ソロモンの格言集18章
聖書の箇所は、18章1節から24節です。
●1節.離反する者は自分の欲望のみ追求する者。その事は、どんなに巧みにやってもすぐ知れる。
新改訳は、「おのれを閉ざす者は自分の欲望のままに求め、すべてのすぐれた知性と仲たがいする。」です。
人と交わりをしない者は、その言葉の中に交わらない口実を捜し、すべてのよい考えに反対し、批判ばかりを口にします。
それは自分の欲望を守るためであるのでしょう。人の意見を聞いていれば、自分の欲望は守れません。
おのれを他人から閉ざし、交わりを絶つと、人は自分の欲望のまま求めていくようになるのです。そして、「すべてのすぐれた知性と仲たがいする。」のです。
その最終的な言葉は理由なく「聞きたくない」という拒みの意思表示でしょう。
●2節.愚か者は英知を喜ばず/自分の心をさらけ出すことを喜ぶ。
新改訳は、「愚かな者は英知を喜ばない。ただ自分の意見だけを表わす。」です。
愚かな者は、人の言葉を、その意味の重要性を聞こうとしないで、ただ自分の意見を言うことにこだわります。
そして、受け入れられないと、激しく興奮して主張します。
人の話を聞くことよりも、己の意見を言うことを喜ぶのです。
●3節.神に逆らうことには侮りが伴い/軽蔑と共に恥辱が来る。
新改訳は、「悪者が来ると、侮りも来る。恥とともに、そしりも来る。
不名誉なる言葉をもたらす者が来ると、はずかしめという恥を受ける現実も共にくる。
不名誉な言葉は、激怒とともにくるので、忍耐はそのためにあるものです。
要するに、悪者はその意味を理解することができないので、怒りの言葉でその人物を侮り、自分がはずかしめを受ける結果を招くことになるのです。
しかし、本人はその現実に気が付いていない。
●4節.人の口の言葉は深い水。知恵の源から大河のように流れ出る。
新改訳は、「人の口のことばは深い水のようだ。知恵の泉はわいて流れる川のようだ。」です。
人の口の言葉は深い水のようである。知恵からの泉は、わいて出て流れる川のようである。
もちろん、この知恵と言うのは神と共に生きる者の心からわき出でた知恵を指すのでしょう。
●5節.神に従う人を裁きの座で押しのけ/神に逆らう人をひいきするのは良くない。
新改訳は、「悪者をえこひいきすることはよくない。正しい者をさばきのときに否むこともよくない。」です。
悪者をかばい、えこひいきすることはよくない。そのようなことをすれば、その人間がいつまでもつけあがるからです。
正しい者をさばいて、悪者とすることも良くない。それは不正な裁きであるからです。
●6節.愚か者の唇は争いをもたらし、口は殴打を招く。
新改訳は、「愚かな者のくちびるは争いを起こし、その口はむち打つ者を呼び寄せる。」です。
愚かな者のくちびるはつねに争いを起しうるもので、その口はむち打たれることを招く結果となるのです。
●7節.愚か者の口は破滅を/唇は罠を自分の魂にもたらす。
新改訳は「愚かな者の口は自分の滅びとなり、そのくちびるは自分のたましいのわなとなる。」です。
愚かな者の口(言葉)は、己の滅びにつながる原因となり、その悪しきくちびるがもたらした罰は、自分を捕えるわなとなるのです。
その言い放った意味が、最終的には神に聞こえるという事実を知らぬために、その呟いた事実で命の危険にさらされると言うことでしょう。
●8節.陰口は食べ物のように呑み込まれ/腹の隅々に下って行く。
新改訳は、「陰口をたたく者のことばは、おいしい食べ物のようだ。腹の奥に下っていく。」です。
陰で人の善し悪しを言う者の言葉は、おいしい食物のようで、腹の奥にしみこむ。悪口というものは、その場で腹の中に入り込むのですね。現実です。
●9節.仕事に手抜きする者は/それを破壊する者の兄弟だ。
新改訳は、「自分の仕事をなまける者は、滅びをもたらす者の兄弟である。」です。
自分の置かれた立場を悟ることなく、隠された意味に気がつくことなく、あるべき仕事を怠ることは、滅びをもたらす者の兄弟という立場に気が付いていない。
●10節.主の御名は力の塔。神に従う人はそこに走り寄り、高く上げられる。
新改訳は、「主の名は堅固なやぐら。正しい者はその中に走って行って安全である。」です。
主の名は堅固(かたく造られた不動の意味)なやぐらのようだ、正しい者はその中に走りこんで救を得るのです。
キリストにある者は、誘惑に陥りそうになったとき、肉に反応しそうになったとき、悪い者に取り囲まれて、どうすればよいか分からなくなったとき、主の名を呼びます。
そうすれば主が私たちのその場、その場に応じた必要になってくださり、私たちを守ってくださる。それが信仰でしょう。
●11節.財産は金持ちの砦、自分の彫像のそびえる城壁。
新改訳は、「富む者の財産はその堅固な城。自分ではそそり立つ城壁のように思っている。」です。
富んでいる人はとかく、自分の財産が自分を守ってくれると思っています。
「富む者の財産」と言うのは、神の知恵なる言葉に置き換えると、それは堅固な城であり、それは高き城壁のように彼を守るのです。
知恵の言葉の意味は、この世に重要な救いをもたらすのです。
●12節.破滅に先立つのは心の驕り。名誉に先立つのは謙遜。
新改訳は、「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。」です。
人の心の驕りは、滅びにさきだち、それだけ、高ぶりの感情は禁物でです。
その反対に、謙遜(素直な心)は、栄誉に先立ちます。
いかに謙虚に己を見つめ、その言葉に真実を見るかが問題なのでしょう。
●13節.聞き従う前に口答えをする者/無知と恥は彼のため。
新改訳は、「よく聞かないうちに返事をする者は、愚かであって、侮辱を受ける。」です。
他人の言葉をよく聞かないで、すぐに答える者は、愚かであって、その意味において恥をこうむることになるのです。
その言葉の真意を聞かず、全貌を知らぬので、最終的には頓珍漢の答えをして恥を被る事態となるのです。
●14節.人の霊は病にも耐える力があるが/沈みこんだ霊を誰が支えることができよう。
新改訳は、「人の心は病苦をも忍ぶ。しかし、ひしがれた心にだれが耐えるだろうか。」です。
人の心は病苦をも忍ぶ、病に立ち向かうには、そのように忍ぶ心も大切だが、心の痛むときは、だれがそれに耐えようか。
●15節.聡明な心は知識を獲得する。知恵ある耳は知識を追求する。
新改訳は、「悟りのある者の心は知識を得、知恵のある者の耳は知識を求める。」です。
悟りのある者の心は知識を得て、知恵ある者の耳は知識を求める。それは、その苦しみを克服する術を探すためです。
●16節.贈り物をすれば人の前途は開け/えらい人の前に彼を導く。
新改訳は、「人の贈り物はその人のために道を開き、高貴な人の前にも彼を導く。」です。
言葉通りでしょう。現実の世界です。
●17節.訴えごとを最初に出す人は正しく見えるが/相手方が登場すれば問いただされるであろう。
新改訳は、「最初に訴える者は、その相手が来て彼を調べるまでは、正しく見える。」です。
裁判というのは、何を訴えるかで、見えてくる話がどんどん変わっていきます。
最初に訴える人の話は、人に先入観を与え、判断する人の前提になりやすいです。
ですから、私たちは判断が必要とされたときには、早まった判断をしないように気をつけなければいけません。
●18節.くじはいさかいを鎮め/手ごわい者どうしも引き分ける。
新改訳は、「くじは争いをやめさせ、強い者の間を解決する。」です。
「くじは争いをやめさせ」るのは、公平だからです。
●19節.一度背かれれば、兄弟は砦のように/いさかいをすれば、城のかんぬきのようになる。
新改訳は、「反抗する兄弟は堅固な城よりも近寄りにくい。敵意は宮殿のかんぬきのようだ。」です。
「反抗する兄弟」、つまり、助けあう兄弟は堅固な城のようで、それだけ揺らぐことはないと言っています。
しかし争っている兄弟は、やぐらの貫の木のようだ、です。
貫の木ですが、扉が外から開けられないよう左右の扉に横向きに差し通す木のことでしょう。
●20節.人は口の結ぶ実によって腹を満たし/唇のもたらすものによって飽き足りる。
新改訳は、「人はその口の結ぶ実によって腹を満たし、そのくちびるによる収穫に満たされる。」です。
正しい思考と正しい言葉、それを身につけると人は成長する。やがてはその苦労も報われるということでしょう。徒労に終わることはないのです。
●21節.死も生も舌の力に支配される。舌を愛する者はその実りを食らう。
新改訳は、「死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。」です。
滅ぶのか生きるのかは、口から生まれる言葉によって支配されるのです。
言葉を愛する者にはその実りをもたらすのです。
要するに神の御言葉の意味を理解することにより命を得ると言うことでしょか。
●22節.妻を得るものは恵みを得る。主に喜び迎えられる。
新改訳は、「良い妻を見つける者はしあわせを見つけ、主からの恵みをいただく。」です。
独身である者が、良い妻を見つければ「主からの恵みをいただく。」のです。
つまり、妻を娶ることは、自分の人生に与える影響が大きいと言うことでしょう。
ところで、ひとりの「女性(妻)を見出した」ことが、なぜ、「しあわせを見出した」ことになるのでしょうか。
そのようであって欲しいと願いますが、現実は必ずしもそれがイコールとはなりません。
しかし、「主からの恵み」ですから、婚姻は神様からの祝福とみますと、それは、神によって造られた人(アダム)には多くの被造物を支配する権威が与えられます。
(すべて造られたものに「名を付けた」という事の中にその権威を見ることができます。)
神は相応しい助け手(パートナー)をアダムに与えるために、人を深い眠りの中に落として、彼のあばら骨の一部を抜き取って女(イッシャー)を造られ、それを人のところに連れて来られました。
そうしてはじめて人は「ふさわしい助け手」である妻を見出すことができたのです。
人は自分の妻であるイブを見て大いに喜び、二人は結ばれて一体となりました。
ですから、この夫婦は神の作品としての夫婦だと言えます。
このように、自分にふさわしい助け手を見出すことができて、彼がしあわせを見出したのには、その背景に神の御旨(祝福)があったことを伺わせます。
結婚は家庭の根幹です。結婚に対する神の目的。
それは、「男が父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となること」です。
この神の目的を正しく理解することが、祝福された結婚へと導かれることになると信じます。
●23節.物乞いをする者は哀願し/金持ちは横柄に答える。
新改訳は、「貧しい者は哀願するが、富む者は荒々しく答える。」です。
貧しい者と、富む者の違いの現実です。
貧しい者は、憐れみを請い、神の許しを得ることを願います。
富める者は、荒々しく答えて聞こうとしないので、その意味を悟らないのです。
神の貧困を対象とすると、その意味を悟らずに荒々しい答えをする者は命の危険にさらされるのです。
●24節.友の振りをする友もあり/兄弟よりも愛し、親密になる人もある。
新改訳は、「滅びに至らせる友人たちもあれば、兄弟よりも親密な者もいる。」です。
「友の振りをする」ですから、世には見せかけの友があり、「兄弟よりも親密」ですから、兄弟よりも、支えになり、頼もしい存在の友もある。
友情の深さ・浅さの幅が非常に大きいことを表しているのでしょう。
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