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2021年10月の記事

2021年10月 2日 (土)

父の諭し⑵(2章)

聖書の箇所は、2章1節から22節です。
この箇所に出てくる「知恵」は、「この世の知恵」と「神の知恵」があり、それらは「信者と不信者」「正義と不法」「光と暗やみ」「主の宮と偶像」と同様、両者にはどんなつながりも、どんな交わりも、何の一致もない、全く異質なものです。

 

「この世の知恵」と「神の知恵」に違いをパウロの言葉を参考に示しますと
⑴「この世の知恵」
①「説得力のある知恵」
②「支配者たちの知恵」
⑵「神の知恵」・・この世の支配者たちは、誰一人悟ることはできない。悟には、御霊による啓示が必要。
①「成人(=成熟した者たち)の間で語られる知恵」
②「隠された奥義としての知恵」
③「御霊によって啓示された知恵」
④「神が、世界の始まる前から、あらかじめ定められた知恵」

 

 

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父の諭し⑶(3章)

聖書の箇所は、3章1節から12節です。
この章も2章と同様に「わが子よ」)で始まっています。

 

2章では、「もし・・・するなら、そのとき、あなたは・・するだろう。」という定型文となっていました。
3章1節から12節における「命令形」はすべて2人称男性単数で「・・しなさい。そうすれば・・であろう。」、「・・してはならない。(なぜなら)・・」という表現方法が使われています。

 

これは、文体によって子どもたちが父のことばを覚えやすいように工夫されているのでしょう。

 

●1節.わが子よ、わたしの教えを忘れるな。わたしの戒めを心に納めよ。
●2節.そうすれば、命の年月、生涯の日々は増し/平和が与えられるであろう。

 

両親は、「わたしの教えを忘れるな。わたしの戒めを心に納めよ。」と、子供に教え、命じなければいけません。
言い換えれば、子供は、主にあって訓戒し、主にあって教育するのでしょう。

 

それで初めて子供は(主からの)両親の助言に耳を傾け、両親に従うことができるのです。

 

 

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知恵の勧め⑵(3章)

聖書の箇所は、3章13節から20節です。
この箇所は、二つに分けることが出来ます。

 

ひとつは、幸いな人とは「知恵に到達した人」であり、その知恵によって得る者は、「銀によって得るものにまさり、」、彼女によって収穫するものは金にまさる」です。

 

もうひとつは、知恵は天と地の創造と根源的に深くかかわっているということです。

 

●13節.いかに幸いなことか/知恵に到達した人、英知を獲得した人は。
●14節.知恵によって得るものは/銀によって得るものにまさり/彼女によって収穫するものは金にまさる。
●15節.真珠よりも貴く/どのような財宝も比べることはできない。

 

 

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2021年10月10日 (日)

父の諭し⑷(3章)

聖書の箇所は、3章21節から35節です。
箴言3章では、ここちよい「快い眠り」を得るための秘訣を父が自分の息子に伝えようとしています。

 

父が経験していないことを子に教えられるはずがありません。その秘訣とは「すぐれた知性」と「思慮」から目を離さないことです。
●21節.わが子よ、力と慎重さを保って/見失うことのないようにせよ。
新改訳は「わが子よ。すぐれた知性と思慮とをよく見張り、これらを見失うな。」です。
●22節.そうすれば、あなたは魂に命を得/首には優雅な飾りを得るであろう。
新改訳は「それらは、あなたのたましいのいのちとなり、あなたの首の麗しさとなる。」です。
●23節.あなたは確かな道を行き/足はつまずくことがない。
新改訳は「こうして、あなたは安らかに自分の道を歩み、あなたの足はつまずかない。」です。
●24節.横たわるとき、恐れることはなく/横たわれば、快い眠りが訪れる。

 

新改訳は「あなたが横たわるとき、あなたに恐れはない。休むとき、眠りは、ここちよい。」です。

 

21節の「見失うことのないようにせよ。」と言うのは、21節を新改訳で見ると、「わが子よ、すぐれた知性と思慮等をよく見張り、これを見失うな。」と、22節は「それらは、あなたのたましいのいのちとなり、あなたの首の麗しさとなる。」、23節は「くして、あなたは安らかに自分の道を歩み、あなたの足はつまずかない。」とありますから、すぐれた知性と思慮をよく見失わないようによく見張りなさい。それらはたましいのいのちとなり、麗しさであるのです。

 

 

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父の諭し⑸(4章)

聖書の箇所は、4章1節から27節です。

 

●1節.子らよ、父の諭しを聞け/分別をわきまえるために、耳を傾けよ。

 

「わが子よ」ではなく「子らよ」で複数ですね。
自分は一人子であったが、自分の子供は複数である、と言うことでしょうか。

 

●2節.わたしは幸いを説いているのだ。わたしの教えを捨ててはならない。
●3節.わたしも父にとっては息子であり/母のもとでは、いとけない独り子であった。

 

新改訳は、「私が、私の父には、子であり、私の母にとっては、おとなしいひとり子であったとき、」です。
父が「わが子よ」とか「子らよ」と呼びかけて、伝えている教訓は、彼の父から譲り受けたものでした。

 

子の父をソロモンとすると、父はもちろんダビデで、母はベテ・シェバです。
ソロモンは、自分のことを「いとけない独り子」(新改訳はおとなしいひとり子」と呼んでいます。

 

 

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2021年10月23日 (土)

父の諭し⑹(5章)

聖書の箇所は、5章1節から23節です。
●1節.わが子よ、わたしの知恵に耳を傾け/わたしの英知に耳を向けよ。
●2節.そうすれば、あなたは唇に慎みを守り/知識を保つことができる。
●3節.よその女の唇は蜜を滴らせ/その口は油よりも滑らかだ。

 

「よその女」、つまりイスラエル人ではない他国の女であり、神の知識を持っていない女です。
よその女は初めに口で甘いことを滑らかな言葉で誘います。

 

男はこの甘い、滑らかな言葉に脆いのです。
この「よその女」は、新改訳は「他国の女」、口語訳は「遊女」となっています。

 

他に、だらしない女とか異国の女と訳されて、大方、誘惑して姦通する女を示す語として使われています。
この名詞の基になっている動詞には、「押しつぶす」「押し入る」「遠ざける」「迷う、迷わせる」「吐き気を催させる」などの意味があるそうです。

 

 

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父の諭し⑺(6章)

聖書の箇所は、6章1節から5節です。
箴言の格言は、様々な教えが統一もなく語られ、同じ教えが別の章にも繰り返し現れ、それらを総合して見る必要があります。

 

6章は四つに分かれており、最初は「保証人になるな」です。
古来から保証人制度は貸付金保全の一般的な制度でありました。

 

困っている人は何とかしてお金を借りたいから、友人や隣人に保証人を依頼しますが、保証人になることは大きな人生の危機に陥る可能性をも持ちます。
コヘレトは、それを繰り返し警告します。

 

●1節.わが子よ、もし友人の保証人となって/他国の者に手を打って誓い


「手を打って誓い」と言う言葉は、今でもアラブ人の商人の間で、売買の場で契約を交わすときに使われているそうです。


●2節.あなたの口の言葉によって罠に陥り/あなたの口の言葉によって罠にかかったなら
●3節.わが子よ、そのときにはこうして自分を救え。命は友人の手中にあるのだから/行って足を踏みならし、友人を責め立てよ。

 

 

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格言集⑴(6章)

聖書の箇所は、6章6節から19節です。
「よく働きなさい!」と言っている。

 

●6節.怠け者よ、蟻のところに行って見よ。その道を見て、知恵を得よ。

 

なまけ者に対しては、蟻から知恵を学べと命じています。
「なまけ者」に対して、「蟻」のところに行って、蟻をよく観察して、その蟻から「知恵を得よ」と命じています。
「行って」「よく観察して」「知恵を得よ」という三つの命令ですが、そもそも面倒なことをしない「なまけ者」にとってはハードルの高い命令です。

 

なお、蟻の習性を調べてみると、蟻をよく観察した学者の報告によれば、蟻の群れでは100匹のうちの20%は働いていないそうです。
では残る80匹を取り出して観察すると、やはりその80匹の20パーセントは働きをしないという結果になるそうです。
なお、この20%は、働いている蟻が働けなくなる時のために備えていると言うことです。

 

 

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2021年10月30日 (土)

父の諭し⑻(6章)

聖書の箇所は、6章20節から35節です。
この箇所は、「父の諭し」の第八回目です。
わが子を諭す父の教えという設定の段落で、ここで8回目になるいうわけです。子どものことを思って繰り返し、冒頭の言葉(20節)の通り、「わが子よ、父の教えを守れ。母の教えをおろそかにするな」と語り続けているのです。

 

諭しの中心点は、悪い女・異邦の女、人妻や友人の妻と姦通するならば、身の破滅を招くという警告です。
どのような償いをしても相手の夫はその償いを受け入れることはなく、嫉妬に怒り刈られ復讐するとき、彼に報復して容赦せず、としてしています。
姦通罪の恐ろしさを、両親は子に教えようとしているのでしょう。

 

●20節.わが子よ、父の戒めを守れ。母の教えをおろそかにするな。

 

箴言における父と母の主にある教育は、天における神の家族を実現するための、地上における取り組みと言えるのでしょう。
神に選ばれた男と女が結婚して、そこに子が与えられて家族がつくられますが、その家族の中に神のご計画が現わされるのでしょう。
しかも、「父」「母」「子」にはそれぞれ担うべき務めがあります。

 

神にある家族の中での父の役割は、「強い家」「確固とした家」を備える存在。
母の役割は、家族を一つに結び合わせる役割です。
子の役割は、「家を継承する」役割と言えます。

 

 

 

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父の諭し㈨(7章)

聖書の箇所は、7章1節から27節です。
1章から9章はソロモンが息子に語りかける形で箴言が述べられていますが、6章では、人妻と通じたら夫の怒りを買い大変なことになることを読みました。

 

7章は、若い男がどのように女の餌食になるのか、その様子を克明に描いています。
以下のように三つの部分からなっています。

 

(1) 1〜5節 「わが子」に対する父の諭し
(2) 6〜23節 格子窓から見た風景
(3) 24〜27節「子どもら」に対する父の諭し

 

●1節.わが子よ、わたしの言うことを守り/戒めを心に納めよ。

 

「わたしの言うこと」は、父の言うことですから神の言葉で、それを「心に納めよ」(蓄えよ)です。
御言葉を心に蓄えれば神に罪を犯すことはありません(11節)。

 

●2節.戒めを守って、命を得よ。わたしの教えを瞳のように守れ。
新改訳は、「私の命令を守って、生きよ。私のおしえを、あなたのひとみのように守れ。」です。

 

「瞳」を最も大事なものに喩えて、その最も大事なものとして「わたしの教え」守りなさいと言うことでしょう。
日本には「目の中に入れても痛くない」という慣用句がありますが、それは自分の子どもや孫がとても愛らしくてかわいくてたまらない思いを表しています。
そのように、「ひとみ(瞳)」はとても大切なものを表わすたとえでしょう。

 

 

 

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