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2021年11月20日 (土)

ソロモンの格言集12章

聖書の箇所は、12章1節から28節です。
●1節.諭しを愛する人は知識を愛する。懲らしめを憎む者は愚かだ。

 

諭し(訓戒)と叱責(懲らしめ)を愛する者は知識があり、それを捨てる者(憎む者)は間抜け者、あるいは愚か者です。
諭し(訓戒)とか叱責(懲らしめ)を聞こうとする者は、自己を無にし、受け入れることを前提に聞く者でしょう。

 

●2節.善人は主に喜び迎えられる。悪だくみをする者は罪ありとされる。

 

「善人」とは、神を求める人、主に心を開く人のことでしょう。「悪だくみをする者」その反対でしょう。神が共におられたら、悪だくみはできませんからね。

 

主からの恵みと言うのは、この世に限らず来世にかけてのことでしょう。
だから「主に喜び迎えられる。」と言う言葉を使っているのでしょう。

 

●3節.神に逆らえば、固く立つことはできない。神に従う人の根は揺らぐことがない。
新改訳は、「人は悪をもって身を堅く立てることはできず、正しい人の根はゆるがない。」です。

 

悪人(神に逆らう人)と義人(神に従う人)の違いは、揺るがない人生がどうかの違いです。
悪人は身を堅く立てることはできませんが、正しい人は神が共におられますから、揺らぎません。

 

何もなければ両者にあまり違いはないと思うのですは、死が近づいたとか、財産を失ったとか、試練に遭ったときに大きな違いが出てくるのでしょう。

 

 

●4節.有能な妻は夫の冠。恥をもたらす妻は夫の骨の腐れ。
新改訳は、「 しっかりした妻は夫の冠。恥をもたらす妻は、夫の骨の中の腐れのようだ。」です。

 

夫にとって「有能な妻」と「恥をもたらす妻」の比較です。
どのような妻かで、夫やその家の状態が決まってくるほど、妻の影響は大きいものです。

 

しかし、これも男性(父、夫)目線から語られていますので、妻の立場にある者からすると、気に入られない表現があるのではないかと思います。
箴言は、12章では4節に「しっかりした妻は夫の冠。恥をもたらす妻は、夫の骨の中の腐れのようだ。」とあるように、妻は夫に名誉と尊厳をもたらすだけでなく、夫の持っている能力のうちから最高のものを引き出す存在とする位置づけです。

 

だから貴重な存在と言われるのもうなずけます。
そのような妻が主から授けられるように祈れと諭しているのだと思います。

 

箴言31章には主を畏れる女(「しっかりした妻」「有能な妻」「賢い妻」)の資質が記されています。
(1) 真珠よりもはるかに尊い妻
(2) 夫に幸いをもたらす
(3) 貧しい人には手を開き、乏しい人に手を伸べる。
(4) 力と気品をまとい、未来にほほえみかける
(5) 口を開いて知恵の言葉を語り、慈しみの教えをその舌にのせる
(6) 一族の様子によく目を配り
(7) 怠惰のパンを食べることはない(勤勉である)
(8) (夫と子どもたちから)たたえられる

 

●5節.神に従う人の計らいは正義。神に逆らう者の指図は、裏切り。
新改訳は、「正しい人の計画することは公正で、悪者の指導には欺きがある。」です。
●6節.神に逆らう者の言葉は待ち伏せて流血を犯す。正しい人の口は自分を救う。
新改訳は、「悪者のことばは血に飢えている。しかし正しい者の口は彼らを救い出す。」です。

 

「血に飢えている」ですから、殺人を犯してまで人の物を貪って食いちぎり、奪い取ると言うことでしょうか。
反対に「正しい者の口」は、常に知恵の言葉を語るので、人を「救う」ことになります。
●7節.神に逆らう者は覆って滅びる。神に従う人の家は耐える。
新改訳は、「悪者はくつがえされて、いなくなる。しかし正しい者の家は立ち続ける。」です。
悪者(神に逆らう者)は倒されて、消え失せるが、「正しい者」(神に従う者)の家は、その正しき行動のため滅びることはない。
神に従って生きていることは、しっかりとした生活基盤を持っていることにつながるのです。

 

●8節.人は見識のゆえに賞賛される。心がいじけている者は侮られる。
新改訳は、「人はその思慮深さによってほめられ、心のねじけた者はさげすまれる。です。

 

人はその見識ですから、思慮深く、悟りに従って行動するから褒められることになるが、「心のねじけた者」は、口で曲がったことを言うので、侮られてさげすまれるのです。信用されなくなると言うことでしょう。

 

●9節.軽蔑されていても僕を持っている方が/尊敬されていてパンを欠くよりよい。
新改訳は、「身分の低い人で職を持っている者は、高ぶっている人で食に乏しい者にまさる。」です。

 

身分の低い人でも、そのやるべき仕事を見つけて自分で働く者は、職も持たず食に乏しいのにみずから高ぶっている人よりまさるということでしょうか。

 

●10節.神に従う人は家畜の求めるものすら知っている。神に逆らう者は同情すら残酷だ。
新改訳は、「正しい者は、自分の家畜のいのちに気を配る。悪者のあわれみは、残忍である。」です。

 

6節に、悪人は流血を好み正しい人は人を救い出すとありましたが、そのような憐れみは、動物に対しても同じように向けられると言うことでしょう。

 

神に従う人(正しい人)は、その家畜(家で飼う動物)の命を大切に思い省みますが、神に逆らう者(悪者)は、残忍な心をもっているので、動物を死に追いやり憐れみなど持たない。

 

●11節.自分の土地を耕す人はパンに飽き足りる。意志の弱い者は空を追う。
新改訳は、「自分の畑を耕す者は食糧に飽き足り、むなしいものを追い求める者は思慮に欠ける。」です。

 

自分の田地を耕す者は食糧に飽きる、自分のやるべきことを心に刻み、それを無償でもやりつくすこと。
「むなしいものを追い求める者は思慮に欠ける。」(空を追う)と言うのは、有益なことに耳を傾けないので、その真価が見えていないと言うことでしょう。

 

言い換えれば、突然与えられる財産、または自分の労働の対価として与えられたのではない財産は、むなしいもの、実質のないものです。
反対に、自分の労働の対価として与えられた報酬を喜ぶことは、真の満足を与えます。そうでないものは自分に空虚さをもたらします。
それも神の御心なのでしょう。

 

●12節.神に逆らう貪欲は、悪人らを捕える網となる。神に従う人の根は実りを与える。
新改訳は、「悪者は、悪の網を張るのを好み、正しい者の根は、芽を出す。」です。

 

悪者の「神に逆らう貪欲は」、かならず崩壊するが、正しい者(神に従う者)の心根はしっかりとしているから芽を出し、成長します。
悪者の心根は、労苦することなく、すぐに自分が欲するものを得ようとします。

 

そのために、自分が労苦するものではなく、人が労苦して得たものをそのまま奪い取ろうとするのです。

 

●13節.悪人は唇の罪の罠にかかる。神に従う人は苦難から逃れ出る。
新改訳は、「悪人はくちびるでそむきの罪を犯して、わなにかかる。しかし正しい者は苦しみを免れる。」です。

 

悪人のその唇から出る言葉は、悪しき言葉を話すので、必ず罠に陥る(罪を犯す)のです。しかし神に従う人(正しい人)は、その言葉の正しさによって「苦しみを免れる。」のです。

 

つまり、嘘をつくと、その嘘を覆い隠すためにさらに嘘をつかなければなりません。話が矛盾しないように、どんどん自分で話を作っていくことになります。

 

こうしているうちに、自分が作った話が自分自身をクモの巣のようになって、捉えるのです。それは本人にとって苦しみであります。
このような災難に遭わないようにするのには、嘘をつかないことです。
真実を話すことです。正しい者は苦しみのクモの巣から免れます。

 

●14節.口の言葉が結ぶ実によって/人は良いものに飽き足りる。人は手の働きに応じて報いられる。
新改訳は、「人はその口の実によって良いものに満ち足りる。人の手の働きはその人に報いを与える。」です。

 

人はその正しき口の言葉が結ぶ実によって、報酬として得る幸福に満足します。 そして「人の手の働きはその人に報いを与える。」ですから、人の導く手のわざは、その人の身に帰るのです。人に恩恵を与えることで、その恩恵が戻ってくるのです。

 

●15節.無知な者は自分の道を正しいと見なす。知恵ある人は勧めに聞き従う。
新改訳は、「愚か者は自分の道を正しいと思う。しかし知恵のある者は忠告を聞き入れる。」です。

 

この箇所は、人は簡単に、「私は神も仏も信じない。自分を信じる。」と言いますが、そのような人を愚か者「無知な者」と言っています。
私たちの知識や判断が、どこまで正確なのか分からないのに自分自身に頼ろうとしているからでしょう。

 

そして一生懸命真面目にしている人ほど、自分の道を正しいと信じていますから厄介なのです。
そのような人は、自分は正しいと信じていますから、自分が間違っていても、人の言葉を聞き入れないので、それを正すのが難しくなります。
そこに知恵があれば、謙虚さが、自分に忠告する人がいて、それを聞き入れるほどの謙虚さが備わるのです。

 

自分が一生懸命していることを、「ちょっと、あなたのこの部分は良くなかった。」と忠告を受けると、誰でも気分は良くありません。
でも、正しいと信じ一生懸命は良いのですが、その一生懸命が、人の忠告を拒み人を盲目にしているのです。

 

●16節.無知な者は怒ってたちまち知れ渡る。思慮深い人は、軽蔑されても隠している。
新改訳は、「愚か者は自分の怒りをすぐ現わす。利口な者ははずかしめを受けても黙っている。」です。

 

愚か者(無知な者)は、何か酷いことを言われた時、理不尽なことを言われた時、すぐに怒りをあらわにします。
怒ると言うことは、自分の思いが正しいと思っているのです。

 

言っている言葉に自信がないのか、思慮が足りないために否定されるとむきになって正しいと言い張るのです。
しかし知恵ある者は、「軽蔑されても」、その言葉は神に従った言葉だから辱めを気にも留めないでそのときは反論もしないで黙っています。
そして、その言葉を語り続けるのです。
●17節.忠実に発言する人は正しいことを述べ/うそをつく証人は裏切る。
新改訳は、「真実の申し立てをする人は正しいことを告げ、偽りの証人は欺き事を告げる。」です。

 

裁判の時の証言のことを言っているのでしょう。
つまり、本当のことを証言する人は正しい証言をしますが、偽りの証人は偽りの言葉を言うだけです。

 

●18節.軽率なひと言が剣のように刺すこともある。知恵ある人の舌は癒す。
新改訳は、「軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす。」です。

 

つるぎをもって刺すように、鋭い口調で軽率に言葉を出す者がいる。
しかし、知恵ある真実の人は、同じような言葉であっても人々を癒す言葉を出します。
何気なく話している言葉が心を突き刺すと言うことがあります。

 

それがここで言っている、「軽率に話して人を剣で刺す」ということでしょう。

 

その反面、知恵ある人の言葉は、たとえ、その表面的な言葉が何気なく話している言葉であっても、その言葉がきく者の魂に癒しをもたらす効果、人を考えさせる言葉を持つときがあります。
その違いは「軽率」と「知恵」または「熟慮」の違いがあるからです。

 

●19節.真実を語る唇はいつまでも確かなもの。うそをつく舌は一瞬。

 

言葉の表面的なものは、その時だけのものですが、真実から出てくる言葉は、いつまでも残ります。

 

●20節.悪を耕す者の心には裏切りがある。平和を勧める人の心には喜びがある。
新改訳は、「悪をたくらむ者の心には欺きがあり、平和を図る人には喜びがある。」です。

 

悪をたくらむ者の心には欺きがつねにあり、平和を求める人には、つねに喜びがあるのです。
平和を求める人とそうでない人の違いです。

 

●21節.悪を耕す者の心には裏切りがある。平和を勧める人の心には喜びがある。
新改訳は、「正しい者は何の災害にも会わない。悪者はわざわいで満たされる。」です。

 

正しい人にはなんの害悪も生じない、その身を神が守られるからである。しかし悪しき者は災をもって満たされるのです。

 

●22節.うそをつく唇を主はいとわれる。忠実を尽くす人を主は喜び迎えられる。
新改訳は、「偽りのくちびるは主に忌み嫌われる。真実を行う者は主に喜ばれる。」です。

 

偽りに満ちた虚偽の言葉を言う唇は、主に嫌われることになる。真実を心から行う者は、主に喜ばれるのです。

 

●23節.思慮深い人は知識を隠す。愚かな心はその無知を言いふらす。
新改訳は、「利口な者は知識を隠し、愚かな者は自分の愚かさを言いふらす。」です。

 

利口な者は、自分が持っている知識を並べ立て、自慢げに披露することはあえてしません。その一方で、愚かな者は、知っていることを何でもしゃべってしまうのです。そうすることが自分が愚かであることを現しているのです。

 

●24節.勤勉な手は支配し/怠惰な手は奴隷となる。
新改訳は、「勤勉な者の手は支配する。無精者は苦役に服する。」です。

 

「勤勉な者」ですが、神に与えられた苦労という大切なる仕事を勤勉に努める人は、「手は支配する。」ですから、人を治めるような人物になると言う音でしょう。

 

「無精者」、怠け者は、人に仕えて苦労するのです。
世間を動かしているのは、勤勉な人です。実際に動いている人が、実際に物事を動かしているのです。

 

神は初め人間に、地を支配するように命令されました。その支配の力は自分の手を動かし、働くことによって行使されます。
神は私たちに自由意思を与えられました。その自由意思が行使できるのは、自らが動くことが必要です。

 

その反面、無精者は、強制されなければ動くことができないので、苦役に服します。

 

●25節.心配は人をうなだれさせる。親切な言葉は人を喜ばせる。
新改訳は、「心に不安のある人は沈み、親切なことばは人を喜ばす。」です。

 

心に憂いがあればその人の気持ちは沈みます。しかし親切な言葉はその行いから人を喜ばせるのです。

 

●26節.神に従う人は友よりも好運である。神に逆らう者の道は人を迷わす。
新改訳は、「正しい者はその友を探り出し、悪者の道は彼らを迷わせる。」です。

 

自分が悪の道から離れたかったら、自分自身の歩みに気をつけるだけでなく、だれを友にするかにも気をつけなければなりません。
類は友を呼びますからね。

 

●27節.怠惰な者は獲物を追うこともしない。勤勉な人は人類の貴い財産だ。
新改訳は、「無精者は獲物を捕えない。しかし勤勉な人は多くの尊い人を捕える。」です。

 

「無精者」、つまり怠け者は、「獲物を捕らえない」ですから、自分の物を得ようとしても得られないのです。
しかし「勤勉な人」は、尊い宝(神の隠された言葉)を獲る。

 

英語の欽定訳は、「獲物を捕えても、ローストしない。」と書いてあるそうです。

 

せっかく獲物を捕えたのに、それを焼いて料理するのが億劫だという意味だそうです。無精は最後まで貫徹しないのが特徴です。
けれども「勤勉な人」は、「多くの尊い人を捕える。」とありますから、多くの良き友を得ると言うことでしょう。

 

●28節.命は慈善の道にある。この道を踏む人に死はない。
新改訳は、「正義の道にはいのちがある。その道筋には死がない。」です。

 

正義の道から生まれた言葉には、人を活かす命の道があります。
反対に、過ちだらけの愚かな道は人を活かすことはできず、ただ死に至らせるだけであると言うことでしょう。

 

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