に住む者よ、皆耳を傾けよ。あなたたちの時代に、また、先祖の時代にも/このようなことがあっただろうか。
●3節.これをあなたたちの子孫に語り伝えよ。子孫はその子孫に/その子孫は、また後の世代に。
聴衆に対する呼びかけています。

 

「老人」(長老)に呼びかけ、「この地に住む者」に呼びかけ、また後世の子孫にも言い伝えよ、と命じています。
なぜなら、「あなたたちの時代に、また、先祖の時代にも/このようなことがあっただろうか。」と叫びたくなるような事態だからです。
長く生きている長老たちに、昔の話の中にも、これだけの災害はあっただろうかと呼びかけています。

 

とても重要な事柄を忘れることなく、次の世代、その次の世代にも周知徹底させようとする呼びかけているのです。
即ち、昔から起こったことがない、これから後の代々の時代にも再び起こらない事態で、終末に起こる未曾有のさばきを指しているのでしょう。

 

 

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主の怒りの日(ヨエル書を読む)(2章)

聖書箇所は、2章1節から11節です。
●1節.シオンで角笛を吹き/わが聖なる山で鬨の声をあげよ。この国に住む者は皆、おののけ。主の日が来る、主の日が近づく。
さて、いよいよ実際の預言が始まります。

 

「シオンで角笛を吹き」とありますが、侵略者との戦いに出る場合にラッパを短く吹き鳴らします。すなわち、「主の日が来る」ことの警告のためです。

 

その日が「闇と暗黒の日」「雲と濃霧の日」となるからです。
なお、ヨエルは、「主の日が来る」と言っていますが、それはヨハネの黙示録で言っている「第一の災い」を指すのでしょう。
「角笛」は、敵の侵入の警報として(エレミヤ書4章5節)、また、戦いに備えるために吹き鳴らされます(士師記3章27節)。

 

●2節.それは闇と暗黒の日、雲と濃霧の日である。強大で数多い民が/山々に広がる曙の光のように襲ってくる。このようなことは、かつて起こったことがなく/これから後も、代々再び起こることはない。
●3節.彼らの行く手を、火が焼き尽くし/彼らの後ろには燃える炎が続く。彼らの来る前、この国はエデンの園のようであった。彼らの去った後には、滅びの荒れ野が残る。何ものもこれを逃れえない。

 

 

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主の慈しみ(ヨエル書を読む)(2章)

聖書箇所は、2章12節から27節です。
●12節.主は言われる。「今こそ、心からわたしに立ち帰れ/断食し、泣き悲しんで。
●13節.衣を裂くのではなく/お前たちの心を引き裂け。」あなたたちの神、主に立ち帰れ。主は恵みに満ち、憐れみ深く/忍耐強く、慈しみに富み/くだした災いを悔いられるからだ。

 

艱難時代の到来と裁きの預言から一転して、悔い改めの呼びかけです。
「主の日は大いなる日で、甚だ恐ろしい。」「断食し、泣き悲しんで。」「今こそ心からわたしに立ち返れ」です。

 

これは、到来が告げ知らされ、裁きに備えるようにと角笛が吹き鳴らされたときに、イスラエルの民がすべきことです。
最初にすべきことは、「今こそ、心からわたしに立ち帰れ」です。

 

「立ち帰る」とは、方向を変えること、神に向かって歩き始めることです。
まっすぐに神の言葉を聴くことです。
「断食し、泣き悲しんで」ですが、「断食し、泣き悲しむ」のは、罪の悔い改めを表明することですから、神に背いた罪を悔いて、神に向かって歩み出せ、神の御言葉に聴き従えと言われているのです。

 

そして、13節の「お前たちの心を引き裂け。」です。
衣を裂くのは、悲しみ、嘆きの表現ですが、神が望んでおられるのは、外側に見える形で表現されることではなく、むしろ、「心を引き裂く」こと、つまり、根本的に心を造り替えることです。

 

 

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神の霊の降臨(ヨエル書を読む)(3章)

聖書箇所は、3章1節から5節です。
●1節.その後/わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し/老人は夢を見、若者は幻を見る。

 

原語では「すべての人」は「異邦人」を意味し、複数形だと言うことです。
ここは、「諸々の民」「万国の民」「遠くの民」とも訳されているそうです。

 

●2節.その日、わたしは/奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ。

 

「すべての人にわが霊を注ぐ」と、主は強調されています。
旧約時代には、選ばれた預言者、祭司、義人、また聖徒にのみ御霊を注がれました。
新約時代では、使徒言行録2章で、彼らが屋上の間で祈っている時に、五旬節の満ちた日に、ご聖霊が火の舌のような形で降りてこられて、彼らがご聖霊に満たされて、外国の言葉で神を賛美しはじめました。

 

そして世界中から来ていたユダヤ人の巡礼者らが、自分の地方の言葉で彼らが神を賛美しているのを見て、驚き怪しみました。
ペトロは、ヨエル書の預言3章1節から5節を引用して読みます。

 

聖霊降臨は、イスラエルに代わり、「すべての人にわが霊」が注がれ、教会時代の始まりを告げ、主の日当来の預言は、7年間の艱難時代の到来を預言するものでしょう。

 

 

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諸国民の裁き(ヨエル書を読む)(4章)

聖書箇所は、4章1節から15節です。
主がエルサレムに戻ってこられた後に行なわれるのは、イスラエルの周辺諸国への裁きです。

 

●1節.見よ、ユダとエルサレムの繁栄を回復するその日、その時。
●2節.わたしは諸国の民を皆集め/ヨシャファト(主の裁き)の谷に連れて行き/そこで、わたしは彼らを裁く。わたしの民、わたしの所有であるイスラエルを/彼らは諸国の民の中に散らし/わたしの土地を自分たちの間に分配したからだ。
●3節.彼らはわたしの民の運命をくじで定め/遊女を買うために少年を売り渡し/酒を買うために少女を売った。
●4節.ティルスとシドンよ、ペリシテの全土よ/お前たちはわたしにとって何であろうか/わたしに復讐しようというのか。もし、お前たちがわたしに復讐するなら/わたしは直ちにお前たちの頭上に復讐を返す。

 

4章は前3章における「主の日」の出来事と同時に起こるエルサレムを中心とした終末的状況を提示しています。
前3章からの続きで、2節では、「わたしは諸国の民を皆集め」としていますから、この諸国の民は、イスラエルに対して大きな罪を犯したイスラエルの周辺国家であるティルスやシドン(今のレバノン)、ペリシテ(今のガザ地区)、エジプト、エドムといった国々で、その諸国の民を集め、イスラエル人とその地に行ったことに対して、裁きが行われるのです。

 

 

 

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ユダの救い(ヨエル書を読む)(4章)

聖書箇所は、4章16節から21節です。
●16節.主はシオンからほえたけり/エルサレムから声をとどろかされる。天も地も震える。しかし、主はその民の避け所/イスラエルの人々の砦である。
●17節.あなたたちは知るようになる。わたしがあなたたちの神なる主であり/わが聖なる山シオンに住む者であることを。エルサレムは聖なる地となり/もはや、異国の民がそこを通ることはない。
●18節.その日が来ると/山々にはぶどう酒が滴り/もろもろの丘には乳が流れ/ユダのすべての谷には水が流れる。泉が主の神殿から湧き出て/シティムの川を潤す。

 

イスラエルの民、キリストの民は反キリストである諸国の軍隊に対する神の怒りの現われは、主の民にとってはそれが救いです。

 

●19節.エジプトは荒廃し/エドムは滅びの荒れ野となる。ユダの人々を虐げ/その国で、罪なき者の血を流したからだ。

 

4章4節と同じことを言っています。
イスラエル周辺の、諸国民の裁きです。

 

その理由は、4章2節の「わたしの民、わたしの所有であるイスラエルを/彼らは諸国の民の中に散らし/わたしの土地を自分たちの間に分配したからだ。」です。

 

なお、「エドム」とは、エサウの子孫の総称で、神に敵対する勢力、あるいは、歴史における反ユダヤ主義的勢力を象徴していると言うことです。

 

他にエドムの滅びの預言は、オバデヤ書では、10節・18節。アモス書1章11節から12節です。
参考に、エドムが永遠に絶やされる理由ですが、それは以下の二つです。
一つは、心の高慢(オバデヤ3節)、もう一つは、同胞の災難を喜んだ(オバデヤ書10~14節)ことです。

 

 

 

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2022年5月13日 (金)

前置き(アモス書を読む)

「アモス書」は、アモスという預言者が実際に語ったものを記述した記述預言書です。
預言書は、大預言書であるイザヤ書、エレミヤ書、哀歌、エゼキエル書、ダニエル書。小預言書であるホセア書からマラキ書までの12書があります。

 

アモス書は、小預言書の中の一書です。
そして、アモス書はイスラエルの捕囚期前預言書(12)のひとつです。

 

アモス書の著者ですが、アモスとは「重荷を負う者」という意味だと言うことです。この名は、旧約聖書では彼だけしかいません。
イスラエルの国の不正、神への背信に対して、重荷を持っている預言者ということでしょう。
彼は、イスラエルに対し、主の言葉を「あなたがたは神の刑罰を受ける」と獅子が吠えるように預言しました。
そして、イスラエルのまわりの諸国に対し主は、イスラエルに対する「三つの罪、四つの罪」ゆえに「わたしは決して許さない」と叫ばれます。

 

家族的背景は不明で、1章1節によれば、彼の故郷はエルサレムの近くにある寒村「テコア」(ベツレヘム南東にあるユダの町)です。
アモスは南ユダの出身でありながら、北イスラエルに対して神の言葉を語りました。

 

また、彼は、7章14節で、「アモスは答えてアマツヤに言った。「わたしは預言者ではない。預言者の弟子でもない。わたしは家畜を飼い、いちじく桑を栽培する者だ。」と言っていますから、職業的な預言者ではなく、エリヤやエリシャが建てた預言者の学校で学んだわけでもなく、神学者でもなく、彼の職業は、羊飼いであり、いちじく桑を栽培する農夫でした。
ですから、アモスはどこの団体にも所属せず、神からの幻を授かり、単独で神の言葉を学び、そして語った預言者です。

 

 

 

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諸国民に対する審判(アモス書を読む)1章

聖書箇所は、1章1節から1章15節です。
●1節.テコアの牧者の一人であったアモスの言葉。それは、ユダの王ウジヤとイスラエルの王ヨアシュの子ヤロブアムの時代、あの地震の二年前に、イスラエルについて示されたものである。

 

アモスの預言の背景です。
テコアという町は、エルサレムから南に20㌔もある南ユダ王国にある町だと言うことです。
小さな変哲もない村落だったのではないかと思われます。
そしてアモス自身は、ただの「牧者」でした。

 

アモスが預言を行なった時は、南ユダと北イスラエルの南北とも非常に栄え、強くなり、豊かであった時代でした。
そして、「ユダの王ウジヤの時代、イスラエルの王、ヨアシュの子ヤロブアムの時代(ヤロブアム二世の時代だと思います。)」とあります。
「地震の二年前」ですが、アモスが預言を行なって、それで二年後に、これから起こるような主の刑罰を予兆するような大地震が起こったのです。

 

その地震は、後の時代まで言い伝えられていましたから、相当な大地震であったのでしょう。
ハツォルとサマリヤの遺跡から地震の跡が見つかっているそうです。
それが紀元前約760年だということですから、アモスが預言を始めたのもその頃と思われます。

 

●2節. 彼は言った。主はシオンからほえたけり/エルサレムから声をとどろかされる。羊飼いの牧草地は乾き/カルメルの頂は枯れる。

 

「主はシオンから」ですから、主は、シオン、エルサレムにある神の宮におられ、そこから「ほえたけり・・声をとどろかされ」るのです。
そしてその声で、羊飼いであるアモスの牧場の草が乾き、「カルメルの頂」が枯れます。
カルメル山は、北イスラエルの地中海に面するところにある山です。

 

地中海に面していますから、海からの湿気で、雨がよく降るため緑豊かなところだと言うことです。
「その頂も枯れ」は何を象徴しているのでしょうか。

 

 

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諸国民に対する審判(アモス書を読む)2節

聖書箇所は、2章1節から16節です。
●1節.主はこう言われる。モアブの三つの罪、四つの罪のゆえに/わたしは決して赦さない。彼らがエドムの王の骨を焼き、灰にしたからだ。
●2節.わたしはモアブに火を放つ。火はケリヨトの城郭をなめ尽くす。鬨の声があがり、角笛が鳴り響く中で/混乱のうちにモアブは死ぬ。
●3節.わたしは治める者をそこから絶ち/その高官たちも皆殺しにすると/主は言われる。

 

六つ目の国はモアブです。ヨルダン中部、死海の東側にあった国です。
主の裁きの理由は、「エドムの王の骨を焼いて灰にした」ということです。

 

主の裁きは、「モアブに火を放つ・・治める者をそこから絶ち/その高官たちも皆殺しにする」です。
即ち、モアブの町々に火を送って宮殿を焼き尽くし、治めるもの、すべての首長たちを切り殺す、のです。
この出来事があったのは、イスラエル、ユダ、エドムがモアブを攻めた時に起こったことではないかと言われています。(列王記下3章6節から27節、エレミヤ書8章1,2節)

 

列王記は、王となるはずの長男を人身御供として焼き尽くすいけにえとしました。
エレミア書は、王墓を荒らしてその骨を焼いたのです。

 

 

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神の選び(アモス書を読む)3章

聖書箇所は、3章1節から2節です。
●1節.イスラエルの人々よ/主がお前たちに告げられた言葉を聞け。――わたしがエジプトの地から導き上った/全部族に対して――
●2節. 地上の全部族の中からわたしが選んだのは/お前たちだけだ。それゆえ、わたしはお前たちを/すべての罪のゆえに罰する。

 

主なる神がイスラエルの人々を「わたしがエジプトの地から導き上った全部族」(1節)と呼び、「地上の全部族の中からわたしが選んだのはお前たちだけだ」(2節)と告げられます。

 

しかし、主は、「それゆえわたしはあなたたちのすべての罪のために、あなたたちを罰する」(2節)と言われます。
主の選びは、2章5節に書きました。再度搭載します。

 

 

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2022年5月14日 (土)

神が語られる(アモス書を読む)3章

聖書箇所は、3章3節から8節です。
●3節.打ち合わせもしないのに/二人の者が共に行くだろうか。
●4節.獲物もないのに/獅子が森の中でほえるだろうか。獲物を捕らえもせずに/若獅子が穴の中から声をとどろかすだろうか。
●5節.餌が仕掛けられてもいないのに/鳥が地上に降りて来るだろうか。獲物もかからないのに/罠が地面から跳ね上がるだろうか。
●6節.町で角笛が吹き鳴らされたなら/人々はおののかないだろうか。町に災いが起こったなら/それは主がなされたことではないか。

 

3節以下には、疑問文が並びます。
5節までは、原因もないのにこういう結果になるだろうかと問う形式です。
おそらく、これを読む者が、そのようなことはないと答えるのを想定しているのでしょう。

 

仲が悪ければ、一緒に歩かない(3節)。獅子は獲物があるからほえる(4節)。鳥は餌(罠)がかけられているから、網にかかる(5節)。
角笛が町でなったから民は驚く(6節)、です。

 

このように因果関係がはっきりしている例を挙げて、だから、「町に災いが起こったなら/それは主がなされたことではないか。」、つまり、それは必然なのだということでしょう。

 

 

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サマリアの滅亡(アモス書を読む)3章

聖書箇所は、3章9節から15節です。
●9節.アシュドドの城郭に向かって/エジプトの地にある城郭に向かって告げよ。サマリアの山に集まり/そこに起こっている狂乱と圧政を見よ。
●10節.彼らは正しくふるまうことを知らないと/主は言われる。彼らは不法と乱暴を城郭に積み重ねている。

 

モアブは、アシュドドの宮殿と、エジプトの宮殿に対して語りかけています。(9節)
12節を読むと、「サマリアの滅亡」の箇所ですから、ペリシテの国とエジプトの国にとって北イスラエルの存在は、アッシリヤの北からの攻勢に対し、緩衝地域になっています。

 

 

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サマリアの女たち(アモス書を読む)4章

聖書箇所は、4章1節から3節です。
●1節.この言葉を聞け。サマリアの山にいるバシャンの雌牛どもよ。弱い者を圧迫し、貧しい者を虐げる女たちよ。「酒を持ってきなさい。一緒に飲もう」と/夫に向かって言う者らよ。

 

「この言葉を聞け」と、サマリヤの貴婦人たちに叱責されます。
アモスは、サマリヤの貴婦人たち(サマリヤにいる上流階級の夫人たちです。)を、「サマリヤの山にいるバシャンの雌牛ども」に喩えています。

 

これは、彼女たちが脂肪に満ちた「バシャンの雌牛」のように肥え太っていたことを嘲ったものでしょう。
なお、「バシャン」は、ギルアデの北、ヘルモン山の南にある高原、今のゴラン高原です。肥沃な地であり、強い雄牛、雄羊、雄やぎなどを育成していたことで知られていました。

 

 

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かたくななイスラエル(アモス書を読む)4章

聖書箇所は、4章4節から13節です。
●4節.ベテルに行って罪を犯し/ギルガルに行って罪を重ねよ。朝ごとにいけにえを携え/三日目には十分の一税を納めるがよい。
●5節.感謝の献げ物に酵母を入れたパンを焼け。大声で、随意の献げ物をする、と触れ回れ。イスラエルの人々よ/それがお前たちの好んでいることだと/主なる神は言われる。

 

「ベテル」は、北イスラエルの南端にある町で、北イスラエルにおける聖所があり、北端の町ダンと並んで金の子牛があったところだと言うことです。

 

「ギルガル」は、イスラエルの民のカナン侵入後の最初の拠点で、ヨルダン川からエリコに行くまでのところにある町で、サウルがそこで王として即位したところで、また彼が勝手に祭壇でいけにえを捧げるという重大な罪を犯して王位から退けられたところで、いわば、ギルガルは自分勝手な礼拝をささげた場所の象徴と言えます。

 

いわゆる、両方とも偶像礼拝の盛んな所です。

 

 

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悲しみの歌(アモス書を読む)5章

聖書箇所は、5章1節から3節です。
●1節.イスラエルの家よ、この言葉を聞け。わたしがお前たちについてうたう悲しみの歌を。

 

再び、「聞け」という命令の言葉っで始まっています。
「イスラエルの家」ですから、イスラエルの家全体(北イスラエル・南ユダ)に対して語っておられます。

 

そして何を聞け課と言うと、「悲しみの歌を。」ですから、哀歌です。
哀歌は人が死んで哀しむ時に歌うものですが、ここではイスラエルの家が倒れてしまうことを哀しみ歌います。

 

それは、4章6,8,10,11節の「しかし、お前たちはわたしに帰らなかった」と言うことでしょう。
この後、「哀歌」は16節と17節でも出てきます。

 

 

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2022年5月15日 (日)

わたしを求めて生きよ(アモス書を読む)5章

聖書箇所は、5章4節から15節です。
●4節.まことに、主はイスラエルの家にこう言われる。わたしを求めよ、そして生きよ。
●5節.しかし、ベテルに助けを求めるな/ギルガルに行くな/ベエル・シェバに赴くな。ギルガルは必ず捕らえ移され/ベテルは無に帰するから。

 

ベテルはイスラエルとユダの国境付近、ギルガルはベニヤミン領・ヨルダン川西岸付近、そして、ベエル・シェバはユダ南端の町です。
イスラエルは、これらの地での礼拝は、真実な礼拝ではなく、主を悲しませる偽りの礼拝、偶像礼拝であったのです。

 

だから主は、「ベテルに助けを求めるな/ギルガルに行くな/ベエル・シェバに赴くな。」と言われているのです。

 

ベテルはイスラエルとユダの国境付近、ギルガルはベニヤミン領・ヨルダン川西岸付近、そして、ベエル・シェバはユダ南端の町で、いずれも偶像礼拝の盛んなところです。

 

これまで何度も主は、わたしに立ち帰るようにと、預言者らを遣わしてイスラエルの民に呼びかけていましたが、彼らは応答しようとしなかったのです。

 

 

 

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裁きの日(アモス書を読む)5章

聖書箇所は、5章16節から20節です。
●16節.それゆえ、万軍の神なる主はこう言われる。どの広場にも嘆きが起こり/どの通りにも泣き声があがる。悲しむために農夫が/嘆くために泣き男が呼ばれる。
●17節.どのぶどう畑にも嘆きが起こる。わたしがお前たちの中を通るからだと/主は言われる。

 

主は言われる。「わたしがお前たちの中を通る」から、どの広場にもどの通りにも、そして、どのぶどう畑にも嘆きが起こると言われます。
「わたしがお前たちの中を通る」と言うのは、主の裁きにより、アッシリアが北イスラエルのサマリヤを攻めることを指しているのでしょう。
畑が荒らされて農夫が嘆き、人が死んで泣き屋(当時は誰が死ぬと泣き屋を雇います。)が泣きます。

 

ここは、先の第一の哀歌に対応する悲劇を預言する言葉です。
そして、4章12節の「イスラエルよ、お前は自分の神と会う備えをせよ」を指していると思われます。
イスラエルの民は、神に会う備えを怠ることによって、悲しみに打ちひしがれることになるというのです。

 

●18節.災いだ、主の日を待ち望む者は。主の日はお前たちにとって何か。それは闇であって、光ではない。

 

●19節.人が獅子の前から逃れても熊に会い/家にたどりついても/壁に手で寄りかかると/その手を蛇にかまれるようなものだ。

 

 

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祭りに勝る正義(アモス書を読む)5章

聖書箇所は、5章21節から27節です。
この時代の北イスラエルは、アッシリヤ帝国が一時的に弱体化していたので、彼らは繁栄を誇ることが出来たのです。

 

そして、「主の日」に対し幻想を抱いていたのです。
それに対し、主は預言者アモスを通して、北イスラエル王国の滅亡を預言しています。

 

●21節.わたしはお前たちの祭りを憎み、退ける。祭りの献げ物の香りも喜ばない。
●22節.たとえ、焼き尽くす献げ物をわたしにささげても/穀物の献げ物をささげても/わたしは受け入れず/肥えた動物の献げ物も顧みない。
●23節.お前たちの騒がしい歌をわたしから遠ざけよ。竪琴の音もわたしは聞かない。

 

主は、ご自身を求めない、善を求めない自己欺瞞に満ちた宗教的行為は、それを忌み嫌い、受け入れない、いや、喪に変えると言われているのでしょう。

 

北イスラエルの民は、神を喜ばすためにこれらの祭りを盛大に祝い、多くの犠牲を払ってささげものを携えて礼拝しているのに、神はそれらを受け入れなかったのです。

 

 

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驕れる人々への審判(アモス書を読む)6章

聖書箇所は、6章1節から14節です。
●1節.災いだ、シオンに安住し/サマリアの山で安逸をむさぼる者らは。諸国民の頭である国に君臨し/イスラエルの家は彼らに従っている。

 

「災いだ」と、初めに再び神の嘆きのことばが記されています。
そして、「シオンに安住し」のシオンは、南王国ユダ王国のことです。

 

この南王国ユダ王国と「サマリアの山で安逸をむさぼる者らは。諸国民の頭である国に君臨し」ている者のサマリアは、北王国イスラエルの中心の町ですから、両者に対する神の裁きの警告が記されているのでしょう。

 

「諸国民の頭である国に君臨し」と言うのは、実際に諸国民の頭ではなく、彼らが高ぶって自分たちのことをそのように見ていたという皮肉を込めて言ったという意味ではとされています。

 

●2節.カルネに赴いて、よく見よ。そこから、ハマト・ラバに行き/ペリシテ人のガトに下れ。お前たちはこれらの王国にまさっているか。彼らの領土は/お前たちの領土より大きいか。

 

イスラエルもユダも、これらの町より自分たちの方が優れていると思っていたのでしょう。
だから主は、北イスラエルの周辺の国々の名を上げて、これからその国に起こる悲劇を予告しながら、比較しながらその思い上がりを打ち砕こうとして、言われているのでしょう。

 

 

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2022年5月16日 (月)

三つの幻(アモス書を読む)7章

聖書箇所は、7章1節から9節です。
1章から2章で、周囲の国々に対する裁きを宣言し、3章から6章で北イスラエルが滅びることを宣言しました。
三つの幻の内容は、次の通りです。

 

(1) 地の青草を食い尽くすいなごの幻(7:1~3)
(2) 大いなる淵と地を焼き尽くす火の幻(7:4~6)
(3) 主の手にある重りなわの幻(7:7~9)

 

7章から8章は、そのイスラエルへの裁きが終わりの日の五つの幻へと発展し、そして最終章9章で、神が倒れかけているイスラエルの回復を約束されます。

 

●1節.主なる神はこのようにわたしに示された。見よ、主は二番草の生え始めるころ、いなごを造られた。それは、王が刈り取った後に生える二番草であった。
●2節.いなごが大地の青草を食べ尽くそうとしたので、わたしは言った。「主なる神よ、どうぞ赦してください。ヤコブはどうして立つことができるでしょう/彼は小さいものです。」
●3節.主はこれを思い直され/「このことは起こらない」と言われた。
預言者アモスは、北イスラエル王国に対する神の裁きの言葉を伝えて行きました。

 

 

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アモスと祭司アマツヤ(アモス書を読む)7章

聖書箇所は、7章10節から17節です。
●10節.ベテルの祭司アマツヤは、イスラエルの王ヤロブアムに人を遣わして言った。「イスラエルの家の真ん中で、アモスがあなたに背きました。この国は彼のすべての言葉に耐えられません。
●11節.アモスはこう言っています。『ヤロブアムは剣で殺される。イスラエルは、必ず捕らえられて/その土地から連れ去られる。』」
●12節.アマツヤはアモスに言った。「先見者よ、行け。ユダの国へ逃れ、そこで糧を得よ。そこで預言するがよい。

 

偶像礼拝の中心地であったベテルの祭司アマツヤは、イスラエルの王ヤロブアムに、預言者アモスが王に逆らって国にとって耐えられないことを語っていると言って(10節)、預言者アモスの言葉を告げます(11節)。

 

でも、預言者アモスは王に逆らう言葉を自分勝手に語っているわけではなく、主の言葉を語っているのです。
12節を読むと、アマツヤも預言者アモツの言葉は主の言葉(預言)であることは分かっているはずです。

 

だから、アマツヤは預言者アモスに「ユダの国へ逃れ」といって逃そうとしたのでしょうか。
アマツヤは自分の告げ口で王が預言者アモスを罰するために捕らえようとしていることを知ったからでしょうか。

 

しかしそれは、アマツヤの親切心などではなく、預言者アモスを北イスラエルから排除するのが目的であるのでしょう。
アマツヤは預言者アモスに、「そこで糧を得よ。そこで預言するがよい。」と言っていますが、アマツヤの発想では、祭司職は召命でなくパンを食べるためであり、預言者もそのように理解していたのですね。

 

彼が祭司を行なっているのは、あくまでも自分の家の生活のためであり、神の召命ではないのです。
「ユダで糧を得よ、そこで預言するがよい」というのは、南ユダ王国に行って王に仕え職業的預言者になれと言うことでしょう。
北イスラエルではその道はなくなったと言うことでしょう。

 

 

 

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第四の幻と商人の不正(アモス書を読む)8章

聖書箇所は、8章1節から8節です。
●1節.主なる神はこのようにわたしに示された。見よ、一籠の夏の果物(カイツ)があった。主は言われた。
●2節.「アモスよ、何が見えるか。」わたしは答えた。「一籠の夏の果物です。」主はわたしに言われた。「わが民イスラエルに最後(ケーツ)が来た。もはや、見過ごしにすることはできない。

 

四つ目の幻は「一籠の夏の果物(カイツ)」です。
これを見せて神は、「わが民イスラエルに最後(ケーツ)が来た。もはや、見過ごしにすることはできない。」「その日には、・・しかばねはおびただしく/至るところに投げ捨てられる。声を出すな。」と宣言されています。

 

その夏の果物は、「仮庵祭」(レビ記23章34節以下、申命記16章13節以下)と呼ばれる、秋の収穫祭において主の神殿に献げられたものでしょう。

 

主はしかし、その供え物を喜ばれず、「イスラエルの最後(ケーツ)」を宣言されました(2節)
問題は、この籠ではなくその中に入っている夏の果物でしょう。

 

 

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終わりの日(アモス書を読む)8章

聖書箇所は、8章9節から14節です。
●9節.その日が来ると、と主なる神は言われる。わたしは真昼に太陽を沈ませ/白昼に大地を闇とする。

 

「その日」は、もちろん終わりの日を指します。
「真昼に太陽を沈ませ」は、日食のことですが、当時の人々は「日食」について、罪が主なる神の恵みを覆い隠し、その恵みがイスラエルから去ったと考えたようです。

 

●10節.わたしはお前たちの祭りを悲しみに/喜びの歌をことごとく嘆きの歌に変え/どの腰にも粗布をまとわせ/どの頭の髪の毛もそり落とさせ/独り子を亡くしたような悲しみを与え/その最期を苦悩に満ちた日とする。

 

「祭りを悲しみに/喜びの歌をことごとく嘆きの歌に変え」ですから、イスラエルの人たちが祭りを行いながら、心は貪欲で満たされていましたので、これに対する裁きの預言です。
祭りの喜びを、「嘆きの歌」に変えられます。

 

 

 

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第五の幻(アモス書を読む)9章

聖書箇所は、9章1節から6節です。
●1節.わたしは祭壇の傍らに立っておられる主を見た。主は言われた。「柱頭を打ち、敷石を揺り動かせ。すべての者の頭上で砕け。生き残った者は、わたしが剣で殺す。彼らのうちに逃れうる者はない。逃れて、生き延びる者はひとりもない。

 

主が立っておられるところは、ベテルの神殿の金の子牛が祭られている祭壇の傍ら(寄り添っているのではない)でしょう。

 

そして主は、偶像の宮と化しているその神殿の「柱頭を打ち、敷石を揺り動かせ。すべての者の頭上で砕け。」と言われますが、誰に向かって語られているかはわかりません。

 

とにかく主のご意志によって、柱の頭が激しく打たれ、それによって敷居の部分が震えるほどにするというのです。
普通は、柱は下からの地震で崩れるのですが、この場合は、上からの神の力によって柱が崩されるというのです。

 

「すべての者の頭上で砕け」と言うのは、フランシスコ会訳では、解説を加えるように、「柱をすべての者の頭上で打ち砕け」と訳されますから、それが文脈から生まれる意味なのでしょう。

 

 

 

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全世界の神(アモス書を読む)9章

聖書箇所は、9章7節から10節です。
●7節.イスラエルの人々よ。わたしにとってお前たちは/クシュの人々と変わりがないではないかと/主は言われる。わたしはイスラエルをエジプトの地から/ペリシテ人をカフトルから/アラム人をキルから、導き上ったではないか。

 

イスラエルの民に向かって主は「わたしにとってお前たちは/クシュの人々と変わりがない」と言われます。
これは、イスラエルの民の高慢を砕く言葉です。

 

「クシュの人々」(アフリカ 中部 に あ る スーダン も 含 む 大 き な 国があったそうです)は、ナイル川の最上流のヌビアの地の住民で、当時イスラエル民からしたら南の果ての辺境の民と見られていたのですが、イスラエルの民はその民と変わらないと言われたのです。

 

「イスラエルをエジプトの地から/ペリシテ人をカフトルから/アラム人をキルから、導き上った」と言うのは、イスラエルの民はエジプトの奴隷状態(辺境の民)から主ご自身が一方的なあわれみによって連れ出されましたが、同じように、主は、ペリシテ人を「カフトル」つまり、地中海に浮かぶクレテ島から、また、アラムを「キル」(メソポタミヤの北東部にある辺境の地)から連れ上ったではないかと言われます。

 

 

 

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後の日の回復(アモス書を読む)9章

聖書箇所は、9章11節から15節です。
●11節.その日には/わたしはダビデの倒れた仮庵を復興し/その破れを修復し、廃虚を復興して/昔の日のように建て直す。

 

彼らに所有させよう、と主は言われる。主はこのことを行われる。
神による「その日」のイスラエルの回復の約束です。

 

「その日」は主の日であり、主の日はイスラエルにとって裁きの日でもあり救いの日でもあるのです。
神がアブラハム、イサク、ヤコブへの契約のゆえに、イスラエルの民に再びあわれみを施してくださるという約束でしょう。

 

「ダビデの倒れた仮庵」とは、荒野で旅をしているイスラエル人が天幕を張っていたことを覚えるのが、仮庵の祭りですが、仮庵は仮の宿ですから、とりあえず雨風をしのぐための小屋です。

 

 

 

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2022年5月20日 (金)

オバデヤ書前置き(オバデヤ書を読む)

オバデヤ書は、たった一章しかない短い書物で、内容的は一貫してエドムの民に下された神の裁きを語っています。
エドムの民はイスラエルから分離した民で、両者は血族関係にあったのですが、互いに絶えず抗争を繰返していました。

 

内容は、エドムの運命に関する神の告知とエドムの滅亡の理由、そして、神の審判の日がエドムの民だけでなく,すべての異邦の民にも近づいていること,また新しいイスラエルの回復が宣言されています。

 

「オバデヤ」という名は、「主のしもべ」であるとか「主の礼拝者」という意味だと言うことです。
すべての預言者が主に幻を見せられて語っているわけではないのですが、オバデヤは主に幻を見せられてそのまま語っているのです。

 

 

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エドムの傲慢と滅亡(オバデヤ書を読む)1節

聖書の箇所は、1節から18節 です。
2~10節にあるすべての動詞は、預言的完了形、つまり、人間の時間の流れとしては未来に起こる出来事ですが、あたかもそれが実現したかのように語られているのです。

 

●1節.オバデヤの幻。我々は主から知らせを聞いた。使者が諸国に遣わされ/「立て、立ち上がって/エドムと戦おう」と告げる。主なる神はエドムについてこう言われる。

 

オバデヤ書では、10節と18節でエドムの完全な滅びが預言されています。
オバデヤは幻でもって主から示されているのですが、その幻は、主の「使者が諸国に遣わされ」た諸国は、エドムと同盟を結んでいる国々ですが、主がその国々の指導者に、「立て、立ち上がって/エドムと戦おう」と告知する姿でした。

 

その国々は、ユダの捕囚先であるバビロン帝国の支配下でもあった国々ですが、その国々は、エドムと関係を保っていたけれども、それを破棄して裏切りエドムに攻め込めと言うことです。

 

●2節.「見よ、わたしはお前を/諸国のうちで最も小さいものとする。お前は、大いに侮られる。

 

 

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イスラエルの回復(オバデヤ書を読む)19節から21節

聖書の箇所は、19節から21節 です。
ここは、ユダヤ人が攻め込まれて、踏みにじられていた周囲の敵が持っていたものを、イスラエルに住む者が占領するという主なる神の約束です。

 

●19節.彼らは、ネゲブとエサウの山、シェフェラとペリシテ人の地を所有し、またエフライムの野とサマリアの野、ベニヤミンとギレアドを所有する。

 

「彼ら」とは、南ユダ、および北イスラエルの民のことでしょう。

 

●20節.捕囚となったイスラエル人の軍団は、カナン人の地をサレプタまで所有する。捕囚となった、セファラドにいるエルサレムの人々は、ネゲブの町々を所有する。

 

19節と20節の意味はどういうことでしょうか。
「彼らは、ネゲブとエサウの山、シェフェラとペリシテ人の地を所有し、またエフライムの野とサマリアの野、ベニヤミンとギレアドを所有する。捕囚となったイスラエル人の軍団は、カナン人の地をサレプタまで所有する。

 

 

 

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2022年5月22日 (日)

.ヨナ書前置き(ヨナ書を読む)

旧約聖書には、預言書は、大預言書が5、小預言書が12ありますが、ヨナ書は小預言書のひとつで、捕囚期前の預言書です。

 

ヨナ書がいつ誰によって記されたかはわかりませんが、本書は現実の歴史と符合している個所もありますから、ヨナ自身の体験が記されていると思います。
ヨナ自身がヨナ書を作成したならば、列王記下14章25節の北イスラエルの繁栄の預言もヨナ書に記載されているはずです。

 

ヨナ書の特徴は、ヨナ書の中でヨナに託された神の言葉がわずか一言だけで、それは、「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。」(3章4節)です。

 

よって、ヨナ書は預言書というよりは、むしろヨナという人物の体験を誰かが記録した物語とも言えます。
なお、ヨナのこのほかの預言は、列王記下14章25節(ヨナ書のヨナと列王記下14章25節(下記)のヨナが同一人物として)によれば、北イスラエルの王ヤロブアム二世の時代(紀元前793年から753年)に、かつてヨナがイスラエルの繁栄の約束を語ったことが実現されたとあります。

 

 

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ヨナの逃亡(ヨナ書を読む)1章

聖書箇所は、1章1節から16節です。
●1節.主の言葉がアミタイの子ヨナに臨んだ。
●2節.「さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。彼らの悪はわたしの前に届いている。」
ニネベと言うのは、アッシリア帝国の都市で、場所は現代のイラクの北限地帯のティグリス川沿いに位置し、当時の世界では最大級の町でした。

 

主がヨナにアッシリアの都ニネベに行けと命じられた時のアッシリアは、ティグラト3世の時代(紀元前745年~727年)で、パレスティナを支配するべく圧迫していた時代です。

 

アッシリアは紀元前1450年ごろ生まれた国で、イスラエル王国が二つに分裂してからしばらくして急速に勢力を広げ紀元前840年頃にはアラム(シリヤ)の首都ダマスコを征服しましたが、まもなくして、アッシリアは地方の反乱に悩まされ、無能な王のもとで勢力を失い、紀元前765年と759年には記録的な大飢饉に襲われました。

 

その上に、紀元前763年6月15日に皆既日食がニネベで起きたと言われています。
それは当時の人々に恐ろしい不安を呼び覚ますものでしたでしょう。

 

 

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ヨナの救助(ヨナ書を読む)2章

聖書箇所は、2章1節から11節です。
「ニネベに行きなさい」という主の命令に背き、タルシシュ行きの船で逃げ出して大嵐に遭い、荒れた海に放り込まれたヨナのために、主なる神は巨大な魚を用意し、その大魚の腹の中にヨナを飲み込ませて三日三晩置き、ヨナの祈りに応え、その上でヨナを深海から陸地に戻されました。

 

2節以下には、三日三晩魚の腹の中にいたヨナが、そこからささげた主への祈りが記されています。

 

●1節.さて、主は巨大な魚に命じて、ヨナを呑み込ませられた。ヨナは三日三晩魚の腹の中にいた。

 

主がヨナのために「大きな魚」を「備え」、「魚に命じ」、「ヨナを飲み込ませた」のです。
そこには主がおられますから、主の確かな目的・理由があると言うことでしょう。

 

それでは、主は何のために、どんな目的をもって魚にヨナをのみこませたのでしょうか。
考えられるのは、一つは、主の御顔を避けて逃げようとするヨナに対する、つまり、ご自身のご計画を担わせる者に対する不可欠な訓練。
もう一つは、ヨナをもう一度、本来の使命に立ち返らせることです。

 

「主は大風を海に向かって放たれたので、海は大荒れとなり、船は今にも砕けんばかりとなった。」ので、ヨナが海の中に投げ込まれる状況をもたらしました。

 

 

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ニネベの悔い改め(ヨナ書を読む)3章

聖書箇所は、3章1節から4章10節です。
アモス書では北イスラエルがアッシリア帝国によって滅ぼされることが示唆されていますが、ヨナ書ではその首都ニネベで大きな悔い改めが起こって国力が回復したことの背景が記されています。(3章)

 

●3章1節. 主の言葉が再びヨナに臨んだ。
●2節.「さあ、大いなる都ニネベに行って、わたしがお前に語る言葉を告げよ。」
●3節. ヨナは主の命令どおり、直ちにニネベに行った。ニネベは非常に大きな都で、一回りするのに三日かかった。

 

「主の言葉が再び」ですから、主は、二度、三度同じように立ち直る、あるいは再出発の恵みを下さるのです。
ヨナは、喜び勇んでということではなかったかも知れませんが、「ヨナは主の命令どおり、直ちにニネベに行った。」のです。

 

今度は、ヨナも従順です。嵐の海での経験、巨大な魚の腹の中で三日三晩過ごした経験が、ヨナを従順にさせたのでしょう。
ニネベ は、「非常に大きな都」で「一回りするのに三日かかった。」とあります。

 

行巡るだけで三日かかったとしています。
3日歩く距離といえば100~120kmくらいでしょう。東京23区の周囲が140~150kmらしいです。

 

●4節. ヨナはまず都に入り、一日分の距離を歩きながら叫び、そして言った。「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。」

 

アッシリア帝国の首都ニネベの町にやって来た小国イスラエルの預言者の告げる言葉に耳を傾けてくれる人がいるのでしょうか。
逆に、ニネベの人々にニネベの都の滅びを告げて、誰も聞かないどころか、危害を加えられることも考えられます。

 

 

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2022年5月25日 (水)

ミカ書前置き(ミカ書を読む)

旧約聖書には、預言書は、大預言書が5、小預言書が12ありますが、ミカ書は小預言書のひとつで、捕囚期前の預言書です。

 

ミカの名前の意味は「誰がヤハウェのようであるか」と言うことです。
著者のミカは、南ユダ王国の王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に活動した預言者です(1節)。

 

彼らは、紀元前740年ごろから680年ごろまで南ユダ王国を統治していました。
この時期、北イスラエル王国では、ホセアやアモスが預言者として働いていました。南ユダでは、イザヤと活動時期が重なります。

 

ミカの預言は主に北イスラエルのサマリヤに関するもので、聞いたのは南ユダ王国の住民です。
紀元前8世紀ですから、多くの預言者が預言した時期です。神様の働きが活発であったのでしょう。

 

同じ時期に預言者が多く出たのは、長期安定政権を築いていたウジヤ王が亡くなって、その子ヨタムがその跡を継いで王となったとき、アッシリア帝国が勢力を伸ばして来ていて、脅威となってきた時代であったからでしょう。

 

 

 

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神の審判(ミカ書を読む) 1節

聖書箇所は、1章1節から2章5節です。
●1節.ユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に、モレシェトの人ミカに臨んだ主の言葉。それは、彼がサマリアとエルサレムについて幻に見たものである。

 

ミカが預言したのは、「サマリヤとエルサレム」についてです。
この預言は、サマリヤを神がアッシリアによって裁かれると言うものですが、同じ理由でエルサレムもアッシリアによって裁かれるのです。

 

サマリヤ(北イスラエルの首都)まで攻めてきたアッシリアが南ユダに攻めてくることを預言(警告)したのです。
サマリアは北イスラエルの首都で、エルサレムは南ユダの首都です。両首都についての預言ということですが、内容を見れば、首都と言うよりエルサレムと南ユダ王国に向けてなされたものでしょう。

 

歴史では、サマリヤ陥落は紀元前722年の南ユダの王アハズ、ヒゼキヤの治世の頃です。
ミカの南ユダのエルサレムの陥落についての預言は(1章9節から16節)、ヒゼキヤが悔い改めて主に助けを求めたことからいったん逃れて、エルサレムの陥落は100年ほど延期されることになります。

 

しかし、結局のところ、南ユダ(エルサレム)も神のさばきを免れることができませんでした。
エレミヤ書26章18節に「エルサレム」陥落につき、次のような記述があります。

 

 

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ユダの混乱、復興の預言(ミカ書を読む)2章

聖書箇所は、2章6節から13節です。
●6節.たわごとを言うな」と言いながら/彼らは自らたわごとを言い/「こんなことについてたわごとを言うな。そんな非難は当たらない。
●7節.ヤコブの家は呪われているのか。主は気短な方だろうか。これが主のなされる業だろうか」と言う。わたしの言葉は正しく歩む者に/益とならないだろうか。

 

「たわごと」(6節)を調べますと、口語訳は「説教してはならない」、岩波訳は「よだれを流すな」、他には、(預言のことばを)語るな」ということで、「預言するな」と意訳した方がわかりやすいと書いていました。

 

いずれにしても、ミカが言うようなそんな悪い事など、起こるはずないという抗議があったことを意味しているのでしょう。

 

つまり、イスラエルの支配者は、「「たわごとを言うな」と言いながら/彼らは自らたわごとを言い」ですから、イスラエルの支配者たちは、真の預言者の言葉を「たわごとを言うな」と遮って、反対に彼ら自身がたわごと、「(預言の)言葉を語っている」というのです。

 

そして、その内容について、「こんなことについてたわごとを言うな。そんな非難は当たらない。」と言っているのです。
そして、この真の預言者の声を否定するような偽りの預言のことばが、7節では、「ヤコブの家は呪われているのか。主は気短な方だろうか。これが主のなされる業だろうか」と描かれています。

 

 

 

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指導者たちの罪(ミカ書を読む)3章

聖書箇所は、3章1節から12節です。
●1節.わたしは言った。聞け、ヤコブの頭たち/イスラエルの家の指導者たちよ。正義を知ることが、お前たちの務めではないのか。
●2節.善を憎み、悪を愛する者/人々の皮をはぎ、骨から肉をそぎ取る者らよ。

 

「ヤコブの頭たち」ですから、イスラエルの指導者たちに対する神の言葉です。
1節から4節までが、指導者たちに対する言葉で、5節から8節が預言者たちに対する言葉です。

 

イスラエルの不正を糾弾する預言者ミカの言葉は、神に立てられて、正義を行うことが期待されている「ヤコブの頭たち、イスラエルの家の指導者たち」(1節)が、「善を憎み、悪を愛する者」となっているからです(2節)。

 

「正義」ですが、これは神の律法に基づく社会的な正義を示します。
正義とは、神の律法に基づき、善を行なう者に報いを与え、また悪を行なう者にもそれにふさわしい報いを与え、そのように正しい裁きをすることによって統治することです。

 

ところが、その彼らが自らの立場を使って、むしろ悪を行なっているという問題です。
神の民イスラエルの指導者ですから、指導者たちは正義を知っているはずなのに、本当の意味で、それを知り、味わい、行使しなかったことを糾弾しているのでしょう。

 

もちろん、北イスラエル王国でも南ユダ王国でも、その指導者たちに正義が見られないと言うことです。

 

 

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2022年5月27日 (金)

終わりの日の約束(1)(ミカ書を読む) 4章

聖書箇所は、4章1節から14節です。
●1節.終わりの日に/主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち/どの峰よりも高くそびえる。もろもろの民は大河のようにそこに向かい

 

「終わりの日」とか「その日」は、メシア王国を指す定型句です。
この「終わりの日」「その日」と言われる日に主がなされることが、イエス・キリストが言われる「御国の福音」と言われるものです。
「御国の福音」は、キリストの再臨によってもたらされる神の約束の実現による「良きおとずれ」と言われています。

 

「主の神殿の山」は、いわゆるエルサレムで、ヤコブの家、シオンの山とも言います。
主は、ご自分が王として支配されるために、シオン、エルサレムを選ばれたのです。

 

キリストが、「御国の福音」の宣言をなされたのも、山上の垂訓、山の上でした。
そして、ヤコブの家(イスラエル)が立てられているのは、彼らが証人となって、異邦人たちが主を知ることができるようにするためです。
「もろもろの民は大河のようにそこに向かい」ですから、多くの異邦の民が再臨した主を礼拝するためにエルサレムに巡礼に来るのです。

 

●2節.多くの国々が来て言う。「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と。主の教えはシオンから/御言葉はエルサレムから出る。

 

 

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終わりの日の約束(2)(ミカ書を読む) 5章

聖書箇所は、5章1節から14節です。
ここ5章は、4章の続きであり、シオンの娘(エルサレム)が敵に対して圧倒的に打ち勝つことを神が約束してくださっています。けれどもその人物が、人ではなく、実に神が立てられた王、キリストによって実現します。

 

●1節.エフラタのベツレヘムよ/お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために/イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。

 

4章14節と5章1節は、メシア(救い主)が生まれる場所である小さな村ベツレヘムと、包囲されて打たれ、滅ぼされて神のさばきを受けるエルサレムとを対照させるために並べてあると言われています。

 

並べて書いてみますと
4章14節
今、身を裂いて悲しめ、戦うべき娘シオンよ。敵は我々を包囲した。彼らはイスラエルを治める者の頬を杖で打つ。
5章1節
エフラタのベツレヘムよ/お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために/イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。

 

即ち、「イスラエルを治める者」の頬が杖で打たれるエルサレムと、「イスラエルを治める者」が出るエフラタのベツレヘムが対照されています。

 

と言うことは、「お前の中から、わたしのために/イスラエルを治める者」がベツレヘム(=エフラタ)で、「彼の出生」ですから、生まれるということです。

 

 

 

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主の告発(ミカ書を読む)6章

聖書箇所は、6章1節から16節です。
●1節.聞け、主の言われることを。立って、告発せよ、山々の前で。峰々にお前の声を聞かせよ。

 

「聞け」という主の呼びかけで始まる箇所は、三度目です。
一度目は、1章2節で2度目は3章1節です。

 

内容は、それぞれが主の裁きの次に回復を預言しています。
ここ6章は、裁判所での裁判の様子と同じです。

 

原告は「主の告発」ですから主なる神、その主の告発を主張、すなわち訴状を読み上げるのが代理人・弁護士で、それはミカの役目です。
「山々の前で。峰々にお前の声を聞かせよ。」ですから、山々、峰々が裁判官・証人で、そして被告は「答えよ」と命令されているイスラエルです。

 

●2節.聞け、山々よ、主の告発を。とこしえの地の基よ。主は御自分の民を告発し/イスラエルと争われる。

 

「聞け、山々よ、主の告発を」ですから、山々(天地)を証人にしています。
天地を証人に立てておられるのは、イスラエルが行ったことは人の目に隠せても、天地のように誰の目にも隠すことはできないと言うことでしょう。

 

●3節.「わが民よ。わたしはお前に何をしたというのか。何をもってお前を疲れさせたのか。わたしに答えよ。

 

「わが民よ。わたしはお前に何をしたというのか。何をもってお前を疲れさせたのか」と主はイスラエルに訴えられています。
この言葉の内容からすると、イスラエルの民が、主は何もして下さらない、もう疲れたと不平を言っている姿が想像できます。

 

 

 

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民の腐敗(ミカ書を読む) 7章

聖書箇所は、7章1節から7節です。
1節から7節は、預言者ミカの哀歌です。・

 

エルサレムの絶望的な状況をミカは、1節から3節で「悲しいかな」と言う言葉と共に語ります。
そして、7節で「わたしは主を仰ぎ/わが救いの神を待つ。」と希望で終わるのです。

 

●1節.悲しいかな/わたしは夏の果物を集める者のように/ぶどうの残りを摘む者のようになった。もはや、食べられるぶどうの実はなく/わたしの好む初なりのいちじくもない。
●2節.主の慈しみに生きる者はこの国から滅び/人々の中に正しい者はいなくなった。皆、ひそかに人の命をねらい/互いに網で捕らえようとする。

 

ミカは、「主の慈しみに生きる者はこの国から滅び/人々の中に正しい者はいなくなった。」と嘆いています。
そのことを「夏の果物を集める者」、すなわち、収穫が終わった後のぶどうの実がない畑の姿で形容しています。

 

 

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主の告発(ミカ書を読む)7章

聖書箇所は、7章8節から20節です。
●8節.わたしの敵よ、わたしのことで喜ぶな。たとえ倒れても、わたしは起き上がる。たとえ闇の中に座っていても/主こそわが光。
●9節.わたしは主に罪を犯したので/主の怒りを負わねばならない/ついに、主がわたしの訴えを取り上げ/わたしの求めを実現されるまで。主はわたしを光に導かれ/わたしは主の恵みの御業を見る。
●10節.「お前の神、主はどこにいるのか」と/わたしに言っていた敵は/このことを見て恥に覆われる。わたしの目はこの様を見る。今や、敵は路上の泥のように踏みつけられる。

 

8章10節は、ミカの時代には、エルサレムはまだ破壊されていませんが、やがてエルサレムが再建する前に破壊されることをミカは神の幻によって見ているのでしょう。

 

また、この8節から10節の「わたし」はエルサレムを擬人化しているのでしょう。
まず預言者ミカは、エルサレムは、「わたしの敵よ、わたしのことで喜ぶな。たとえ倒れても、わたしは起き上がる。たとえ闇の中に座っていても/主こそわが光。」(8節)と(信仰)告白します。

 

そして、9節で「たしは主に罪を犯したので/主の怒りを負わねばならない」と預言者ミカは、主の怒りと裁きは、自分たちの罪のためとし、それを当然受けるべき主からの報いととらえて、「主はわたしを光に導かれ/わたしは主の恵みの御業を見る。」ですから、そこにイスラエルの回復の希望を見ます。

 

 

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2022年5月28日 (土)

ナホム書前置き(ナホム書を読む)

旧約聖書には、預言書は、大預言書が5、小預言書が12ありますが、ミカ書は小預言書のひとつで、捕囚期前の預言書です。

 

ナホムと言う名前の意味は、「慰めに満ちた」と言う意味だそうです。
ナホムが伝えた預言は、神からの啓示で、ニネベ(アッシリアの首都、滅びたのは紀元前612年です)に対する厳しい裁きの預言です。
ナホムはエルコシュ人で、ニネベが滅びる前に南ユダ王国で活躍した預言者です。

 

「ニネベ」はアッシリヤの首都であり、かつて最初の権力者であったニムロデが建てた町のひとつと言うことです。
そして、その町は神に逆らう勢力の中心であったということです。

 

ナホム書が書かれた時期は、二つの出来事から推測できます。
一つはニネベが陥落した紀元前612年です。

 

もう一つは、ナホム書3章8節から10節にあるエジプトの「テーベ」という首都の名があり、水に囲まれたエジプトの首都テーベがアッリシアによって陥落されたのは紀元前663年ですから、ナホム書が書かれたのは、紀元前663年から紀元前612年の間です。

 

アッシリアは、紀元前663年ころが最盛期なのですが、それから50年たらずで首都ニネベが滅びます。
そのために南ユダ王国は、アッシリアの支配から解放されるのですが、南ユダ王国に対する脅威はアッシリアからバビロンへと移行します。
なお、北イスラエル王国は、紀元前722年に首都サマリヤがアッシリアによって陥落しています。

 

 

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主の怒り(ナホム書を読む) 1章

聖書箇所は、1章1節から14節です。
●1節.ニネベについての託宣。エルコシュの人ナホムの幻を記した書。

 

ナホムがこの預言を行なったのは、紀元前663年から612年までの間であろうと思います。
預言の内容は、紀元前612年に、バビロンとメディヤの連合軍がニネベ(アッシリアの首都)の町を倒すことに集中しています。

 

ヨナが預言を行なっていたのは、ヤロブアム二世の治世の時ですから、ナホムの預言より一世紀半前のことです。
と言うことは、ヨナの警告によりニネベの町はニネベの王を始めとする全住民が悔い改めたので、神はニネベの住民をお赦しになられたのですが、間もなくして彼らは元の悪い行ないを再開したそうですから、神はヨナより後の預言者ナホムをもってニネベの滅亡を改めて警告されたのでしょう。

 

●2節.主は熱情の神、報復を行われる方。主は報復し、激しく怒られる。主は敵に報復し/仇に向かって怒りを抱かれる。
●3節.主は忍耐強く、その力は大きい。主は決して罰せずにはおられない。その道はつむじ風と嵐の中にあり/雲は御足の塵である。

 

 

 

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ニネベの陥落(1)(ナホム書を読む)

聖書箇所は、2章1節から14節です。
ナホムは幻を見ました。
それは、神に敵対する勢力であったアッシリアの首都ニネベが、バビロン・メディヤ連合軍によって完全に滅びる(アッシリアも)と言う神による宣告と幻です。

 

完全に滅びるとは、二ネベが歴史の中から完全に消え失せるということです。
これはすべて終末(終わりの日とかその日とも呼ばれています)に起こる「予型」となります。

 

つまり、ニネベの陥落は反キリスト(=獣)の滅びを示す型となっているのです。
そして、神の民イスラエルにかかわった諸国、すなわち、エジプト、アッシリア、バビロン、ペルシア、ギリシア、ローマの滅亡はすべて神が立ち向かわれた結果だと言うことです。

 

そしてこのことは神の歴史支配における主権を啓示していることになります。

 

●1節.見よ、良い知らせを伝え/平和を告げる者の足は山の上を行く。ユダよ、お前の祭りを祝い、誓願を果たせ。二度と、よこしまな者が/お前の土地を侵すことはない。彼らはすべて滅ぼされた。

 

「よこしまな者」は、「ならず者」「卑しい者」「悪い者」「堕落した者」「邪悪な者」「滅びの者」という意味で、神に敵対する存在(あるいは勢力)に適用されています。

 

 

 

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ニネベの陥落(2)(ナホム書を読む) 3章

聖書箇所は、3章1節から19節です。
●1節.災いだ、流血の町は。町のすべては偽りに覆われ、略奪に満ち/人を餌食にすることをやめない。
●2節.鞭の音、車輪の響く音/突進する馬、跳び駆ける戦車。
●3節.騎兵は突撃し/剣はきらめき、槍はひらめく。倒れる者はおびただしく/しかばねは山をなし、死体は数えきれない。人々は味方の死体につまずく。

 

新改訳は、「ああ。流血の町」と訳しています。
ニネベの町は、「流血の町」となります。

 

「町のすべては偽りに覆われ、略奪に満ち/人を餌食にすることをやめない。」と描かれています。
2節の「鞭の音、車輪の響く音/突進する馬、跳び駆ける戦車」は、非常にリアルな表現ですが、ナホムがこの様を幻で見たのでしょう。

 

3節には、死体が山となって積み上がり、「死体の数は数えきれない。人々は味方の死体につまずく。」と描かれています。
その様は、まさに彼らが他の国々対して行なっていたことなのです。

 

それは、「偽りに覆われ」ですから、約束をしても、条約を結んでもすぐに反故にして相手を襲ったことを指しているのでしょう。
それから「略奪」と「人を餌食」です。

 

これらの行為をニネベはやめなかったから、今、ニネベは主によって同じ目にあっているのです。
これはニネベに対する主の裁きの理由ですが、4節でもう一つの裁きに理由が記されています。それは淫行です。

 

●4節.呪文を唱えるあでやかな遊女の/果てしない淫行のゆえに/彼女がその呪文によって諸民族を/淫行によって国々をとりこにしたゆえに
新改訳は、「これは、すぐれて麗しい遊女、呪術を行なう女の多くの淫行によるものだ。彼女はその淫行によって国々を、その魅力によって諸部族を売った。」です。

 

 

 

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