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2022年1月20日 (木)

賢人の言葉㈠(23章)

聖書の箇所は、23章1節から35節です。
●1節.支配者と共に食卓に着いたなら/何に直面しているのかをよく理解せよ。
新改訳は、「あなたが支配者と食事の席に着くときは、あなたの前にある物に、よく注意するがよい。」です。

 

6つ目の格言です。大食の戒めです。
支配者と共に座って食事をするとき、あなたがなぜ招かれたかをよくわきまえなさいと言うことでしょう。コメントは3節で

 

●2節.あなたが食欲おうせいな人間なら/自分の喉にナイフを突きつけたも同じだ。
新改訳は、「あなたが食欲の盛んな人であるなら、あなたののどに短刀を当てよ。」です。

 

あなたがもし、食欲の盛んな人であるなら、その食欲旺盛に負けないで、その食事に心を奪われてはならないという意味でしょう。コメントは3節で

 

●3節.供される珍味をむさぼるな、それは欺きのパンだ。
新改訳は、「そのごちそうをほしがってはならない。それはまやかす食物だから。」です。

 

その御馳走をむさぼり食べることをしてはならない。なぜならばその食事が人を欺く食事であるからです。
1節から3節は、大食に対する戒めです。

 

 

 

支配者や身分の高い人の会食に自分が招かれますと、そこには自分が目にしたことのない豪華な料理が並んでいます。それを貪って食べるなという意味です。

 

自分が食卓に招かれたのは、自分の勤勉さの結果であり、王の感謝の意ですが、その食事を前にしても、これまで保ってきた節制や慎み深さを崩すことのないようにしなさい、という戒めでしょう。

 

●4節.富を得ようとして労するな/分別をもって、やめておくがよい。
新改訳は、「富を得ようと苦労してはならない。自分の悟りによって、これをやめよ。」です。

 

7つ目の格言です。勉に働くことによって富を持つことを教えています。
富(お金)を得ようとして苦労してはならない。賢く思いとどまることをしなくてはいけない。
勤勉に働くことによって富を持つことを箴言は教えていますが、「ならば、金持ちになるために一生懸命働こう。」と考えたら間違いなのです。
そうするとどのようになるかが書いてあります。

 

●5節.目をそらすや否や、富は消え去る。鷲のように翼を生やして、天に飛び去る。
新改訳は、「あなたがこれに目を留めると、それはもうないではないか。富は必ず翼をつけて、わしのように天へ飛んで行く。」です。

 

あなたの目をその富に留めたときにはそれはもう存在しない、富(お金)は、たちまち自ら翼が生えるように、ワシのようになり、天に飛び去ってしまう。
富を追い求めれば富が去っていきます。けれども勤勉であれば富は与えられます。

 

●6節.強欲な者のパンを食べようとするな。供される珍味をむさぼるな。
新改訳は、「貪欲な人の食物を食べるな。彼のごちそうを欲しがるな。」です。

 

8つ目の格言です。貪欲というよりも、けちな人の食事を食べるなです。
貪欲な人のパン(勧める食事)を食べてはならない。そのパンを食べるのを遠慮しなさいと言う意味でしょう。
「貪欲な人」の直訳は、「目つきが悪い人」だと言うことです。

 

●7節.彼はその欲望が示すとおりの人間だ。「食べるがよい、飲むがよい」と言っても/心はあなたを思ってはいない。
新改訳は、「彼は、心のうちでは勘定ずくだから。あなたに、「食え、飲め。」と言っても、その心はあなたとともにない。」です。

 

彼は計算高いケチな人だから、「食え、飲め」とあなたに言うけれども、惜しみなく与えることをしません。いつも計算しています。
そういう人は、口では「たくさん食べてくださいね。」と言っていますが、その言葉を鵜呑みにしてたくさん食べたら、喜ぶのではなくかえって嫌悪します。
その人の心はあなたと共にないのです。

 

●8節.あなたは食べたものを吐き出すことになり/あなたが親切に言ったことも台無しになる。
新改訳は、「あなたは、食べた食物を吐き出し、あなたの快いことばをむだにする。」です。

 

その言葉の意味を知り、あなたはついにその食べた物を吐き出すようになるのです。
あなたの心のこもった言葉もむだになるのです。

 

●9節.愚か者の耳に語りかけるな/あなたの見識ある言葉を侮るだけだから。
新改訳は、「愚かな者に話しかけるな。彼はあなたの思慮深いことばをさげすむからだ。」です。

 

9つ目の格言です。豚に真珠と同じ意味でしょう。

 

●10節.昔からの地境を移してはならない。みなしごの畑を侵してはならない。新改訳は、「昔からの地境を移してはならない。みなしごの畑にはいり込んではならない。」です。

 

10番目の格言です。
「地境を移してはならない。」は、前にも出てきましたが、ここでは「みなしごの畑」に特化して同じことを言っています。
親のない者の、その領域を侵してはならない。

 

●11節.彼らを贖う神は強く/彼らに代わってあなたと争われるであろう。
新改訳は、「彼らの贖い主は力強く、あなたに対する彼らの訴えを弁護されるからだ。」です。

 

早く父を失った子が持っている畑を、その弱さに付け込んで地境を移すようなことをしたら、主が激しい怒りをもってあなたに臨まれる、ということでしょう。

 

神はみなしごの土地をご自身が贖っておられる、ということでしょう。
弱い立場にいる人々を見るとき、そこには力強い主がともにおられることを忘れてはいけないと言うことでしょう。

 

●12節.あなたの心を諭しの言葉に/耳を知識の言葉に傾けよ。
新改訳は「あなたは訓戒に意を用い、知識のことばに耳を傾けよ。」です。

 

知識に満ちた神の言葉に聞き従うことを、神はわたしに望んでおられるのです。
11番目の格言を聞く前に、格言をしっかりと聞きなさいと、再確認されています。

 

●13節.若者を諭すのを控えてはならない。鞭打っても、死ぬことはない。
新改訳は、「子どもを懲らすことを差し控えてはならない。むちで打っても、彼は死ぬことはない。」です。

 

11番目の格言です。子供の躾の必要です。

 

●14節.鞭打てば、彼の魂を陰府から救うことになる。
新改訳は、「あなたがむちで彼を打つなら、彼のいのちをよみから救うことができる。」です。

 

もし、鞭で彼を打つならば、あなたの懲らしめの言葉で彼が自分の過ちに気が付いたら、その命を陰府(滅び)から救うことができます。
子供に対する躾についての教えです。

 

13節で主は、懲らしめのために「むちで打っても、彼は死ぬことはない」と言っていますが、かえって、その命を陰府から救うことができる働きを持っていると言うことです。

 

懲らしめの意味は、回心であり罪からの救いです。罰ではないのです。
何度説得しても、罪を犯している本人がその罪を手放さないならば、その手を切ってでも、その人を救い出さなければいけません。
そのその手を切る行為が懲らしめとなるのです。

 

もし、その者が罪から離れていれば何の問題もありませんが、そうでなければ、主が懲らしめられます。

 

●15節.わが子よ、あなたの心が知恵を得れば/わたしの心は喜び祝う。
新改訳は、「わが子よ。もし、あなたの心に知恵があれば、私の心も喜び、」です。

 

12番目の格言です。
もしあなたの心が賢ければ、愚かなことから背を向け、賢く世のために尽くすことである。それによってわたしの心もまた喜ぶのです。

 

●16節.あなたの唇が公正に語れば/わたしのはらわたは喜び躍る。
新改訳は、「あなたのくちびるが正しいことを語るなら、私の心はおどる。」です。

 

もし、あなたの唇がよこしまな想いから脱して、正しい事を言うならば、わたしの心も喜ぶのです。
12番目の格言は、知恵のある子を持つ親の気持ちでしょう。

 

●17節.罪人らのことに心を燃やすことはない/日ごと、主を畏れることに心を燃やすがよい。
新改訳は、「あなたは心のうちで罪人をねたんではならない。ただ主をいつも恐れていよ。」です。

 

13番目の格言です。罪びとが栄えるのを見てうらやむのを諭しています。
「ねたむ」とは、他人の身の上や持物が自分より恵まれているように見えて、自分もそうなりたいと思う心と言えます。
私たちは罪人が栄えているのを見て、「あんな罪を犯しているのに、楽しそうになっているな。何の問題も起こってなさそうだな。」と思い、うらやむときがあります。

 

けれども、そのような自分の気持ちを捨てて、主を恐れなさいと言うことでしょう。
そのような彼にも必ず終わりがあります。そして滅びます。
ここでは、「ねたむ」「心を燃やす」ことが否定されています。

 

神を信じていない者が繁栄を誇り、贅沢な生活をし、何の不自由もなく、誰もがうらやむような生活をしているのを見たときに、そのような心になってしまうことがあります。

 

そして神様の不公平を恨むのです。
しかし、箴言は、「暴虐の者をうらやむな。」「悪い者たちをねたんではならない。彼らとともにいることを望んではならない。」、「悪を行う者に対して腹を立てるな。悪者に対してねたみを起こすな。」と諭しています。

 

そして、「主を畏れることに心を燃やすこと」を諭しています。
神を畏れない見かけだけの華やかさに、目や心が奪われてはならないことを教えてそのためには神のご計画の究極、つまり終わりがあることを常に知っておくことでしょう。

 

「終わり」があるということは、「始まり」があります。
天と地の基が置かれる前から、神のご計画とみこころ、そして神の御旨と目的があり、それは必ずや終わりに実現するということです。

 

●18節.確かに未来はある/あなたの希望が断たれることはない。
新改訳は、「確かに終わりがある。あなたの望みは断ち切られることはない。」です。

 

必ず、「終わりがある」ので、後にはよい報いがあって、あなたの望みである正義は絶ち切られることはないのです。

 

●19節.わが子よ、聞き従って知恵を得よ。あなたの心が道をまっすぐに進むようにせよ。
新改訳は、「わが子よ。よく聞いて、知恵を得、あなたの心に、まっすぐ道を歩ませよ。」です。

 

わが子よ、よく聞いて、神の伝える知恵を得よ、かつ、あなたの心を主の定めた道を歩ませよ。

 

●20節.大酒を飲むな、身を持ち崩すな。
新改訳は、「大酒飲みや、肉をむさぼり食う者と交わるな。」です。

 

酒と肉をたしなむことは、主は嫌われるのです。
14番目の格言です。酒と肉を貪り食うことの戒めです。

 

●21節.大酒を飲み、身を持ち崩す者は貧乏になり/惰眠をむさぼる者はぼろをまとう。
新改訳は、「大酒飲みとむさぼり食う者とは貧しくなり、惰眠をむさぼる者は、ぼろをまとうようになるからだ。」です。

 

大酒飲みと、肉をたしなむ者は、ともに貧しくなり、惰眠をむさぼる者は、働かないからぼろを身にまとうようになるのです。
20章からお酒の話題です。

 

ここでは酒と肉を貪り食うことが一緒に述べられていますが、居酒屋で焼肉を食べながら酒を飲み酔っ払っている姿を思い浮かべます。
ただし、ここで言っている「大酒飲み」は、二日酔いではなくアル中を指しているのでしょう。
「貧しくなる」ですから、アルコールや肉の摂取のしすぎで健康を害し、働けなくなり貧しくなるのです。

 

●22節.父に聞き従え、生みの親である父に。母が年老いても侮ってはならない。
新改訳は、「あなたを生んだ父の言うことを聞け。あなたの年老いた母をさげすんではならない。」です。

 

15番目の格言です。父と母を敬うことです。
あなたを生んだ父(主なる神)のいうことを聞き、年老いた母親のことを軽んじてはならない、でしょう。
父と母を敬うことですが、「年老いた母」ですから、自分が一人前になって母が年老いても、自分を生んだ両親のことを忘れてはいけないということでしょう。

 

●23節.真理を得よ、知恵も諭しも分別も手放すな。
新改訳は、「真理を買え。それを売ってはならない。知恵と訓戒と悟りも。」です。

 

真理を買うように苦労して理解し、これを己の物として売ってはならない、知恵と教訓と悟りをも真理と同じように買え。

 

●24節.神に従う人の父は大いに喜び躍り/知恵ある人の親は、その子によって楽しみを得る。
新改訳は、「正しい者の父は大いに楽しみ、知恵のある子を生んだ者はその子を喜ぶ。」です。

 

16番目の格言です。
12番目の格言と同じで、知恵のある子を持つ親の幸せです。
神に従う人(正しい人)の父は大いによろこび、知恵ある子を産む者は、このために喜ぶ。知らずに生んだ母は、やがて、その意味を知り喜ぶのです。

 

●25節.父が楽しみを得/あなたを生んだ母が喜び躍るようにせよ。
新改訳は、「あなたの父と母を喜ばせ、あなたを産んだ母を楽しませよ。」です。
親孝行は、知恵ある子に生まれることです。
わたしをこの世になした両親には、心配もかけたのだし、苦労も与えてしまった。

 

●26節.わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ。喜んでわたしの道に目を向けよ。
新改訳は、「わが子よ。あなたの心をわたしに向けよ。あなたの目は、わたしの道を見守れ。」です。

 

わが子よ、あなたの心をわたし(主)に与え、あなたの目をわたしの道(主の歩む道)を見守れ。

 

●27節.遊女は深い墓穴、異邦の女は狭い井戸だ。
新改訳は、「遊女は深い穴、見知らぬ女は狭い井戸だから。」です。

 

遊女遊びをかつてしたことがあるが、このような道は進んではいけない。

 

●28節.彼女は盗人のように待ち伏せし/繰り返し男たちを欺く。
新改訳は、「彼女は強盗のように待ち伏せて、人々の間に裏切り者を多くする。」です。

 

その女は盗み人のように、人を窺い、かつ世の人のうちに、不信実な者(ふまじめな者)を多くします。
17番目の格言です。売春婦や人妻に対する戒めです。
女のせいで人生を破壊した男たちは、数知れません。

 

●29節.不幸な者は誰か、嘆かわしい者は誰か/いさかいの絶えぬ者は誰か、愚痴を言う者は誰か/理由なく傷だらけになっているのは誰か/濁った目をしているのは誰か。
新改訳は、「わざわいのある者はだれか。嘆く者はだれか。争いを好む者はだれか。不平を言う者はだれか。ゆえなく傷を受ける者はだれか。血走った目をしている者はだれか。」です。

 

18番目の格言は、29節から35節で、再び酒がもたらす弊害です。
避けの弊害は、やがて、災いをもたらせ、嘆き、争い、不平、ゆえなく傷を受ける者、血走った目をする者を生みます。
聖書は、酒を一滴も飲むなとは言いませんが、否定的です。酒を飲みすぎると、健康を阻害し、神が願っておられる人生の祝福を破壊するからです。

 

●30節.それは、酒を飲んで夜更かしする者。混ぜ合わせた酒に深入りする者。
新改訳は、「ぶどう酒を飲みふける者、混ぜ合わせた酒の味見をしに行く者だ。」です。

 

酒を飲んで夜更かしするとか悲しみゆえ飲むようになると身の破滅をもたらします。「混ぜ合わせた酒の味見」は、酒の虜になってしまうことを言っているのでしょう。

 

●31節.酒を見つめるな。酒は赤く杯の中で輝き、滑らかに喉を下るが
新改訳は、「ぶどう酒が赤く、杯の中で輝き、なめらかにこぼれるとき、それを見てはならない。」です。

 

酒の魔力より逃れる者は利口です。

 

●32節.後になると、それは蛇のようにかみ/蝮の毒のように広がる。
新改訳は、「あとでは、これが蛇のようにかみつき、まむしのように刺す。」です。

 

酒の魔力に囚われれたときの表現ですが、すごい表現です。

 

●33節.目は異様なものを見/心に暴言をはき始める。
新改訳は、「あなたの目は、異様な物を見、あなたの心は、ねじれごとをしゃべり、」です。
32節の続きです。

 

●34節.海の真ん中に横たわっているかのように/綱の端にぶら下がっているかのようになる。
新改訳は、「海の真中で寝ている人のように、帆柱のてっぺんで寝ている人のようになる。」です。

 

酔いつぶれてなりふり構わずに寝てしまった時、何があっても起きない我を忘れた姿ですが、なんとなく想像できます。

 

●35節.「打たれたが痛くもない。たたかれたが感じもしない。酔いが醒めたらまたもっと酒を求めよう。」
新改訳は、「私はなぐられたが、痛くなかった。私はたたかれたが、知らなかった。いつ、私はさめるだろうか。もっと飲みたいものだ。」です。

 

34節からの続きですが、むかい酒ですか。
人がわたしを殴ったが、わたしは痛くなかったし、気が付かなかった。
わたしは何も覚えはない。いつわたしはさめるのか、もっと酒を飲みたいものだと言うことでしょう。
酒に惑わされる者は、その重要なる意味に気がつくことがないので滅びを招くのでしょう。

 

最後に、酒を飲みすぎるとどのような害があるかまとめてみます。
一つ目は、感情に害を及ぼす。嘆いたり悲しんだりです。
二つ目に、対人関係で、人間関係を悪くします。不平。不満・暴力です。
三つ目に肉体的な障害です。「ゆえなく傷を受ける」「血走った目」です。
自分が傷を受けても気が付かず、自分の目が血走っているのも知りません。
次にぶどう酒を見続けることへの警告です。
ぶどう酒は、見た目は良いのですが、飲むと「蛇のようにかみつき、まむしのように刺」すのです。
精神的な弊害は、幻覚、幻聴のような症状、無感覚、どこにでも寝てしまいます。

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