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2022年2月11日 (金)

アグルの言葉(30章)

聖書の箇所は、30章1節から33節です。
30章と31章の著者は、ソロモンの言葉ではありません。
この二つの章が、これまでの箴言のまとめで、30章では自分に知恵が欠けていることの告白から始まり、31章では、知恵のあるすぐれた女が登場します。

 

●1節.ヤケの子アグルの言葉。託宣。この人は言う、神よ、わたしは疲れた。神よ、わたしは疲れ果てた。
新改訳は、「マサの人ヤケの子アグルのことば。イティエルに告げ、イティエルとウカルに告げたことば。」です。

 

「マサの人ヤケの子アグルのことば」となっています。
このアグルを聖書で検索しましたが、ここに出てくる以外ありませんでした。
ソロモンの箴言を読んで影響を受けている人なのでしょう。

 

●2節.まことに、わたしはだれよりも粗野で/人間としての分別もない。
新改訳は、「確かに、私は人間の中でも最も愚かで、私には人間の悟りがない。」です。

 

わたしは確かに人間の中で最も愚かで、人間の悟りがない。
なぜならば、その心は「神よ、わたしは疲れた。神よ、わたしは疲れ果てた。」と叫んでおり、
苦渋に満ちている状態だからだ。

 

●3節.知恵を教えられたこともなく/聖なる方を知ることもできない。
新改訳は、「私はまだ知恵も学ばず、聖なる方の知識も知らない。」です。

 

なぜならば、主が言われる意味は、完全であれといわれるからいまだに到達していない気がする、でしょうか。
彼は自分は「人間の中で最も愚かだ」と言っています。
そして彼は、「聖なる方の知識も知らない」と言っています。

 

 

●4節.天に昇り、また降った者は誰か。その手の内に風を集め/その衣に水を包むものは誰か。地の果てを定めたものは誰か。その名は何というのか。その子の名は何というのか。あなたは知っているのか。
新改訳は、「だれが天に上り、また降りて来ただろうか。だれが風をたなごころに集めただろうか。だれが水を衣のうちに包んだだろうか。だれが地のすべての限界を堅く定めただろうか。その名は何か、その子の名は何か。あなたは確かに知っている。」です。

 

天地創造の経緯です。
知恵は、天地を創造した、という話です。
天地を創造した知恵に対し、「その子の名は何か。」とアガルは言っています。
天地創造の神に子がいることを言及しているのです。

 

神に独り子、で思い出すのはナザレ人イエスです。
新約聖書のコロサイの信徒への手紙に次のようなパウロの言葉があります。
「御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。

 

天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。


御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。
また、御子はその体である教会の頭です。御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです。

 

神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、
その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。」(コロサイの信徒への手紙 1:15-20)

 

●5節.神の言われることはすべて清い。身を寄せればそれは盾となる。
新改訳は、「神のことばは、すべて純粋。神は拠り頼む者の盾。」です。

 

「純粋」と言うのは、真実とも読めます。
神の言葉から離れると生きることはできないとアグルは悟ったのです。

 

●6節.神の言われることはすべて清い。身を寄せればそれは盾となる。
新改訳は、「神のことばにつけ足しをしてはならない。神が、あなたを責めないように、あなたがまやかし者とされないように。」です。

 

神の知識と知恵に圧倒され、自分が愚かであることを悟ったアグルは、自分の拠り所を神の御言葉と決めていました。
アグルは、自分が人間の中で一番愚かであることを悟り、その上で必死で知恵にすがります。


そして神の言葉は純粋(真実)だとし、「付け足しをしてはならない」とアグルは言っています。
黙示録22章18節にも、付け加えてはならない、取り除いてもいけない、という戒めが最後に書かれています。

 

●7節.二つのことをあなたに願います。わたしが死ぬまで、それを拒まないでください。
新改訳は、「二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。」です。

 

アグルの二つの願いは、8節にあります。

 

●8節.むなしいもの、偽りの言葉を/わたしから遠ざけてください。貧しくもせず、金持ちにもせず/わたしのために定められたパンで/わたしを養ってください。
新改訳は、「不信実と偽りとを私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。」です。

 

アグルの願った二つの願いの一つ目が,「不信実と偽りとを私から遠ざけてください」です。
二つ目は,「私に定められた分の食物で私を養ってください」です。
なぜそのような願いをするのか、それは,神の御名があがめることの出来るために,食物を与えてくださいと言うのが,アグルの願いでしょう。

 

●9節.飽き足りれば、裏切り/主など何者か、と言うおそれがあります。貧しければ、盗みを働き/わたしの神の御名を汚しかねません。
新改訳は、「私が食べ飽きて、あなたを否み、「主とはだれだ。」と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。」です。

 

8節の二つの願いをするのは、
その事実を知りすぎて、飽き足りて、あなたを知らないと言ったり、「主とはだれか」と言うことのないために常にその意味を抱いて生きるしかないのです。

 

また貧しくて盗みをし、貧困に置かれている苦しい状況なので、あるべきわたしの神の名を汚すことのないためです。
富について、財産について、自分の弱さを知っている彼は、「富も貧しさも与えないで下さい」と願っています。


アグルは、貧しくなったら盗みをして、神の御名を怪我してしまうかもしれない、富んだら神を忘れてしまうかもしれない、と神を思うゆえに、どちらにもしないでください、と願っているのです。

 

●10節.僕のことを主人に中傷してはならない。彼はあなたを呪い、あなたは罪に定められる。
新改訳は、「しもべのことを、その主人に中傷してはならない。そうでないと、彼はあなたをのろい、あなたは罰せられる。」です。

 

僕のことを主人に中傷してはいけないと言っていますが、要するに、「他の人のことは、主に任せなさい。」ということでしょう。
本人と神との間の関係のことであるのに、おせっかいして、その問題に関わろうとするのは知恵のないことです。

 

●11節.父を呪い、母を祝福しない世代
新改訳は、「自分の父をのろい、自分の母を祝福しない世代。」です。
●12節.自分を清いものと見なし/自分の汚物を洗い落とさぬ世代
新改訳は、「自分をきよいと見、汚れを洗わない世代。」です。

 

すなわち、世の中には、自分を清い者として、不正にまみれているのに、なおその汚れを洗われないもの、それが人間である、と言うことでしょう。

 

●13節.目つきは高慢で、まなざしの驕った世代
新改訳は、「なんとも、その目が高く、まぶたが上がっている世代。」です。

 

世にはまた、このような人がある。その目がいかに高きことよ、またそのまぶたがいかにつりあがっていることよ。
それは、常に怒りに満ちている状況にあるからだ。
悟りを得ていない人は自ら高ぶり、常に怒りに満ちている。

 

●14節.歯は剣、牙は刃物の世代/それは貧しい人を食らい尽くして土地を奪い/乏しい人を食らい尽くして命を奪う。
新改訳は、「歯が剣のようで、きばが刀のような世代。彼らは地の苦しむ者を、人のうちの貧しい者を食い尽くす。」です。

 

アグルが当時の世代を見て、出てきた言葉でしょう。
今の資本主義社会の真実の姿です。少しでも緩和されることを望むものです。
苦しむ者を地の上から、貧しい者を人の中から食いつくし滅ぼす。

 

●15節.蛭の娘はふたり。その名は「与えよ」と「与えよ。」飽くことを知らぬものは三つ。十分だと言わぬものは四つ。
新改訳は、「蛭にはふたりの娘がいて、「くれろ、くれろ。」と言う。飽くことを知らないものが、三つある。いや、四つあって、「もう十分だ。」と言わない。」です。


限度の知らない状態を吸血の虫、蛭の娘に喩えています。

 

●16節.陰府、不妊の胎、水に飽いたことのない土地/決して十分だと言わない火。
新改訳は、「よみと、不妊の胎、水に飽くことを知らない地と、「もう十分だ。」と言わない火。」です。

 

「陰府」は、死者を飲み込むところで飽くことを知らない状態を指すのでしょう。必ずいつでも人々が死ぬので、死者は絶えません。
「不妊の胎」は、常に子を産みたいという叫びを上げていることを指しているのでしょう。

 

「水に飽くことを知らない大地」は、いつも乾燥しているイスラエルの土地のことを言っているのでしょう。
イスラエルの土地はいつも乾燥しているので、水を渇望しています。


最後に「火」ですが、土地が乾燥しているので、火事、山火事が多いことを言っているのでしょう。

 

●17節.父を嘲笑い、母への従順を侮る者の目は/谷の烏がえぐり出し、鷲の雛がついばむ。
新改訳は、「自分の父をあざけり、母への従順をさげすむ目は、谷の烏にえぐりとられ、わしの子に食われる。」です。

 

両親を敬わない子供のその心は、自分のやり放題のことをしたいという子の欲望です。
そしてそれに対する罰は、谷の烏がこれをつつき出し、わしの子がこれを食べるのです。
即ち、猛禽に食われることですが、聖書はこれが神の裁きの現われの一つとして描いています。

 

●18節.わたしにとって、驚くべきことが三つ/知りえぬことが四つ。
新改訳は、「私にとって不思議なことが三つある。いや、四つあって、私はそれを知らない。」です。
●19節.天にある鷲の道/岩の上の蛇の道/大海の中の船の道/男がおとめに向かう道。
新改訳は、「天にあるわしの道、岩の上にある蛇の道、海の真中にある舟の道、おとめへの男の道。」です。

 

18節を受けて、わたしの知らない不思議なことの四つは、すなわち空を飛ぶはげたかの道、岩の上を這うへびの道、海をはしる舟の道、男の女にあう道がそれです。

 

共通することは、すぐに消えて、わからなくなる道筋です。
現実的な道は、 「おとめへの男の道。」ですから、此処は、おとめへの男の道を言い表したいために、後の三つのたとえを話しているんでしょう。

 

●20節.そうだ、姦通の女の道も。食べて口をぬぐい/何も悪いことはしていないと言う。
新改訳は、「姦通する女の道もそのとおり。彼女は食べて口をぬぐい、「私は不法を行なわなかった。」と言う。」です。

 

遊女の道もまたそうである。彼女は食べて、その口をぬぐって、わたしは何もわるいことはしない」と言う。
何の罪悪感もありません。本人には何の罪悪感もなく、不法を行なっているという意識もありません。現在を生きる女性にもこのような者が多く見られます。

 

●21節.三つのことに大地は震え/四つのことに耐ええない。
新改訳は、「この地は三つのことによって震える。いや、四つのことによって耐えられない。」です。
●22節.奴隷が王となること/神を知らぬ者がパンに飽き足りること
新改訳は、「奴隷が王となり、しれ者がパンに飽き、」です。

 

地は三つのことによって震える。いや、四つのことによって、耐えることができない。すなわち奴隷たる者が王となるようなことであり、愚かな者が食物に満ちて、何も困らずに食える意味である。

 

●23節.憎むべき女が夫を持つこと/はしためが女主人を継ぐこと。
新改訳は、「きらわれた女が夫を得、女奴隷が女主人の代わりとなることによって。」です。

 

22節に加えて、忌みきらわれた女が嫁に行き、はしためが女主人のあとにすわることである。これこそ、ろくなことはない、と言っています。
訓練されていない、管理する能力のない人がそのような立場に立ったら、恐ろしい事が起こるということでしょう。

 

●24節.この地上に小さなものが四つある。それは知恵者中の知恵者だ。
新改訳は、「この地上には小さいものが四つある。しかし、それは知恵者中の知恵者だ。」です。
●25節.蟻の一族は力はないが/夏の間にパンを備える。
新改訳は、「蟻は力のない種族だが、夏のうちに食糧を確保する。」です。

 

アグルは、「小さいものが四つ」、すなわち、身近に見ることができる昆虫や小動物に目を留めて、その賢さに驚いています。
一つ目は蟻です。蟻の道は悟りの学びの入り口です。蟻は力のない種類ですが、
その食糧を夏のうちに備えて準備を怠らないのです。

 

ここから得られる知恵は、前もって計画し、前もって備えることです。

 

●26節.岩狸の一族は強大ではないが/その住みかを岩壁に構えている。
新改訳は、「岩だぬきは強くない種族だが、その巣を岩間に設ける。」です。

 

岩だぬきもありと同様、強くない種類ですが、その家を岩につくることを、その頭で考え理解しています。
岩だぬきは、シリアハイラックスと呼ばれており、ウサギ程度の大きさしかないそうです。
けれども、岩間にその巣を設けているので外敵から身を避けることができます。

 

●27節.いなごには王はないが/隊を組んで一斉に出動する。
新改訳は、「いなごには王はないが、みな隊を組んで出て行く。」です。

 

今でも世界ではよく聞きます。いなごの群れによって、一帯が猛打撃を受けます。彼らに指揮するものはいませんが、行なっているのは、集団行動です。

 

●28節.やもりは手で捕まえられるが/王の宮殿に住んでいる。
新改訳は、「やもりは手でつかまえることができるが、王の宮殿にいる。」です。

 

王の宮殿にいれば、王よりも強い者でなければやもりを捕まえることができません。王の宮殿にいることで、敵から自分を守っているのです。
ここに出てくる小動物はみな、小さくて弱い存在として共通しています。アグルは、自分をこの小さくて弱い存在に喩えているのでしょう。

 

●29節.足取りの堂々としているものが三つ/堂々と歩くものが四つある。
新改訳は、「歩きぶりの堂々としているものが三つある。いや、その歩みの堂々としているものが四つある。」です。

 

「歩きぶりの堂々としているもの」ですから、その生きざまが威風堂々としているものを指しているのでしょう。

 

●30節.獣の中の雄、決して退かない獅子
新改訳は、「獣のうちで最も強く、何ものからも退かない雄獅子、」です。

 

最初に挙げている堂々としている生き物は獅子です。

 

●31節.腰に帯した男、そして雄山羊/だれにも手向かいさせない王。
新改訳は、「いばって歩くおんどりと、雄やぎ、軍隊を率いる王である。」です。
次にあげるのは、尾を立てて歩くおんどり、雄やぎ、その民の前をいばって歩く王がそれです。
●32節.増長して恥知らずになり/悪だくみをしているなら、手で口を覆え。
新改訳は、「もし、あなたが高ぶって、愚かなことをしたり、たくらんだりしたら、手を口に当てよ。」です。

 

要するに、その立場を逸脱して勘違いし、高ぶるようであれば、あるいは愚かなことをしたならば、あなたの手を口に当ててその言葉に終止符をうて、ですか。

 

●33節.乳脂を絞るとバターが出てくる。鼻を絞ると血が出てくる。怒りを絞ると争いが出てくる。
新改訳は、「乳をかき回すと凝乳ができる。鼻をねじると血が出る。怒りをかき回すと争いが起こる。」です。

 

要するに「怒りをかき回すと争いが起こる。」と言いたいのでしょう。
争いの根があるのが分かっているのに、それを煽るようなことを言うと、必ず争いが起こります。そのようなことはやめておきなさいと言うことでしょう。

 

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