序(箴言を読む)(1章)
聖書の箇所は、1章1節から7節です。
●1節.イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの箴言。
●2節.これは知恵と諭しをわきまえ/分別ある言葉を理解するため
●3節.諭しを受け入れて/正義と裁きと公平に目覚めるため。
●4節.未熟な者に熟慮を教え/若者に知識と慎重さを与えるため。
箴言はだれによって学ばれるべきなのかが、4節に記されています。
「未熟な者」)、すなわち「若い者」です。
「わきまえのない者」(新改訳)の他に、「思慮のない者」(口語訳))とも訳されます。
この当時の「若い者」とは、男の子で少年から青年を意味しますが、彼らを教育する側にいる者は、家庭生活においてはその両親(父親)であり、ユダヤの会堂であれば「ラビと言われる教師」、より大きなレベルでは「権威を与えられた者」(聖書がまだ正典とされていなかった時代においては「使徒」)と言えます。
箴言を学ぶ目的は、先にも書きましたが、四つあります。
①「知恵と訓戒を学ぶため」(正しい生き方をすることができるように、訓練されること)。
②「悟りのことば、箴言、比喩、なぞを理解するため」(よく注意し、よく考え、よく調べて、よく悟る(物事を判断する識別力を身に付けること)。
③「正義と公義と公正と、思慮ある訓戒を体得するため」。
④「分別と知識と思慮を与えるため」(若者にありがちな未熟さ故)。
前半部分の1章から9章までは、「若い者」に対する知識や思慮を意識しています。若い者に特徴的なのは、未熟さです。
●5節.これに聞き従えば、賢人もなお説得力を加え/聡明な人も指導力を増すであろう。
「指導」は、英語では、「カウンセリング」と訳すことができるそうですが、
ただし、心理学や精神医学の「カウンセリング」とは少し違うようです。
ここ5節では、「聞き従えば」ですから、箴言の目的が果たされることによって、「賢人もなお説得力を加え」ですから、賢い者とされた者はさらに説得力を深め、「聡明な人も指導力を増す、」ですから、悟りのあるとされた者(聡明な者)はより指導力が増し加えられるとされています。
●6節.また、格言、寓話/賢人らの言葉と謎を理解するため。
箴言は、格言と、比喩です。「謎」は、隠喩的に書かれているものでしょう。
●7節.主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。
箴言を理解する前提として、「主を畏れること」としています。
「知識の初め」の「初め」は、「第一」「最優先事項」と訳すことができるそうです。
ですからここは、箴言を学びいろいろな知識を得るが、主を畏れることが知識の初めである、という意味でしょう。
父は子に「主を畏れる者」と「無知な者」の相違を明確に教えることによって、子がやがて自ら「主を畏れること」を選び取って行けるような教育を施そうとしているのでしょう。
このように、箴言における教育は、「家庭教育」からはじまっているのです。
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