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2022年2月17日 (木)

ソロモンの箴言(補遺)(25章)

聖書の箇所は、25章1節から28節です。
●1節.これらもまた、ソロモンの箴言である。ユダの王ヒゼキヤのもとにある人々が筆写した。
新改訳は、「次もまたソロモンの箴言であり、ユダの王ヒゼキヤの人々が書き写したものである。」です。

 

25章から29章も、後世の人たちが、ソロモンがこれらの箴言を書いた約250年後に、ヒゼキヤの配下にいた書記官らがまとめました。
ヒゼキヤは、主に従う人であったのでしょう。

 

そのヒゼキヤが知恵を得るために250年前のソロモンの箴言をまとめさせたのです。
王の職務と王として知っておかなければいけないことなどが中心に描かれています。

 

●2節.ことを隠すのは神の誉れ/ことを極めるのは王の誉れ。
新改訳は、「事を隠すのは神の誉れ。事を探るのは王の誉れ。」です。

 

事を隠すには神の誉であり、事を窮める(突詰める)のは、王の仕事なる誉である。
分かりにくいのですが、すべての知恵と知識を持っておられるのが神であり、神は、ご自分が良しとされる時にはその一部を人にも啓示されますが、多くの部分は私たちから隠しておられるのです。
王には御霊の働きによりそれを極めるための能力が与えられている。

 

●3節.天の高さと地の深さ、そして王の心の極め難さ。
新改訳は、「天が高く、地が深いように、王の心は測り知れない。」です。

 

天の高さ地の深さが極め難いように、神の奥義は人には極め難い、しかし、王は神の奥義を明らかにする(悟る)ことができるとしています。
「王の心が測り知れない」と言うのは、御霊の働きで、王は計り知れない天地創造の神の御心を知る能力、すなわち、霊的な事柄を探る特権とその知識に満足する特権が与えられています。

 

だから王の心は平安に満たされているのですが、他の人にはそれが理解できないと言うことでしょう。

 

 

●4節.銀から不純物を除け。そうすれば細工人は器を作ることができる。
新改訳は、「銀から、かなかすを除け。そうすれば、練られて良い器ができる。」です。

 

銀を精錬するには意味がある。その意味をつきとめるために、その汚れを取り去ると、「練られて良い器ができる。」。
この汚れた者を取り除く「精錬」に裁きの意味が込められているのかもしれませんね。

 

●5節.王の前から逆らう者を除け。そうすれば王位は正しく継承される。
新改訳は、「王の前から悪者を除け。そうすれば、その王座は義によって堅く据えられる。」です。

 

王座を不動のものにする意味があるので、王の前から、悪しき者を除け。
そうすれば、その位は正義によって堅く立つ。

 

●6節.王の前でうぬぼれるな。身分の高い人々の場に立とうとするな。
新改訳は、「王の前で横柄ぶってはならない。偉い人のいる所に立っていてはならない。」です。

 

王の前で、自ら高ぶってはならない、偉い人の場に立ってはならない。

 

●7節.高貴な人の前で下座に落とされるよりも/上座に着くようにと言われる方がよい。何ごとかを目にしても
新改訳は、「高貴な人の前で下に下げられるよりは、「ここに上って来なさい。」と言われるほうがよいからだ。あなたがその目で見たことを、」です。

 

高貴な人の前でその意味が解らず高ぶり下げられるよりは、「ここに上がれ」といわれるほうがましだ、でしょう。
自分よりも立場が上にある方に対して横柄な(高慢な)態度を取ることは、やがて恥を見ることになります。むしろ相手から招きを受ける時を待つことの方が善いのです。
新約聖書に、「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。(ルカ14章11節)」とありますね。

 

●8節.性急に争いの場に引き出そうとするな。そのため友人に嘲られることになったら/将来どうするつもりか。
新改訳は、「軽々しく訴えて出るな。そうでないと、あとになって、あなたの隣人があなたに恥ずかしい思いをさせたとき、あなたはどうしようとするのか。」です。

 

あなたが目に見たことを、軽々しく法廷に出してはならないと言うことでしょう。
隣人との争いの格言です。

 

王は、民事訴訟に対して裁判官の役割を果たしますが、ここはそのような隣人同士の争いについての知恵です。
8節は一つ目で、「軽々しく訴え出るな」ということです。

 

それは、当時は軽々しく訴え出る場合が多かったからでしょう。確たる根拠もなく訴えるのは、間違った判断のものです。

 

●9節.自分のことについて友人と言い争うのはよいが/他人の秘密を漏らしてはならない。
新改訳は、「あなたは隣人と争っても、他人の秘密を漏らしてはならない。」です。

 

隣り人と争うことがあるならば、ただその人と争えば良いので、その時に他人の秘密を漏らすようなことをしてはいけない。

 

●10節.それを聞いた人があなたを恥に落とし/あなたの悪評は去らないであろう。
新改訳は、「そうでないと、聞く者があなたを侮辱し、あなたの評判は取り返しのつかないほど悪くなる。」です。

 

公判の時に、「他人の秘密を漏ら」さないようにしないと、もし、他人の秘密を漏らすと、そのことを聞いた者が、わたしを「侮辱し、」、わたしの「評判は取り返しのつかないほど悪くなる。」です。
公判においてすべての真実を証言する必要がありますが、そうすれば、他人の秘密を漏らす危険が非常に大きくなりますので警告しています。

 

●11節.時宜にかなって語られる言葉は/銀細工に付けられた金のりんご。
新改訳は、「時宜にかなって語られることばは、銀の彫り物にはめられた金のりんごのようだ。」です。

 

時宜にかなって語る言葉は、「銀の彫り物にはめられた金のりんごのよう」ですから、要するに、世にも尊い言葉だと言っています。

 

●12節.聞き分ける耳に与えられる賢い懲らしめは/金の輪、純金の飾り。
新改訳は、「知恵のある叱責は、それを聞く者の耳にとって、金の耳輪、黄金の飾りのようだ。」です。

 

争いのときに口から出てくる言葉とは対照的に、時宜にかなって語られる言葉はとても貴重です。
「知恵のある叱責」(神に従って歩む人の)は、まさに時宜にかなって語られる言葉であると言うことができるでしょう。
知恵は、双方に和解を与えます。激しい対立のため、癒しがたい分裂が起こることを回避させます。
物事の限度や相手の心、また自分の立場と時宜を「わきまえ知ること」は、「知恵」なのです。

 

●13節.忠実な使者は遣わす人にとって/刈り入れの日の冷たい雪。主人の魂を生き返らせる。
新改訳は、「忠実な使者はこれを遣わす者にとって、夏の暑い日の冷たい雪のようだ。彼は主人の心を生き返らせる。」です。

 

忠実な使者はこれをつかわす者にとって、夏の暑い刈入れの日に冷やかな雪があるようだ。その主人の心を喜ばせるのです。
「刈り入れ」は、そのさばきの時の季節の状況を意味する言葉なのでしょう。

 

キリストの福音を他の人々に伝えるために遣わされている者は、主が再び戻って来られる時に、「あなたが命じられたことを行なってきました。」と報告することはできれば、それは主人であるイエス様の心を生き返らせることになります。

 

●14節.雨雲が垂れこめ風が吹くのに雨が降らない。与えもしない贈り物について吹聴する人。
新改訳は、「贈りもしない贈り物を自慢する者は、雨を降らせない雲や風のようだ。」です。

 

贈り物をすると偽って贈り物を誇る人は、雨のない雲と風のようだ。
「これこれをしてあげるよ。」と約束したのに、一向にそのことを行なわない人がいます。
これは期待している相手の心に非常に大きな落胆を与えます。

 

この落胆を、「雨のない雲と風」で表しています。
ここの比喩のように、雨を降らせない雲や風のようです。

 

●15節.忍耐強く対すれば隊長も誘いに応じる。穏やかに語る舌は骨をも砕く。
新改訳は、「忍耐強く説けば、首領も納得する。柔らかな舌は骨を砕く。」です。

 

忍耐強く世に説けば、世も君も言葉を受け入れる。やわらかに語る舌は、骨をも砕くのです。
他人に自分お意見を受け入れてもらおうと思うときは、柔和な言葉で忍耐強く訴えれることは有益です。

 

●16節.蜂蜜を見つけたら欲しいだけ食べるがよい。しかし食べ過ぎて吐き出すことにならぬように。
新改訳は、「蜜を見つけたら、十分、食べよ。しかし、食べすぎて吐き出すことがないように。」です。

 

「蜜」と言うのは、大切な言葉のことで、その大切な言葉を得たならば、ただ足るほどにこれを受け入れよ。そうすれば、おそらくはそれを知りすぎて、それを吐き出すであろう。

 

つまり、大切なことでも、知りすぎれば、嫌になり吐き出すという意味でしょう。
そのことを、蜂蜜がどんなに良いものであったとしても、適度に食べると「吐き出すこと」になってしまうと教えているのです。

 

いつも美味しいものを食べているとそれに慣れ、美味の感覚が麻痺してしまい、何を食べても美味しく感じられなくなります。
何事も、度を過ぎては良くないことを教えているのでしょう。「過ぎたるはなお及ばざるが如し」です。

 

●17節.友人の家に足を運ぶのはまれにせよ/飽きられ、嫌われることのないように。
新改訳は、「隣人の家に、足しげく通うな。彼があなたに飽きて、あなたを憎むことがないようにせよ。」です。

 

何事にも適当、バランスが必要と言っているのでしょう。
どれだけ良いこと事であっても、やりすぎるとかえって有害になります。

 

「足しげく通うな」ですから、良いことだと思い(寂しがっている)隣人の家に立ち寄ることはとても良いことですが、これをやりすぎると相手に負担になります。

 

「憎む」とは、「嫌う」は同義だと思いますので、たちえば、引っ越ししてきた若奥様が、近所の方に挨拶をしようと訪問したとき、訪問先の方から「ぜひ遊びに来てください」と言われたので、彼女はそのことばを挨拶用語だと知らずに、文字通り真に受けて尋ねて行ったら嫌な顔をされたというのと同じです。

 

新しい地での人の心、しきたりの空気を読めないと関係は築けません。

 

●18節.こん棒、剣、鋭い矢/友人に対して偽証を立てる者。
新改訳は、「隣人に対し、偽りの証言をする人は、こん棒、剣、また鋭い矢のようだ。」です。

 

その知り合いに敵対して、偽りのあかしを立てる人は、こん棒、つるぎ、または鋭い矢のようだ、と言うことでしょう。
要するに、隣人に偽りの証言をするのは、相手には苦痛でしかないことだと言っているのでしょう。
それゆえ、偽りの証しではなく、事実を伝えなさいと言うことでしょう。

 

●19節.悪い歯、よろめく足/苦難の襲うとき、欺く者を頼りにすること。
新改訳は、「苦難の日に、裏切り者に拠り頼むことは、悪い歯や、なえた足を頼みとするようなものだ。」です。

 

悩んでいるときに、不信実な者(裏切り者)を頼みにするのは、その者がその意味を全く本当のこととは考えていないのも事実です。
つまり、悪い歯、またはなえた足を頼みとする、すなわち、なんに救いにもならないと言うことでしょう。

 

●20節.寒い日に衣を脱がせる者/ソーダの上に酢を注ぐ者/苦しむ心に向かって歌をうたう者。
新改訳は、「心配している人の前で歌を歌うのは、寒い日に着物を脱ぐようであり、ソーダの上に酢を注ぐようなものだ。」です。

 

自分は良い隣人であると「心配している人」の前で歌を歌う(その人が欲していないこと)のは、「ソーダの上に酢を注ぐ」ですから、寒い日に着物を脱ぐようであり、また傷の上に酢をそそぐようだ。さらに痛みを植え付けることであると言っているのです。

 

相手は、「今はそういう状況ではない。」と強く訴えているのに、事情や状況をわきまえないで、独りよがりで、一般論や理想論を振りかざす人、完全に状況把握を間違えて、状況に合わないことを無邪気に行なっていく人、それも親切心という名目で行なう人のことでしょう。

 

●21節.あなたを憎む者が飢えているならパンを与えよ。渇いているなら水を飲ませよ。
新改訳は、「もしあなたを憎む者が飢えているなら、パンを食べさせ、渇いているなら、水を飲ませよ。」です。

 

もし、わたしの仇なる者が飢えているならば、食べ物を与えて食べさせ、もし乾いているならば、水を与えて飲ませよ、でしょう。

 

●22節.こうしてあなたは炭火を彼の頭に積む。そして主があなたに報いられる。
新改訳は、「あなたはこうして彼の頭に燃える炭火を積むことになり、主があなたに報いてくださる。」です。

 

要するに、「あなたを憎む者」に、考え方が誤っていることを悟らせるのです。主はあなたに報いられるのです。
神に従っている人に悪を行なうのは、神の裁きを招くのです。

 

迫害を受けている本人は、自分を迫害する人に善を行なうのですが、それでも迫害を加え続けることは、本人が、自分の良心に逆らって迫害を加えることですから、非常に辛いことです。
パウロは、ローマ12章19節から21節で、「善をもって悪に打ち勝ちなさい。」と言っています。

 

●23節.北風は雨をもたらし/陰口をたたく舌は憤りの表情をもたらす。
新改訳は、「北風は大雨を起こし、陰口をきく舌は人を怒らす。」です。

 

北風は雨を降らせて、陰言をいう舌、つまり、陰口を言う者は、人の顔を怒らしてしまう。
北風が吹くと大雨が来ることは、その地域にいる人は誰もが知っていることでしょう。
そのような強い因果関係が、陰口と怒りの間にもあると言っているのです。

 

●24節.いさかいの好きな妻と一緒に家にいるよりは/屋根の片隅に座っている方がよい。
新改訳は、「争い好きな女と社交場にいるよりは、屋根の片隅に住むほうがよい。」です。

 

争いを好む女というものは始末が悪く、その女と住むよりは、屋根のすみにおるほうがよいと言っているのです。
つつましい女性の価値を伝える言葉でしょう。

 

ソロモンは何度も女には気をつけろと警告しています。
女に弱い男、高い地位にある男には誘惑が多いので不可欠な言葉です。

 

●25節.渇いた喉に冷たい水、遠い地からの良い便り。
新改訳は、「遠い国からの良い消息は、疲れた人への冷たい水のようだ。」です。

 

海を離れた遠い国から来るよい消息、久しぶりに聞く遠方に住む友人や知人の消息を聞くことは、まさに疲れているときの冷たい水です。

 

●26節.泉が踏み汚され、水源が荒らされる。神に従う人が神に逆らう者の前によろめく。
新改訳は、「正しい人が悪者の前に屈服するのは、きたなくされた泉、荒らされた井戸のようだ。」です。

 

正しい者が悪い者の前に屈服するのは、井戸が濁ったよう、また泉がよごれたようなものだ、と言ってるのでしょう。
悪には妥協してはいけない、と言っているのですが、「屈服」ですから、ここまで耐え忍んできたのに、最後に屈してしまったら、汚くされた泉、荒らされた井戸のように、非常に残念なことです。

 

●27節.蜂蜜を食べ過ぎればうまさは失われる。名誉を追い求めれば名誉は失われる。
新改訳は、「あまり多くの蜜を食べるのはよくない。しかし、りっぱなことばは尊重しなければならない。」です。

 

多くの蜜の言葉(誉め言葉)を食べ過ぎると良くない。ほめる言葉は控えめにすることがよいのです。
新共同訳は、立派な言葉を名誉として、「名誉を追い求めれば名誉は失われる。」となっています。

 

箴言は、富よりも名誉のほうが大事であるとしていますが、同時に、よいものであってもバランスを崩すと悪くなるとも教えています。
「名誉を追い求めれば名誉は失われる。」と言うのは、名誉のための名誉を追い求めて、名誉が自己目的化したら、その時点で名誉は失われる(この人は名誉が一番なのだと思われて、)のです。

 

一言で言えば、物事の限度をわきまえ知ることと同時に、どんな親しい間柄であっても、相手の心をよめず、場の空気を読めないことは大切な関係を壊してしまうことになると言うことでしょう。

 

●28節.侵略されて城壁の滅びた町。自分の霊を制しえない人。
新改訳は、「自分の心を制することができない人は、城壁のない、打ちこわされた町のようだ。」です。

 

自分の心を制しない人は、城壁のない破れた城のようなのです。
自分の心を制するは、節制を持つことで心にバランスが与えられ、行き過ぎから守られます。

 

「制すること」「抑えること」「抑制すること」のできない人が、城壁のない、まさに打ち壊された廃墟の町としてたとえられています。
即ち、当時の町は皆城壁で守られていましたから、それが壊れると敵からの攻撃にさらされ、町は崩壊し廃墟となります。

 

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