父の諭し⑺(6章)
聖書の箇所は、6章1節から5節です。
箴言の格言は、様々な教えが統一もなく語られ、同じ教えが別の章にも繰り返し現れ、それらを総合して見る必要があります。
6章は四つに分かれており、最初は「保証人になるな」です。
古来から保証人制度は貸付金保全の一般的な制度でありました。
困っている人は何とかしてお金を借りたいから、友人や隣人に保証人を依頼しますが、保証人になることは大きな人生の危機に陥る可能性をも持ちます。
コヘレトは、それを繰り返し警告します。
●1節.わが子よ、もし友人の保証人となって/他国の者に手を打って誓い
「手を打って誓い」と言う言葉は、今でもアラブ人の商人の間で、売買の場で契約を交わすときに使われているそうです。
●2節.あなたの口の言葉によって罠に陥り/あなたの口の言葉によって罠にかかったなら
●3節.わが子よ、そのときにはこうして自分を救え。命は友人の手中にあるのだから/行って足を踏みならし、友人を責め立てよ。
連帯保証人になることについての注意が記されています。
2節の「あなたの口の言葉によって・・」というのは、わたしたちはよく物事を考えないで言ってしまったこと、すなわち、保証人を頼まれた時に、契約内容をよく確認せず、後先考えずに、「いいよ。いいよ。」と軽く引き受けてしまうような場合のことを言っているのでしょう。
「罠にかかったなら」ですから、自分の言葉が、後で自分を束縛する強い力になるので、気をつけなければいけないということでしょう。
通常、連帯保証人には、親族、いや家族関係の人とか商取引先しか保証人になりません。
「もし友人の保証人」ですから、友人に頼まれ「他国の者に手を打って誓い」ですから、他国人のために連帯保証になることを言っているのでしょう。
もし、事業が失敗し、保証人にその請求が来たら、保証人が破産に追い込まれるケースもあります。そうしますと、その被害は、自分の家族にも及ぶことになりますから、聖書は、そう簡単に、保証人を引き受けてはならないと言っているのでしょう。
特に、連帯保証人は、その人が負債を負った場合、その人に代わって、すべての責任を負う義務があります。
保証人になるには、それだけの犠牲を払う覚悟があるか、問われるのですね。もし、覚悟がないなら、あるいは、良く考えてとても無理だと思ったら、引き受けてはならないと聖書は、教えるのでしょう。
●4節.あなたの目に眠りを与えず/まぶたにまどろむことを許すな。
●5節.狩人の罠を逃れるかもしかのように/鳥のように、自分を救い出せ。
もし、保証人になって、後で、自分の言葉で相手に縛られた関係に入ってしまった場合、そこからの脱出法をソロモンは教えています。
抜け道があればそこから一目散に逃げなさい、と言っています。
「行って足を踏みならし、友人を責め立てよ。」ですから、隣人にしつこくせがむ、つまり憐れみを請い、何とかしてその契約を解消してもらうのです。
この言葉は、第一義的には、もし、誰かの保証人になってしまった場合には、「交渉しなさい!」と言っているのでしょう。
それも「あなたの目に眠りを与えず/まぶたにまどろむことを許すな」ですから、夜も寝ないでしつこく願うのです。
背景には、すべては神の手にあるので、行ってしつこくせがみなさいと言うことでしょう。
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