父の諭し⑵(2章)
聖書の箇所は、2章1節から22節です。
この箇所に出てくる「知恵」は、「この世の知恵」と「神の知恵」があり、それらは「信者と不信者」「正義と不法」「光と暗やみ」「主の宮と偶像」と同様、両者にはどんなつながりも、どんな交わりも、何の一致もない、全く異質なものです。
「この世の知恵」と「神の知恵」に違いをパウロの言葉を参考に示しますと
⑴「この世の知恵」
①「説得力のある知恵」
②「支配者たちの知恵」
⑵「神の知恵」・・この世の支配者たちは、誰一人悟ることはできない。悟には、御霊による啓示が必要。
①「成人(=成熟した者たち)の間で語られる知恵」
②「隠された奥義としての知恵」
③「御霊によって啓示された知恵」
④「神が、世界の始まる前から、あらかじめ定められた知恵」
●1節.わが子よ/わたしの言葉を受け入れ、戒めを大切にして
●2節.知恵に耳を傾け、英知に心を向けるなら
●3節.分別に呼びかけ、英知に向かって声をあげるなら
●4節.銀を求めるようにそれを尋ね/宝物を求めるようにそれを捜すなら
●5節.あなたは主を畏れることを悟り/神を知ることに到達するであろう。
●6節.知恵を授けるのは主。主の口は知識と英知を与える。
再び「わが子よ」が登場します。父の子に対する教育でしょう。
「わたしの言葉を受け入れ、戒めを大切」にです。
そして、そのわたしの言葉のキーワードは、「知恵に耳を傾け」「英知に心を向け」「主を畏れることを悟り」です。
4節の「捜す」(掘り出す)ですが、この言葉には、価値あるものを見つけるまで熱心に捜すという意味を持つ動詞だと言うことです。
知恵によく耳を傾け、耳を傾けるだけでなく、自ら捜し求める必要性がここに書かれているのでしょう。
何を探すのかは、言葉であり知恵である神で、クリスチャンは、「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」(マタイ7:7)と言われたキリストでしょう。
4節の「銀を求めるようにそれを尋ね/宝物を求める」は、自分を探るのではなく、主を探るように求めているのでしょう。
●7節.主は正しい人のために力を/完全な道を歩く人のために盾を備えて
●8節.裁きの道を守り/主の慈しみに生きる人の道を見守ってくださる。
知恵に導かれることによって、「力」と「盾」によって「裁きの道」から守られる。
その道は小道で小さいのですが、そこを通ることによって害を受けることはありません。
●9節.また、あなたは悟るであろう/正義と裁きと公平はすべて幸いに導く、と。
解説では、「裁き」を「公正」と訳し、ここは、「正義と公正と公平」としていました。
●10節.知恵があなたの心を訪れ、知識が魂の喜びとなり
ここは、御言葉(主の言葉、知識)の学びをしている時の喜びを言っているのでしょう。
主を畏れることにより、知恵と知識が心に入るので、わたしたちの魂は喜ぶのです。
●11節.慎重さがあなたを保ち、英知が守ってくれるので
●12節.あなたは悪い道から救い出され/暴言をはく者を免れることができる。
悪魔が支配するこの世を歩くには、何事も慎重であるべきですが、知恵は、わたしたちをそこから救い出してくれます。
主の知恵を、銀のように「捜し」、隠された宝のように「探り出す」なら、主が知恵を与えるとあります(4節)。
その主の知恵は。「わが子」で「正しい人」(7節)、すなわち、主の「裁きの道を守り/主の慈しみに生きる人」(8節)を、「悪の道」、「暴言をはく者」(主の知恵による歩みとはまったく逆方向のことを言う者)から「救い出す」ために、盾となって「守る」ことだとしています(7節から12節)。
そうした歩みから救われるためには、主から来る知恵が不可欠であると、父が「わが子」に教えようとしているのです。
12節は、「悪の道からあなたを救い出すため」と言う意味です。
●13節.彼らはまっすぐな道を捨て去り、闇の道を歩き
●14節.悪を働くことを楽しみとし/悪と暴言に小躍りする者。
●15節.彼らの道筋は曲がり、通う道はくねっている。
13節から15節は、「闇の道」を歩む者の特徴が記されています。
「悪と暴言に小躍り」は、悪いねじれごとを楽しむと言うことです。
人間が神から離反してから、この世界は悪魔が支配しています。
わたしたちは、日ごろから意識していなければ、すぐに悪魔の誘いに乗ってしまいます。当たり前のように正しいと思って行っていることが当たり前っでなかったりするわけです。
13節の「まっすぐな道を捨て去り」と言うのは、神のご計画をひっくり返すように、「闇の道」を歩もうとして敢えてまっすぐな道を「捨てる」こと。
これが「やみの道に歩」む者の特徴なのでしょう。
ただし、「悪を行うこと」や「悪と暴言に小躍りする」(悪いねじれごと)(14節)はあくまでも神の視点から言われている表現で、人の目にはそのようには写っていないということなのです。
●16節.また、よその女、滑らかに話す異邦の女をも/あなたは免れることができる。
新改訳では、「あなたは、他人の妻から身を避けよ。ことばのなめらかな、見知らぬ女から。」とあります。
その意味は、「あなたは、他人の妻と姦淫してはならない」と言うことです。
「他人の妻(よその女)」とは、「若いころの連れ合いを捨てた」(新改訳)女のことで、また「ことばのなめらかな、見知らぬ女」を指します。
「よその女」は、文字通り「離婚した女」、象徴的に「主からの知恵を待たない者」を指すのでしょう。
主の知恵の賦与は、その女から身を守るためにであり、実際的にはその女に近づくことなく、身を避けるように警告しています。
男が弱いのは「滑らかな言葉」です。それは「よその女」が話すへつらいの言葉です。
それに対して、自分の妻は正直です。自分のことをあからさまに言います。
●17節.若き日の伴侶を捨て/自分の神との契約を忘れた女を。
新改訳では、「彼女は若いころの連れ合いを捨て、その神との契約を忘れている。」とあります。
神の前に誓約を交わして結婚をしたことを忘れています。
●18節.彼女の家は死へ落ち込んで行き/その道は死霊の国へ向かっている。
新改訳では「彼女の家は死に下り、その道筋はやみにつながる。」とあります。
「よその女、滑らかに話す異邦の女」に引き寄せられる男たちは、その言葉や容姿に惑わされ、その道が、「死霊の国」に向かっていることに気づきません。
悪魔は、私たちに瞬時の充足感を約束しますが、その後に襲ってくるものを巧妙に隠します。
●19節.彼女のもとに行く者はだれも戻って来ない。命の道に帰りつくことはできない。
新改訳では、「彼女のもとへ行く者はだれも帰って来ない。いのちの道に至らない。」とあります。
「彼女の下へ」行くことは、「死に下る」ことであり、「その道筋は闇(=死者の霊のところ)につながる」と言うことでしょう。
●20節.こうして/あなたは善人の道を行き/神に従う人の道を守ることができよう。
原文は、「あなたは良い人々の道に歩むために、正しい人々の道を守るがよい」です。
ただし、主の知恵が与えられるのが、自動的に正しい道を歩むことになるのではないのです。
知恵は真実を教えて正しい道を歩むことをうながしますが、「正しい道」は、最終的には人の決断的意志が求められているのでしょう。
この箇所は、「神の知恵」と「この世の知恵」の行き着く所を描いている重要な箇所です。
●21節.正しい人は地に住まいを得、無垢な人はそこに永らえる。
新改訳は、「正直な人は地に住みつき、潔白な人は地に生き残る。」です。
●22節.神に逆らう者は地から断たれ/欺く者はそこから引き抜かれる。
新改訳は、「しかし、悪者どもは地から絶やされ、裏切り者は地から根こぎにされる。」です。
「正しい人」とは、潔白な人、正直な人のことです。
21節と22節は、預言としてとらえると、この地上で現実となる時が来ると言うことでしょう。
クリスチャンから見れば、その時とは、神の知恵そのものである方が、メシアとして地上再臨される時です。
「正しい人」とか「無垢な人」とはどのような人でしょうか。
どちらにも当てはまるのが、神様とその言葉に対する柔らかい心を持つ人と言えます。
「柔らかい心」は、神様の言葉(知恵)を受け入れて心に留める人で、そうすると、柔らかい心はその言葉によって変えられます。
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