父の諭し⑷(3章)
聖書の箇所は、3章21節から35節です。
箴言3章では、ここちよい「快い眠り」を得るための秘訣を父が自分の息子に伝えようとしています。
父が経験していないことを子に教えられるはずがありません。その秘訣とは「すぐれた知性」と「思慮」から目を離さないことです。
●21節.わが子よ、力と慎重さを保って/見失うことのないようにせよ。
新改訳は「わが子よ。すぐれた知性と思慮とをよく見張り、これらを見失うな。」です。
●22節.そうすれば、あなたは魂に命を得/首には優雅な飾りを得るであろう。
新改訳は「それらは、あなたのたましいのいのちとなり、あなたの首の麗しさとなる。」です。
●23節.あなたは確かな道を行き/足はつまずくことがない。
新改訳は「こうして、あなたは安らかに自分の道を歩み、あなたの足はつまずかない。」です。
●24節.横たわるとき、恐れることはなく/横たわれば、快い眠りが訪れる。
新改訳は「あなたが横たわるとき、あなたに恐れはない。休むとき、眠りは、ここちよい。」です。
21節の「見失うことのないようにせよ。」と言うのは、21節を新改訳で見ると、「わが子よ、すぐれた知性と思慮等をよく見張り、これを見失うな。」と、22節は「それらは、あなたのたましいのいのちとなり、あなたの首の麗しさとなる。」、23節は「くして、あなたは安らかに自分の道を歩み、あなたの足はつまずかない。」とありますから、すぐれた知性と思慮をよく見失わないようによく見張りなさい。それらはたましいのいのちとなり、麗しさであるのです。
また、あなたに安らぎを与え、休みを与える。つまずくことがない、と勧めています。
わたしたちが働くのは、多くは、安らかに眠れるためです。
しかし父は子に、安眠を得る秘訣が「すぐれた知性」と「思慮」であることを教え、それから目を離さないことだとしています。
「すぐれた知性」も「思慮」も、その基は「知恵」ですから、神の「知恵」から目を離すなと言っているのでしょう。
ここで「思慮」とは、神に思いを集中して、よく考え、よく調べ、熟慮することを意味するということです。
「横たわれば、快い眠りが訪れる。」は、主を信頼する訓練によって得られる結実です。
●25節.突然襲う恐怖、神に逆らう者を見舞う破滅に/おびえてはならない。
新改訳は、「にわかに起こる恐怖におびえるな。悪者どもが襲いかかってもおびえるな。」です。
●26節.主があなたの傍らにいまし/足が罠にかからないように守ってくださる。
ここ26節の「主があなたの傍らにいまし/足が罠にかからないように守ってくださる。」ということばが真実であるということを身をもって知ること、これが21節の「すぐれた知性と思慮とをよく見張」ることにつながるのでしょう。
神は、わたしたちを守ってくださるが、神の守りと救いは条件付きです。
主の名を呼び求める者、主を恐れる人、主を愛する人が守られる、という約束です。主のことを無視し、顧みない人に主は災いから守る約束をしておられません。
25節の新改訳は、「にわかに起こる恐怖におびえるな。悪者どもが襲いかかってもおびえるな。」ですから、しっかりと自分自身を主の愛の中に、主の知恵の中に保っているならば、なんら恐れることはない、と言っているのでしょう。
●27節.施すべき相手に善行を拒むな/あなたの手にその力があるなら。
新改訳は、27節は「あなたの手に善を行う力があるとき、求める者に、それを拒むな。」、28節は、「あなたに財産があるとき、あなたの隣人に向かい、「去って、また来なさい。あす、あげよう」と言うな。」とあります。
わたしたちに与えられているものは、すべて神様からいただいたものです。それゆえ、「施すべき相手に善行を拒むなと教えています。
困って助けを求める人に対して拒んではならないとする教えだと理解します。
なお、騙したり、間違った仕方で施しを求められると、わたしたちは前項に躊躇しますが、主はそれでも、たゆみなく行ないなさいと命じられていると思います。
「騙したり、間違った仕方」ですが、そういう問題は施しを受ける方の問題で、ここは施しをする方のことを言っているのですから、そういうことでしょう。
●29節.友に対して悪意を耕すな/彼は安心してあなたのもとに住んでいるのだ。
●30節.理由もなく他人と争うな/あなたに悪事をはたらいていないなら。
わたしたちは常に自分が何か楽しめるネタ、自分の心の寂しさを満たしてくれそうなネタを探しています。
自分に特に害を与えているわけでもないに理由もなく他者の欠点(違うところ)を批判し、非難して楽しむのです。
ここではそうならないように気を付けるように戒めています。
●31節.不法を行う者をうらやむな、その道を選ぶな。
●32節.主は曲がった者をいとい/まっすぐな人と交わってくださる。
「不法を行う者」(暴虐を行う者)ですが、今日では、匿名性を利用したインターネットによる誹謗中傷があります。
時には、弱い者の欠点を上げ辛い攻撃する者もいます。
ネット上では、誰かはわかりませんから自由に他者を非難したくなるものです。自分を安全なところにおいて、人を貶めるのでから、不法を行う垣根は非常に低くなります。
自分もたまっている鬱憤を晴らしたい、と願うときもあるでしょう。
しかし、その道を選んではいけません。主は、どんな理由があるにせよ、「主は曲がった者(よこしまな者)をいとい/まっすぐな人と交わってくださる。」のです。
●33節.主に逆らう者の家には主の呪いが/主に従う人の住みかには祝福がある。
33節から35節まで、悪者と正しい者を対比しています。
悪者はこうであるが、正しい人はこうである、という対比です。
33節は、「主に逆らう者」と「主に従う者」です。
「主に従う」と言うのは、主の言葉を聞き、心に留めて従う人です。
●34節.主は不遜な者を嘲り/へりくだる人に恵みを賜る。
●35節.知恵ある人は名誉を嗣業として受け/愚か者は軽蔑を受ける。
34節は、「不遜な者」と「へりくだる人」です。
「へりくだる人」とは、主に従うという意味があるそうです。
35節は、「知恵ある人」と「愚か者」です。
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