ソロモンの格言集17章
聖書の箇所は、17章1節から28節です。
●1節.乾いたパンの一片しかなくとも平安があれば/いけにえの肉で家を満たして争うよりよい。
新改訳は、「一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。」です。
15章17節に「野菜を食べて愛し合うのは、肥えた牛を食べて憎み合うのにまさる。」とありました。同じことを言っていますね。
貧しき生活の中でも、一切れでも乾いたパンが保管されていて平穏ならば、争いがあって、食物の豊かな家(裕福な家)にまさる。
裕福な人間は、その神の造られた貧しい者を侮りますが、裕福がゆえに災難が起こるのも事実で、そのために家の中は争いが絶えなくなるのです。
●2節.成功をもたらす僕は恥をもたらす息子を支配し/その兄弟と共に嗣業の分配にあずかる。
新改訳は「思慮のあるしもべは、恥知らずの子を治め、その兄弟たちの間にあって、資産の分け前を受け継ぐ。」です。
賢いしもべは、その豊かな家の身持ちの悪い息子を言葉で治めるので、その兄弟たちに中にあって、身持ちの悪い息子は資産の分け前を獲るのです。
持っていると思っている者たちは、知恵がなければ最終的に知恵を持っている者たちに管理されるようになるのです。
●3節.銀にはるつぼ、金には炉、心を試すのは主。
新改訳は、「銀にはるつぼ、金には炉、人の心をためすのは主。」です。
16章2節に「人は自分の行ないがことごとく純粋だと思う。しかし主は人のたましいの値うちをはかられる。」とあります。
銀を作り上げるときに試みるものは壷であり、金を作り上げるときに試みるものは炉です。人の心を作るときに、試みる方は主です。
この意味を悟りなさい、と言うことでしょう。
●4節.悪事をはたらく者は悪の唇に耳を傾け/偽る者は滅亡の舌に耳を向ける。
新改訳は、「悪を行なう者は邪悪なくちびるに聞き入り、偽り者は人を傷つける舌に耳を傾ける。」です。
私たちが、人の心を傷つけるような言葉に耳を傾けていないか気をつけるべき、と言うことでしょう。
悪を行う者は偽りのくちびるに聞き、偽りをいう者は悪しき舌に耳を傾けるのです。
要するに、悪を行う者、偽りをいう者は、悪い人間同士の会話に慣れているので心地よいのでしょう。
●5節.貧しい人を嘲る者は造り主をみくびる者。災いのときに喜ぶ者は赦されない。
新改訳は「貧しい者をあざける者は自分の造り主をそしる。人の災害を喜ぶ者は罰を免れない。」です。
災難にあった人を見る時、落ちぶれたように見える人を見るとき、思い出さなければいけないのは、「その人も神によって造られた尊い存在だ。」ということです。
人の災害を見るとき大切なのは、明日は我が身、同じ立場であることを知るべきです。人の災いを喜ぶ者は罰を免れないし、その罰が及んでも、その意味を悟らないのです。
貧しい者をあざける愚か者はその造り主である主を侮っているのと同じです。
●6節.孫は老人の冠、子らは父の輝き。
「生めよ、ふえよ」と命じられた神は、老人に孫という喜びを与え、自分の子らが頑張っている姿を見せてくださいます。これは主の贈り物、祝福です。
孫と老人と子の三世代にわたる信仰継承の祝福が述べられています。
子どもが与えられることは、イスラエルの人々にとっては神の祝福のしるしです。
また、父である男性の存在は、信仰共同体におけるその存在の重みと影響力を与える者とみなされていました。
「孫たち」は「老人の冠」とあります。
「孫」は「祖父」にとって「冠」であり、「孫」は「父」にとっての光栄なのです。
信仰を継承することによって、各世代の豊かさを引き継ぐことになるのです。これは神様のご計画に沿っているからです。
●7節.高尚な唇は神を知らぬ者にふさわしくない。うそをつく唇は高貴な者に一層ふさわしくない。
新改訳は、「すぐれたことばは、しれ者にふさわしくない。偽りのくちびるは、高貴な人にはなおさらふさわしくない。」です。
優れた言葉は愚かなる者(しれ者)には似合わないとして、まして偽りを言う唇には、君たる者(高貴な人)には似合わないと言っています。
つねに苦しくとも、真実を話すことに徹するのがよいが、偽りのくちびるをもつ愚かなる者は、それを聞いても理解しない。
●8節.賄賂は贈り主にとって美しい宝石。贈ればどこであろうと成功する。
新改訳は、「わいろは、その贈り主の目には宝石、その向かう所、どこにおいても、うまくいく。」です。
「わいろ」ですから、まいないはこれを贈る人の目には宝石だとし、「贈ればどこであろうと成功する。」としています。
賄賂を贈るのも、捧げる場合、礼として贈る場合、願い事をかなえるなど見返りを求めて贈る場合などその向かう所、悪いことはない。
●9節.愛を求める人は罪を覆う。前言を翻す者は友情を裂く。
新改訳は、「そむきの罪をおおう者は、愛を追い求める者。同じことを繰り返して言う者は、親しい友を離れさせる。」です。
愛を追い求める人は人のあやまちをゆるします。相手の過ちの言葉さえ赦します。悪意に満ち、人のことを言いふらす者は友を離れさせます。
同じ仲間の失敗や罪を鬼の首根っこをつかんだかのように、言いふらし指摘する人がいますが、大切なのは、その人が悔い改めて神に立ち返ってくれることです。
その人が悔い改めに導かれたら、その後はことさらにその罪を言わず、覆う必要があるのでしょう。
●10節.理解力ある人を一度叱責する方が/愚か者を百度打つよりも効き目がある。
新改訳は、「悟りのある者を一度責めることは、愚かな者を百度むち打つよりもききめがある。」です。
同じ懲らしめの言葉でも、「悟りのある者」に対する懲らしめの言葉の方が、「愚か者」に対する百度の懲らしめの言葉より効き目がある、と言うことでしょうか。
何度言っても分からない、という体験をしたことがあるかと思いますが、人の心とはそのようなものなのでしょう。
箴言には、悟りを得よ、知恵を得よ、という命令がたくさんあります。
箴言が言っている知恵とは神と共に歩むことで得られる知恵です。
●11節.悪人は逆らうことのみ求める。彼には仮借ない使者が送られるであろう。
新改訳は、「ただ逆らうことだけを求める悪人には、残忍な使者が送られる。」です。
悪人は、その言葉を聞いても、ただ背くことのみを考えますが、「仮借ない使者が送られる」ですから、その逆らいの結果により、死をも待ち受ける運命に陥るが、悪人は、その使者がどこから来ることも悟らないのです。
だから、愚かさにふけっている悪人は警戒して、避けたほうがいいという警告でしょう。
●12節.子を奪われた熊に遭う方が/愚か者の無知に会うよりましだ。
新改訳は、「愚かさにふけっている愚かな者に会うよりは、子を奪われた雌熊に会うほうがましだ。」です。
凄い言葉です。愚かな者は、その病(愚かさにふけるということ)を受けると気をとりみだし、感情を悪に向けるので、始末が悪い。
その結果、小熊をとられた雌熊に会うよりも始末が悪い、と言っています。
始末が悪いと言うのは、正しようがないと言うことでしょう。
●13節.悪をもって善に報いるなら/家から災難は絶えない。
新改訳は、「善に代えて悪を返すなら、その家から悪が離れない。」です。
悪の心を抱き、善に報いようとする者は、悪がその家を離れることはないと言うことは、その家は悪に屈し、終焉を迎えると言うことでしょう。
●14節.いさかいの始めは水の漏り始め。裁判沙汰にならぬうちにやめておくがよい。
新改訳は、「争いの初めは水が吹き出すようなものだ。争いが起こらないうちに争いをやめよ。」です。
争いの初めは、水が漏れるわずかな穴のようであるが、その傷口が水圧で広がりおおきな争いにならないうちにやめるのが先決です。
争いが長く続くと、破壊される傷口も大きくなります。
問題というのは、引き起こったらもうどうすることもできませんから、問題が起こる前に対処しなければいけません。
●15節.悪い者を正しいとすることも/正しい人を悪いとすることも/ともに、主のいとわれることである。
新改訳は「悪者を正しいと認め、正しい者を悪いとする、この二つを、主は忌みきらう。」です。
悪しき者は悪しき者であり、正しき者は、正しい者なのに、「悪者を正しいと認め、正しい者を悪いとする、」のを主は忌み嫌われるのです。
悪いものを悪いとするのも愛の表れです。愛は不義を喜ばないと言うことでしょう。
●16節.愚か者が代金を手にしているのは何のためか。知恵を買おうにも、心がないではないか。
新改訳は、「愚かな者が思慮もないのに、知恵を買おうとして、手に代金を持っている。これはいったいどうしたことか。」です。
愚かな者はすでに良識を判断する心がないのに、どうして知恵を買おうとして「手に代金を持っている」のか。
お金で買えないものがあることが分からないのです。
●17節.どのようなときにも、友を愛すれば/苦難のときの兄弟が生まれる。
新改訳は、「友はどんなときにも愛するものだ。兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。」です。
その通りです。
苦しみを受けているときに、自分の友達が本当に友達なのかどうかの真価が試されるのです。
どのような時にでも愛することが大事です。兄弟は、「苦しみを分け合うために生まれる。」です。
●18節.意志の弱い者は手を打って誓い/その友のために証人となる。
新改訳は、「思慮に欠けている者はすぐ誓約をして、隣人の前で保証人となる。」です。
連帯保証に対する戒めでしょう。当時もそのような制度があったのですね。
知恵のない人は手を打って、すぐにその隣の人の前で保証をしてしまうのです。
保証したことで、その債務を払うことになれば身を傾けるのです。
●19節.罪を愛する者は争いを愛する。戸口を高く開く者は破れを招く。
新改訳は、「そむきの罪を愛する者はけんかを愛する。自分の門を高くする者は破滅を求める。
罪を愛する者は、けんか(争い)を愛するのです。
「自分の門を高くする」ですから、自分の心に閉じこもり、言葉数が少なく、頑なな人のことでしょうか。
このような人は、柔軟性がなく、実は自分の心の門を非常に高くしていることだとします。
それは滅びの原因で、愚かだとし、愚かさのために滅びを求めるようになる。
心の扉を開くことが、周りの人と平和に暮らすことができる一歩、と言うことでしょう。
●20節.心の曲がった者は幸いを受けない。舌をもって欺く者は災難に陥る。
新改訳は、「心の曲がった者は幸いを見つけない。偽りを口にする者はわざわいに陥る。」です。
曲った心の者はさいわいを得ない、心はまっすぐでなければ幸せに離れない。
みだりに舌をもって偽りを語る者は災難に会う。
要するに、愚かな者の噂話の語り口を言っているのでしょう。
●21節.愚か者を生めば悲しみがあり/神を知らない者の父に喜びはない。
新改訳は、「愚かな者を生む者には悲しみがあり、しれ者の父には喜びがない。」です。
愚かなる子を産めば、嘆きを得るだけである。
愚かな者の父(神を知らない者の父)は、憂いが多く、喜びがない。
●22節.喜びを抱く心はからだを養うが/霊が沈みこんでいると骨まで枯れる。
新改訳は、「陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす。」です。
「喜びを抱く心」(心の楽しみをもつこと)は、健康に良い。
反対に「陰気な心」は、骨が枯れるように、災いでしかあり得ない。
霊魂は、心に宿りますから霊魂と心は一体です。
●23節.神に逆らう者は人のふところから賄賂を取り/裁きの道を曲げる。
新改訳は、「悪者は人のふところからわいろを受け、さばきの道を曲げる。」です。
悪者は人の懐から賄賂を受けて、公正なるさばきの現実を曲げてしまいます。
不正の裁判のことを言っているのでしょう。
ここは賄賂を悪いことだと判断をしています。
裁判官または上に立つ人が、賄賂によって正しい判断をまげてしまうのです。
賄賂もそうですが、今問題になっている忖度も同じことがいえるのでしょう。
●24節.分別のある人は顔を知恵に向け/愚か者は目を地の果てに向ける。
新改訳は、「悟りのある者はその顔を知恵に向け、愚かな者は目を地の果てに注ぐ。」です。
「悟りのある者」(神様を知っている人)は、その顔を神の御言葉という知恵の言葉に向けますが、愚かな者(神様を知らない人)の目は、遠くを見て目の前の真実を見ない。
人が愚かなことをするのは、「目を地の果てに注ぐ」からです。
言い換えると、自分の目の前にある知恵をしっかりと見ていないからです。
何かをしようとするとき、本当にそれが神に正しいことなのか、神が喜ばれることなのか、ちょっと祈ってみることが大切なのでしょう。
自分では悪いことだとよく分かっていながら、それをしてしまうことがよくあり、それが誘惑に陥ることであり、罪を犯すことになるのです。
●25節.愚かな息子は父の悩みとなり/産んだ母の苦しみとなる。
新改訳は、「愚かな子はその父の憂い、これを産んだ母の痛みである。」です。
愚かな子は、その父親の心の憂いです。またこれを産んだ母親の痛みでもあります。
●26節.神に従う人に罰を科したり/高貴な人をその正しさのゆえに打つのは/いずれも良いことではない。
新改訳は、「正しい人に罰金を科し、高貴な人をその正しさのゆえにむち打つのは、どちらもよくない。」です。
正しい人を罰するのはよくない、尊い人を打つのも良くない。
人は、時に人はこのような裁きをするから注意しなさいといううことでしょう。
●27節.口数を制する人は知識をわきまえた人。冷静な人には英知がある。
新改訳は、「自分のことばを控える者は知識に富む者。心の冷静な人は英知のある者。」です。
言葉数が少ない者は、知識のある者であり、心の冷静な人は、その行動をわきまえるので聡明な人です。
ただし、口数が少なければ知恵をもてるんだな、という短絡的な考えではなく、よく考えているから言葉数が少ないのであって、単に黙っていればいい、という意味ではありません。
●28節.無知な者も黙っていれば知恵があると思われ/唇を閉じれば聡明だと思われる。
新改訳は、「愚か者でも、黙っていれば、知恵のある者と思われ、そのくちびるを閉じていれば、悟りのある者と思われる。」です。
愚かな者も黙っていると、その人の真の姿が見えないので、知恵ある者と思われ、そのくちびるを閉じている時は、さとき者と思われるのです。
しかし、愚かな者は、一時はそうであっても、必ずその醜態を必ずさらすのです。
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