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2021年12月 4日 (土)

ソロモンの格言集15章

聖書の箇所は、15章1節から33節です。
●1節.柔らかな応答は憤りを静め/傷つける言葉は怒りをあおる。
新改訳は、「柔らかな答えは憤りを静める。しかし激しいことばは怒りを引き起こす。」です。

 

同じもののいい方でも、柔らかい心のこもった答えは相手の憤りを鎮めます。
反対に、激しい言葉で答えると相手の怒りを引き起こします。

 

意見が対立して、緊張した状態にあるときには、興奮して激しい言葉を使いがちです。
そのような時でも、柔らかい心でいることに知恵があります。

 

柔らかに答えれば、相手が怒っていてもそれを静めることができるし、逆に激しい言葉を使えば、相手が怒っていなくても相手を怒らせてしまいます。

 

●2節.知恵ある人の舌は知識を明らかに示し/愚か者の口は無知を注ぎ出す。
新改訳は、「知恵のある者の舌は知識をよく用い、愚かな者の口は愚かさを吐き出す。」です。

 

「知識をよく用い」と言うことは、知恵すなわち正しい事が何かを知っていても、それだけでは十分ではなく、いつ、どのようにその知識を使う、すなわち、知識は、知恵によって管理されなければいけないのです。

 

 

●3節.どこにも主の目は注がれ/善人をも悪人をも見ておられる。
新改訳は、「主の御目はどこにでもあり、悪人と善人とを見張っている。」です。

 

主の目はどこにでもあって、人を見ています。悪人と善人を見張っておられるのです。
それは、人に隠れてこっそり行なっている悪事についても、誰も知られないところで行なっている良いことについても言えます。

 

●4節. 癒しをもたらす舌は命の木。よこしまな舌は気力を砕く。
新改訳は、「穏やかな舌はいのちの木。偽りの舌はたましいの破滅。」です。

 

穏やかな言葉は、いのちの木を与える。偽りの言葉は、どこか高慢に映り相手の魂を傷つけるのです。
つまり、人々を立てるような言葉を使っているか、それとも見下すような言葉を使っているか吟味する必要があると言うことでしょう。

 

●5節.無知な者は父の諭しをないがしろにする。懲らしめを守る人は賢明さを増す。
新改訳は、「愚か者は自分の父の訓戒を侮る。叱責を大事にする者は利口になる。」です。

 

愚か者は、父(主)の教訓を軽んじます。叱責の言葉を受け止めて、それを守ることは賢明です。
聖書の教えは、子供が善悪の判断をするときに、親が神の知恵によって子供に代わって判断することが聖書の教えです。
そして成長するにしたがって子どもが自分で判断できるようにしていく、これが教育なのです。

 

●6節.神に従う人の家には多くの蓄えがある。神に逆らう者は収穫のときにも煩いがある。
新改訳は、「正しい者の家には多くの富がある。悪者の収穫は煩いをもたらす。」です。

 

ここの「多くの富」は、物質的な富ではなく、精神的、霊的な富を含めた全体的な富を指すのでしょう。
正しい者(神に従う者)の家には多くの富があり、悪しき者獲る富には煩いという悩みが与えられるのです。

 

●7節.知恵ある人の唇は知識をふりまく。愚か者の心は定まらない。
新改訳は、「知恵のある者のくちびるは知識を広める。愚かな者の心はそうではない。」です。

 

知恵ある者の唇からでる知識の言葉は、世の中に受け入れられて広がりますが。愚か者の心はその言葉を受け入れないのです。
多くの人々が参考にするのは、知恵のある人の言葉です。

 

●8節. 主は逆らう者のいけにえをいとい/正しい人の祈りを喜び迎えられる。新改訳は「悪者のいけにえは主に忌みきらわれる。正しい者の祈りは主に喜ばれる。」です。

 

悪者が供える物は、主に憎まれ、正しい者の心のこもった祈りは主に喜ばれるのです。

 

●9節.主は逆らう者の道をいとい/従うことを求める人を愛される。
新改訳は「主は悪者の行ないを忌みきらい、義を追い求める者を愛する。」です。

 

悪者の行い、すなわち、主は逆らう者の道は、その愚かさゆえ、忌み嫌われます。反対に正義を求める者(神に従う人)の行いは、神に愛されるのです。

 

●10節.道を捨てる者は諭しを不快に思う。懲らしめを憎む者は死に至る。
新改訳は、「正しい道を捨てる者にはきびしい懲らしめがあり、叱責を憎む者は死に至る。」です。

 

道を捨てる(主に従う道を)者には、厳しい懲らしめがあり、主の戒めを憎む者は、ついに死に至るのです。
罪を犯した者に対する懲らしめは、聖書によると、罪から離れさせるためであると書かれています。
けれども、その懲らしめである叱責をも憎むなら、残りは死しかありません。

 

●11節.陰府も滅びの国も主の御前にある。人の子らの心はなおのこと。
新改訳は、「陰府と滅びとは主の目の前にあり、人の心はなおさらである。」です。

 

死後の世界や地獄さえも神さまの前、つまりおられるのです。それならば、変わりやすい人の心にも神様がおられるのは当然です。
地獄にも神様がおられる証拠です。私はいつも言っているのですが、地獄も被造物ですから、そこには創造主である神様がおられるのは当たり前です。

 

●12節. 不遜な者は懲らしめられることを嫌い/知恵ある人のもとに行こうとしない。
新改訳は、「あざける者はしかってくれる者を愛さない。知恵のある者にも近づかない。」です。

 

あざける者は、戒めの言葉を、すなわち叱ってこれる人を好まないし、知恵ある者にも近づかない。人は、居心地の良い人と共にいたいものです。
それゆえ、真実を悟ることができなくなるのです。

 

●13節.心に喜びを抱けば顔は明るくなり/心に痛みがあれば霊は沈みこむ。
新改訳は、「心に喜びがあれば顔色を良くする。心に憂いがあれば気はふさぐ。」です。

 

その人の心の状態が顔に出ることを言っているのでしょう。
心が穏やかで喜びに満ちているならば、顔色も喜ばしい限りであるが、心に憂いがあれば気はふさがり、顔色は暗くなります。

 

●14節.聡明な心は知識を求め/愚か者の口は無知を友とする。
新改訳は、「悟りのある者の心は知識を求めるが、愚かな者の口は愚かさを食いあさる。」です。

 

ここは知識と愚かさの対比ですが、知識の場合は「求める」のですが、愚かさの場合は「食いあさる」の違いがあります。
「悟りのある者」の心は、知識の言葉をたずねますが、「愚かな者」の口は愚かさ(食い漁る)を食物とする。
食い漁ると言うのは、食べることばかりを考えて、そのバランスを意識できないことを言っているのでしょう。

 

●15節.貧しい人の一生は災いが多いが/心が朗らかなら、常に宴会にひとしい。
新改訳は、「悩む者には毎日が不吉の日であるが、心に楽しみのある人には毎日が宴会である。」です。

 

「悩む者」と「心に楽しみがある人」を比較して、心の状態によって、毎日見るものも変わってくると言っています。
同じもの、同じ出来事を見ても、それを悪く捉えるか、良く捉えるかは心の状態によって決まります。

 

悩む者の日々は、何を見ても何をしてもつらく、心に楽しみのある人は、何を見ても何をしても心は常に宴会をしているようで陽気です。

 

●16節. 財宝を多く持って恐怖のうちにあるよりは/乏しくても主を畏れる方がよい。
新改訳は、「わずかな物を持っていて主を恐れるのは、多くの財宝を持っていて恐慌があるのにまさる。」です。

 

わずかな物に満足して、主を畏れることによって得られる見えない宝(知恵の言葉)を得ることは、多くの宝を得て苦労することよりまさるのです。

 

●17節.肥えた牛を食べて憎み合うよりは/青菜の食事で愛し合う方がよい。
新改訳は、「野菜を食べて愛し合うのは、肥えた牛を食べて憎み合うのにまさる。」です。

 

野菜を食べるような(体をいたわる)質素な生活でも、互いに愛しあう方が、肥えた牛を食べて(贅沢を指すのでしょう)互に憎むよりも良い。

 

●18節.激しやすい人はいさかいを引き起こし/忍耐深い人は争いを鎮める。
新改訳は、「激しやすい者は争いを引き起こし、怒りをおそくする者はいさかいを静める。」です。

 

一言で言えば、「怒りを遅くする者」、すなわち、自分の怒りの感情をよく制することが出来る人は、「いさかいを鎮める」ですから、争いを鎮める方法を知っているのです。
反対に、「激しやすい者」は、すぐ憤りの言葉をぶつけるので、争いだけを生む。

 

●19節.怠け者の道は茨にふさがれる。正しい人の道は開かれている。
新改訳は「なまけ者の道はいばらの生け垣のよう。実直な者の小道は平らな大路。」です。

 

茨の生け垣のそばを歩くのはかなり大変ですが、平らな大路は何の問題もなく気楽に歩けます。
怠ける者には、厳しい道が用意されていて、正しい者の道は平らかです。
正しい者の道は険しさもあるが、その道は悟りを得るための配慮と言う考えですから、道は開かれて、平らな大路なのです。

 

●20節. 知恵ある子は父を喜ばせ/愚か者は母を侮る。
新改訳は「知恵のある子は父を喜ばせ、愚かな者はその母をさげすむ。」です。

 

知恵ある子は、その正しき行動に出るので、父を喜ばせるが、愚かな者は母を軽んじて、その母親を大事にしないのです。
知恵ある子を父は喜びます。しかし、母も喜ぶのですが、母はいつも子供の近くにいて支えています。

 

それを知らない愚かな者は母をさげすむ、とあります。
父は、たまにしか見ないからごまかすことはできたとしても、母はいつもいっしょにいるので自分の本当の姿が現れます。
本当に意味で父の言いつけを守っているのかそうでないかは、母との接触で明らかにされるのです。

 

●21節.意志の弱い者には無知が喜びとなる。英知ある人は歩みを正す。
新改訳は、「思慮に欠けている者は愚かさを喜び、英知のある者はまっすぐに歩む。」です。

 

思慮に欠け無知なる者は、真意が分からないので愚かなる道を喜び、「英知ある者」は、反対にその悟りにより、正しい道をまっすぐに歩むのです。

 

●22節.相談しなければどんな計画も挫折する。参議が多ければ実現する。
新改訳は、「密議をこらさなければ、計画は破れ、多くの助言者によって、成功する。」です。

 

「密議」とありますが、何かをしょうとすれば、まず「密議」をします。
たとえその計画が良い目的のためであっても、その過程を煮詰めなければ計画は実現しません。

 

他者の意見を聞かないで計画を実行すれば挫折します。
謀をなすには「密議」は大切です。
多くの賛成者があれば、助言・助力が得られて成功する。

 

●23節.正しく答える人には喜びがある。時宜にかなった言葉はいかに良いものか。
新改訳は、「良い返事をする人には喜びがあり、時宜にかなったことばは、いかにも麗しい。」です。

 

何か正しいことを言うにしても、タイミング、時宜が違えば意味がありません。
この時宜にかなった言葉を話すには、主の知恵が必要なのでしょう。
人は口から出る自分に好ましい言葉によって喜びを得るのです。それも時にかなった言葉は、説得力をもちます。

 

●24節. 目覚めている人には上への道があり/下の陰府を避けさせる。
新改訳は、「悟りのある者はいのちの道を上って行く。これは下にあるよみを離れるためだ。」です。

 

「悟りのある者」(神に従う人)の道は、上への道、つまり、命に至る道を上るのです。
そうすることによって、その人は下にある陰府の道から、その過ちの道から離れていくのです。
命の道は上っていく道であり、陰府の道は下にあるのです。

 

●25節.主は傲慢な者の家を根こそぎにし/やもめの地境を固めてくださる。
新改訳は、「主は高ぶる者の家を打ちこわし、やもめの地境を決められる。」です。

 

主は高ぶる者の家を滅ぼし、やもめの地境を定められます。
やもめとは配偶者を失って独身でいる者ですから、高ぶる男は死に絶え、残る妻は夫を失い苦労すると言うことでしょうか。
そのようなやもめを守るために主は、やもめを柔和な者として、地境を決めてくださるのです。

 

●26節. 悪意を主はいとい、親切な言葉を清いとされる。
新改訳は、「悪人の計画は主に忌みきらわれる。親切なことばは、きよい。」です。

 

悪人は行いだけでなく、計画の段階、心に思っていることをも、主によって忌み嫌われているのです。
そして「親切なことばはきよい」、とありますが、それは聞く者のことを考えてよく練られた言葉と言う意味でしょう。

 

「親切なことばは、」聞く人にとって、何が益になるのかをよく考えて発せられる言葉です。
「悪人の計画」(はかりごと)は、つねに主に憎まれ、親切な人の言葉は、主に喜ばれる。

 

「親切なことばは、きよい。」とありますが、それは親切な言葉はかりごとがないので、偽りを言うことを避けますので、清いのです。
それは、その偽りを言うこと自体が、主の罰を受けることになるからです。

 

●27節.奪い取る者の家には煩いが多い。賄賂を憎む者は命を得る。
新改訳は、「利得をむさぼる者は自分の家族を煩わし、まいないを憎む者は生きながらえる。」です。

 

「奪い取る」、すなわち不正な手段で得た金を握りしめても、その家には災いが多い。まいない(賄賂)を憎む者は生きながらえます。
自分の利益ばかりを追うと、その者は家族にとって悩ましい存在になると言うことでしょう。
家族のなかに一人でも厄介者がいたら、その影響は家族全員に及びます。

 

●28節. 神に従う心は思いめぐらして応答し/神に逆らう口は災いを吐く。
新改訳は、「正しい者の心は、どう答えるかを思い巡らす。悪者の口は悪を吐き出す。」です。

 

「正しい者」(神に従って生きている者)は、熟慮してから言葉を話します。
早く話すとか、話好きが悪いと言うわけではないでしょうが、「神に従う」人は、、知恵のある人は考えながら話すのでゆっくりと話します。
悪者は、(神に従わず)よく考えて話さないので、その口は、言葉は早く災いをもたらします。

 

●29節.主は逆らう者に遠くいますが/従う者の祈りを聞いてくださる。
新改訳は、「主は悪者から遠ざかり、正しい者の祈りを聞かれる。」です。

 

主が祈りを聞いてくださるのは、「正しい者」の祈りです。
正しい者には、主が共におられるので当たり前です。

 

●30節. 目に光を与えるものは心をも喜ばせ/良い知らせは骨を潤す。

 

目で見ているものが、私たちの心に影響を及ぼします。
また、耳で聞くものによっても影響を受けます。
それが良い知らせであれば、肉体の健康に良い影響を与えます。

 

●31節.命を与える懲らしめに聞き従う耳は/知恵ある人の中に宿る。

 

ためになる正しき者の戒めの言葉を受け入れ、その言葉に聞き従う者は、知恵ある人の中にとどまります。

 

●32節. 諭しをなおざりにする者は魂を無視する者。懲らしめに聞き従う人は心を得る。
新改訳は、「訓戒を無視する者は自分のいのちをないがしろにする。叱責を聞き入れる者は思慮を得る。」です。

 

ここは叱責を聞くことの知恵を言っているのでしょう。
要するに「訓戒を無視する者」は、用心が足りないので、大事に至り、命を粗末にする。逆に訓戒を守る者は、思慮(悟り)を得るので、病の回復を考え、身体を大切にすると言うことでしょうか。

 

●33節.主を畏れることは諭しと知恵。名誉に先立つのは謙遜。
新改訳は、「主を恐れることは知恵の訓戒である。謙遜は栄誉に先立つ。」です。

 

主を畏れることは、神の存在を悟ることで、それは知恵の教訓です。
「謙遜」の意味を知る者は、栄誉に先だつのです。

 

つまり、神の前で謙遜にならなければ、神の叱責や訓戒を聞くことはできません。
そのためには、神がおられること、神が自分を愛してくださっていること、神が自分のすべてを受け入れてくださっていること、神が自分を叱ってくださるのだということを知れば、訓戒と叱責を自ら願うようになるのでしょう。

 

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