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2021年10月23日 (土)

格言集⑴(6章)

聖書の箇所は、6章6節から19節です。
「よく働きなさい!」と言っている。

 

●6節.怠け者よ、蟻のところに行って見よ。その道を見て、知恵を得よ。

 

なまけ者に対しては、蟻から知恵を学べと命じています。
「なまけ者」に対して、「蟻」のところに行って、蟻をよく観察して、その蟻から「知恵を得よ」と命じています。
「行って」「よく観察して」「知恵を得よ」という三つの命令ですが、そもそも面倒なことをしない「なまけ者」にとってはハードルの高い命令です。

 

なお、蟻の習性を調べてみると、蟻をよく観察した学者の報告によれば、蟻の群れでは100匹のうちの20%は働いていないそうです。
では残る80匹を取り出して観察すると、やはりその80匹の20パーセントは働きをしないという結果になるそうです。
なお、この20%は、働いている蟻が働けなくなる時のために備えていると言うことです。

 

 

一つの社会で、全体のいのちの存続と継承のために80パーセントの蟻はもくもくと命令もされないのに献身的に働いているのです。
果たして人間の社会ではどの程度の者が献身的に働くことでしょうか。
人間社会も、蟻の優秀な社会機構に見習わなければなりません。

 

●7節.蟻には首領もなく、指揮官も支配者もないが
●8節.夏の間にパンを備え、刈り入れ時に食糧を集める。

 

それにしても、神様は蟻にこのような知恵を与えられたことに感心します。
進化論のように、自然淘汰でこのような蟻が出来るとはとても思えません。
そこには設計者が必ずおられるはずです。

 

蟻には親分がいないそうですが、このように秩序だった行動がなされているのです。
夏の間に冬のための食料を確保しているように、将来を見据えて今から行動を取っているのです。
このようなことは、怠惰な人間にはとても考えられません。

 

怠惰な人は、自分が動かないで、まず、人に頼ろうとします。そして、やらなければならないことができなければ,言い訳をします。
それでいて、欲の皮は人一倍張っています。

 

蟻は、他から何も言われなくても、命じる人がなくても、やがて来る冬に備えて、夏のうちに食料を蓄えておきます。
けれども怠け者は、強制されなければ、行動しませんし、面倒なことはしません。
それでいて、物を欲しがるし、人をうらやむことしか知りません。

 

しなければいけないことを先送りしても、前もって将来のために用意するなど考えられません。
以上、怠け者について書いてみましたが、総じて「なまけ者」は自己中心です。

 

●9節.怠け者よ、いつまで横になっているのか。いつ、眠りから起き上がるのか。
●10節.しばらく眠り、しばらくまどろみ/しばらく手をこまぬいて、また横になる。
●11節.貧乏は盗賊のように/欠乏は盾を持つ者のように襲う。
新改訳は「だから、あなたの貧しさは浮浪者のように、あなたの乏しさは横着者のようにやって来る。」です。

 

貧乏は怠惰のせいだと言っているのでしょうが、すべての貧しい人が、怠惰のせいではありません。
多くの場合、怠け者は、病気ならいざ知らず、働き口を探すことなくただ一日をぼんやりと過ごしています。

 

●12節.ならず者、悪を行う者、曲がったことを言い歩く者
新改訳は、「よこしまな者や不法の者は、曲がったことを言って歩き回り、」です。
●13節.目くばせし、足で合図し、指さす者
●14節.心に暴言を隠し、悪を耕し/絶えずいさかいを起こさせる者
新改訳は、「そのねじれた心は、いつも悪を計り、争いをまき散らす。」です。

 

怠けることと、不法を行なうことは関連していると言うことでしょうか。
まじめに働くことは、収入の糧を得るということだけでなく、悪い事を行なわない予防にもなると言うことでしょう。

 

人間、貧乏で暇だと妬みのためでしょうか、ろくなことを考えませんからね。

 

●15節.このような者には、突然、災いが襲いかかり/たちまち痛手を負うが、彼を癒す者はない。
新改訳は、「それゆえ、災害は突然やって来て、彼はたちまち滅ぼされ、いやされることはない。」です。

 

災害がやって来た時に、用意ができている人は助かりますが、怠けて用意していなければ、「痛手を負う」。でも、怠け者を慰める者、助ける者はいない。

 

●16節.主の憎まれるものが六つある。心からいとわれるものが七つある。

 

六つではなく、いや七つ、というのは、これから話す事を強調するための言い回しでしょう。

 

●17節.驕り高ぶる目、うそをつく舌/罪もない人の血を流す手

 

七つのうち最初が、「驕り高ぶる目」です。
心の中の働きである「高ぶり」は、罪を生むのです。

 

この罪は、わたしたちが気をつけていないと実に簡単に陥る罪ですが、一見、謙遜に見えて実は高ぶりである場合もあるので気を付ける必要があります。

 

高ぶりによって、人間は神に拠り頼むことがなくなり、神から離れて生きています。
二番目は、「そをつく舌/罪もない人の血を流す手」です。

 

一番目の高ぶりが、いろいろな罪の原因であると言えますが、高ぶりは、人をより高く見せようとします。
そこには自己欺瞞があり偽りがあります。

 

嘘をついて、人を見下し、批判して、おとしめることによって自己顕示しようとします。ですから、「罪もない人の血を流す手」です。

 

●18節.悪だくみを耕す心、悪事へと急いで走る足
新改訳は「邪悪な計画を細工する心、悪へ走るに速い足、」です。

 

邪悪な計画は、故意に罪を犯すところから始まります。
「悪だくみを耕す心」と言うのは、正しいやり方がわかっているのに、それに公然と反抗し、そして自分のうちで悪を行なう計画を立てることです。

 

「悪事へと急いで走る足」は、悪いことを行う状況が来ると、すぐに飛びつく心を表わしているのでしょう。

 

●19節.欺いて発言する者、うそをつく証人/兄弟の間にいさかいを起こさせる者。

 

新改訳は「まやかしを吹聴する偽りの証人、兄弟の間に争いをひき起こす者。」です。
「まやかしを吹聴」とは、噂話、そしりのことでしょう。

 

うその噂話は、兄弟の間に争いを引き起こします。
「まやかしを吹聴」は、人を和解させるのではなく仲たがいさせ、愛を生むのではなく憎しみや怒りを煽ります。

 

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