ソロモンの格言集22章
聖書の箇所は、22章1節から16節です。
●1節.名誉は多くの富よりも望ましく/品位は金銀にまさる。
新改訳は、「名声は多くの富よりも望ましい。愛顧は銀や金にまさる。」です。
お金や金銀は、目に見えて、実際、それで欲しい物が買えるので、その価値がわかりやすいのでみんなが欲しがりますが、奪われたり使ったりすれば容易になくなってしまいます。
真の「名声」や「愛顧」(ひいきとか目をかける)とか品位は、ずっと永続します。
ということか、それとも、評判を得ること、信頼を得ることは、富を得ることよりも非常に難しいことを指しているのでしょうか。
●2節.金持ちと貧乏な人が出会う。主はそのどちらも造られた。
新改訳は、「富む者と貧しい者とは互いに出会う。これらすべてを造られたのは主である。」です。
富める者と貧しい者とは、共にこの世に存在します。このすべてを造ったのは神です。
富める者も貧しい者もこの世のすべてを作ったのは神様だから、神様の前では富んだ者も、貧しい者も、みな平等であるということでし
ょう。
●3節.思慮深い人は災難が来ると見れば身を隠す。浅はかな者は通り抜けようとして痛い目に遭う。
新改訳は、「利口な者はわざわいを見て、これを避け、わきまえのない者は進んで行って、罰を受ける。」です。
賢い者は災いを見て自ら避けることを考えるが、思慮のない愚かな者は、進んでいって、罰を受けることになる。
わたしたちは悪いことや、災いを見たら、それに手を出したい、見たいと言う衝動に駆られることがあります。
その好奇心に負けてしまう者を愚か者と言っているのでしょう。
●4節.主を畏れて身を低くすれば/富も名誉も命も従って来る。
新改訳は、「謙遜と、主を恐れることの報いは、富と誉れといのちである。」です。
聖書または箴言が教える、二つの尊い特質は、謙遜と主を恐れることです。
そのままですね。
●5節.曲がった道には茨と罠。そこから遠ざかる人は自分の魂を守る。
新改訳は、「曲がった者の道にはいばらとわながある。たましいを守る者はこれらから遠ざかる。」です。
「曲がった者」(よこしまな者)の道には、いばらと罠があり、魂を守る者は、用心するので遠くこれを離れます。
いばらは、痛みと苦しみの象徴です。
●6節.若者を歩むべき道の初めに教育せよ。年老いてもそこからそれることがないであろう。
新改訳は、「若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。」です。
「若者」は、子を指し、「その行く道」は主を指します。
子供にその行くべき道に従い教えよ、そうすれば年老いても、それを離れることがないのです。
若者よりも若い、子供の時から主の道を教育すれば、年老いても主の道から離れない、ということでしょう。
●7節.金持ちが貧乏な者を支配する。借りる者は貸す者の奴隷となる。
新改訳は、「 富む者は貧しい者を支配する。借りる者は貸す者のしもべとなる。」です。
富める者は貧しき者を治め、借りる者は貸す人の奴隷となる。これがこの世の現実です。連帯保証人になることもこのなかにはいるのでしょう。
お金の貸し借りによって、その人間関係は主人と奴隷の関係になってしまうからです。
●8節.悪を蒔く者は災いを刈り入れる。鞭は傲慢を断つ。
新改訳は、「不正を蒔く者はわざわいを刈り取る。彼の怒りの杖はすたれる。」です。
「不正を蒔く者は、災いを刈り入れる」ですから、不正を働いている者は、真実が明らかになれば脅威を感じて怒ります。
不正を蒔く者の怒りの杖は、不正ゆえにすたれます。
●9節.寛大な人は祝福を受ける自分のパンを割いて弱い人に与えるから。
新改訳は、「善意の人は祝福を受ける。自分のパンを寄るベのない者に与えるから。」です。
寄るベのない者を見て恵む者は、その功績により祝福されます。
それは、自分のパンを貧しい人に与えるからです。
●10節.不遜な者を追い出せば、いさかいも去る。争いも嘲笑もやむ。
新改訳は、「あざける者を追い出せ。そうすれば、争いも出て行く。けんかも、悪口もやむ。」です。
あざける者も追放すれば、争うということもなくなり、かつ、いさかいも、嘲笑もなくなります。
あざける者は、その意味を知らず、あざけるばかりであった。
●11節.清い心を愛する人は唇に品位があり/王がその友となる。.
新改訳は、「心のきよさを愛し、優しく話をする者は、王がその友となる。」です。
心が清いのを愛し、優しく話をする者は、その心に偽りがないので、また、その言葉が上品なので、王がその友となります。
王に近づくことができるのは、悪賢くて言葉巧みな者と思いますが、実は王が信頼する人はその反対の人なのです。
●12節.主の目は知識を守り、欺きの言葉を滅ぼす。
新改訳は、「主の目は知識を見守り、裏切り者のことばをくつがえす。」です。
主の目は、知識を求めて、それを得る者を守られます。
しかし主は、「裏切り者」(欺きの言葉を吐く者)の言葉は滅ぼされるのです。
要するに、裏切り者(欺きの言葉)は、その真実の言葉に対抗することはできない。
●13節.怠け者は言う。「外には獅子がいる。町に出ればわたしは殺される。」
新改訳は、「なまけ者は言う。「獅子が外にいる。私はちまたで殺される。」と。」です。
怠け者は、自分が怠けて出勤しない言い訳をいいます。
外には獅子がいるので、街に出れば殺されるから出ていけない。
●14節.よその女の口は深い墓穴/主の憤りにふれた者はそこに陥る。
新改訳は、「他国の女の口車は深い穴のようだ。主の憤りに触れた者がそこに落ち込む。」です。
「他国の女」は、売春婦を射指しているのでしょう。
不品行、好色は、神の怒りの対象です。
売春婦の口は深い落し穴(墓穴)である、これに惑わされると、神の怒りに触れる。
●15節.若者の心には無知がつきもの。これを遠ざけるのは諭しの鞭。
新改訳は、「愚かさは子どもの心につながれている。懲らしめの杖がこれを断ち切る。」です。
よくわかりませんが、ここは子供への体罰の是非が論じられているのでしょう。
体罰は、非常に難しい問題です。
体罰、すなわち杖を使うかどうか、これは各人の親が判断すべきことだと思いますが、決して忘れてはいけないのは、「愚かさは子どもの心につながれている」という事実でしょう。
「愚かさは子どもの心につながれている」と言うのは、共同訳にもあるように「若者の心には無知がつきもの」なのです。
親が教えない限り、子供は無知で愚かなのです。その善悪をわきまえ知ることができないのです。
この「愚かさ」や「無知」を子供から唯一「遠ざける」「引き離す」「断ち切る」ことができるのは「懲らしめの杖」だと言うことでしょう。
この世界はサタンに支配されています。その中でわたしたちは子供を産み育てます。
その子どもたちの心は「無知」で「愚か」であるため、サタンの影響を大きく受けます。だから「懲らしめの杖」が必要だとも言えます
。
●16節.弱者を搾取して自分を富ませたり/金持ちに贈り物をしたりすれば、欠乏に陥る。
新改訳は、「自分を富まそうと寄るベのない者をしいたげる人、富む人に与える者は、必ず乏しくなる。」です。
主は、貧しい人を利用して富を増やそうとする人に、怒りを発せられます。
自分の富を増そうとするのは現在の資本主義の中では当たり前のことですが、「(貧しい人を)寄るベのない者をしいたげる」と言うのは少し違います。
「金持ちに贈り物」(富める者に与える者)が必ず貧しくなると言うのは、神が裁かれるからと言うことでしょう。
資本主義社会では、どうしても富めるものと貧しい者が生まれます。
だから、寄付とか支援などが必要なのでしょう。そうして富の平等化を図るわけです。
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