賢人の言葉㈠(22章)
聖書の箇所は、22章17節から29節です。
●17節.耳を傾けて賢人たちの言葉を聞け。わたしの知識に心を向けよ。
新改訳は「耳を傾けて、知恵のある者のことばを聞け。あなたの心を私の知識に向けよ。」です。
あなたの耳を傾けて知恵ある者の言葉(優れた言葉)を聞き、主の語る言葉に耳を傾けよ、ですか。わたしへの神からの言葉になります。
「知恵ある者の言葉を聞き」、それを自分だけのものとするのではなく、人々に教えるため、伝えるために聞く、ということでしょう。
「心を向けよ」ですから、知恵ある言葉に耳を傾けて、積極的に注意して聞くことです。そして、「心を向け」ですから、頭だけで知的に聞くのではなく、心の部分、感情の深い部分を差し出すようにして聞きなさいとと言うことでしょう。
●18節.それをあなたの腹に納め/ひとつ残らず唇に備えておけば喜びを得る。
新改訳は、「これらをあなたのうちに保つなら、楽しいことだ。これらをみな、あなたのくちびるに備えておけ。」です。
これをあなたの腹に納め長く(忘れないで)保ち、「ひとつ残らず」あなたのくちびるに備えておくなら、その意味を悟るので、楽しいことだ、でしょうか。
「くちびるに備えて」ですから、その言葉の意味を「ひとつ残らず」語るなら、と言うことでしょう。
「これを」と言うのは、もちろん神の言葉を指します。
●19節.あなたが主に信頼する者となるように/今日、あなたに教えを与えよう。
新改訳は、「あなたが主に拠り頼むことができるように、私はきょう、特にあなたに教える。」です。
18節のみ言葉を行う意味がここに書かれています。
それは、「あなたが主に拠り頼むことができるよう」にと言うことです。
主が自分のうちに満ちてくださることを願うのです。
「私はきょう、特にあなたに教える。」と言うのは、次節以下の格言を言っているのでしょう。
●20節.わたしの意見と知識に従って三十句/あなたのために書きつけようではないか。
新改訳は、「私はあなたのために、勧告と知識についての三十句を書いたではないか。」です。
わたしは、勧告と知識との三十の言葉をあなたのために書いたではないか、でしょう。
22章22節から24章22節までにちょうど30個の格言があります。
●21節.真理とまことの言葉をあなたに知らせるために/まことの言葉をあなたの使者に持ち帰らせよう。
新改訳は、「これはあなたに真理のことばの確かさを教え、あなたを遣わした者に真理のことばを持ち帰らせるためである。」です。
ここは20節の30句を受けてと言うことでしょう。
この30句を研究し知り得たことは、それは真理の言葉であり、確かであることです。
そこには驚愕の事実が記されていて、それはあなたを遣わした者に真理の言葉を持ち帰らせるためであった、でしょうか。
19節から21節を纏めてみると。
30句の教えについてはこの後に出てくるが、これらの知恵の言葉は、それを聞いて心に留める人にどのような恩恵をもたらすのだろうか。
ひとつは、神を信頼することができるようになるということ。
もう一つは、真理のことば、つまり神のみ言葉が確かなものであることを知ることができ、またそのみ言葉でもって人々に語ることができるようになるということ。
もしかしたら知恵の言葉は、神と人とを結びつけるためにあるのかもしれない。
●22節.弱い人を搾取するな、弱いのをよいことにして。貧しい人を城門で踏みにじってはならない。
新改訳は、「貧しい者を、彼が貧しいからといって、かすめ取るな。悩む者を門のところで押えつけるな。」です。
1つ目の格言です。
貧しい者から貧しいと言うことを理由にかすめ取ってはならない。悩む者を、町の門でおさえつけてはならない、です。
貧しい人、力のない人は、利用されやすいです。
「門のところで押さえつける」とありますが、当時の門は売買の交渉や法的手続きを取るところでしたので、これは裁判所で弱い者を取り押さえる、ということになります。
裁判はお金がある人が勝つという現実があったのでしょう。
●23節.主は彼らに代わって争い/彼らの命を奪う者の命を、奪われるであろう。
新改訳は、「主が彼らの訴えを弁護し、彼らを奪う者のいのちを奪うからだ。」です。
22節のような貧しい者が奪われると言う社会の不正義があります。
貧しい人や力のない人は、あえいでいます。助けを求めています。
「主が彼らの訴えを弁護し」ですから、この叫びとあえぎを聞いているのは、全知全能の主、神です。
主が彼らの訴えを聞いて、「彼らを奪う者のいのちを奪う」、それは、主の民の命を取ろうとする愚かな者たちに、その罰を加え、滅ぼすためである。
●24節.怒りやすい者の友になるな。激しやすい者と交わるな。
新改訳は、「おこりっぽい者と交わるな。激しやすい者といっしょに行くな。」です。
●25節.彼らの道に親しんで/あなたの魂を罠に落としてはならない。
新改訳は、「あなたがそのならわしにならって、自分自身がわなにかかるといけないから。」です。
怒りやすい者と友になるな、激しやすい者と交わるなでしょう。
それは、共に歩んでも害があるのみで、みずから、わなに陥ることのないためです。
24節は、2つ目の格言です。
怒りっぽい者と「交わるな」「いっしょに行くな」です。
そうすれば、自分自身がわなにかかる、つまりその怒りと憤りの感情の中から抜け出せなくなります。同じことを自分も他者に対しするようになると言うことでしょう。
●26節.手を打って誓うな、負債の保証をするな。
新改訳は、「あなたは人と誓約をしてはならない。他人の負債の保証人となってはならない。」です。
●27節.償うための物があなたになければ/敷いている寝床まで取り上げられるであろう。
新改訳は、「あなたに、償うものがないとき、人があなたの下から寝床を奪い取ってもよかろうか。」です。
26節が、3つ目の格言です。
連帯保証人にならないようにという戒めです。
あなたが連帯保証人として債務者のために償うものがないとき、あなたの寝ている寝床までも、人が奪い取ってよかろうか。
要するに、懲罰が下り、その言葉の咎を負うものは、己の回心しかないのである。
●28節.昔からの地境を移してはならない/先祖の定めたものなのだから。
新改訳は、「あなたの先祖が立てた昔からの地境を移してはならない。」です。
4つ目の格言です。先祖の土地の地境を移すな、です。
当時の土地の境界線は、その端に石が積み上げられていただけでしたので、それを夜にこっそり動かして、自分の土地を広げ、隣人の土地を狭めることもできました。
これをしてはならない、と教えているのです。
イスラエルは、主によって与えられた土地ですから、先祖が立てた地境は、すなわち主によって割り当てられた土地です。
主の約束がその通りであることを示す地境であり、それを動かすことは、他人のものを騙し取ることであると同時に主のものに手を触れることにもなります。
なお、心正しく生きてきた者は、その先祖の教えを変えてはならない、ということにもとれます。
●29節.技に熟練している人を観察せよ。彼は王侯に仕え/怪しげな者に仕えることはない。
新改訳は、「じょうずな仕事をする人を見たことがあるか。その人は王の前には立つが、身分の卑しい人の前には立たない。」です。
5つ目の格言です。勤勉人が王の前に立つ意味です。
「じょうずな仕事」とありますが、「勤勉に仕事をする」と言い換えたほうが分かるでしょう。
勤勉な人が王の前に立つと言うのは、身分が上がるということでしょう。
要するに、「身分の卑しい人」ですから、己の欲望に負けて、食べることに執着し、酒を飲むことに執着して、品位に欠けて、下品なことを言うものはその前に立つことはない。
「卑しい人」と言うのは、品位に欠けている。下品であることを指します。
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