神は御子によって語られた(1章)
聖書の箇所は、ヘブライ人への手紙1章1節から4節です。
●1節.神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、
神は語られる神ですから言葉の神です。言葉ですから、その言葉には発する人の力が、すなわち、神の思いが働いています。
このように神を語られる神として認識するのは、聖書の神以外にはないでしょう。
「かつて」ですから、むかしに神が語られた時のことと、御子イエス・キリストが現われてから語られていることとを対比しています。
むかし、すなわち旧約聖書の時代は、預言者を通してイスラエルの先祖たちに神は語られました。
「多くのかたちで」語られたとありますが、これは、時代を追って、少しずつ神がご自分の計画を明らかにされたことを意味しているのでしょう。
つまり、アダムに与えられた神の啓示よりも、ノアに与えられた神の啓示のほうが、詳しくなっています。
ノアよりもアブラハムのほうが、アブラハムよりもモーセのほうが、モーセよりもダビデのほうが、神のご計画が詳しく明らかにされているということです。
それぞれの時代に分けて神は語られ、ご自分の目的とご計画を徐々に明らかにされたのです。
そして、「多くのしかたで」とありますが、それは、神の言葉の聞き方を言っているのでしょう。
すなわち、多くの人が、神は言葉と声をもって語られたとか、夢や幻の中で語られたとか、内なる声で語られたとか、祭司のウリムとトンミム(人が啓示を受けたり翻訳をしたりするのを助ける目的で,神が備えられた道具。と説明されています。)によって、神の御心を知るとか、いろいろな方法で神は先祖たちに、語られたのです。
●2節.この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。
神はイスラエルに、預言者によって語り掛けられましたが、いま「終わりの時代」には、「御子によって、わたしたちに語られ」たのです。
この「御子によって語られた」は、イエスの言葉だけではなく、地上のおられるときのイエスに関わる出来事、なされたことすべてを指しているのでしょう。
イエスはこのようなことを言っておられます。
「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。」(マタイの福音書5章17節)。
即ち、イエス自身が、旧約聖書の律法と預言の成就そのものだと言われているのです。
ユダヤ人指導者たちには、こう言われました。
「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。」(ヨハネの福音書5章39節)。
旧約聖書はイエスを証しているのです。
キリストが来られたことによって、律法とか預言が成就したということは、神の人類救済の御計画が完成したということになります。
そして、御子イエスは、「万物の相続者」なのです。
ヨハネの福音書3章35節には、「御父は御子を愛して、その手にすべてをゆだねられた。」とあります。
神は「御子によって世界を創造」されたのです。
ヨハネの福音書1章3節に「万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。」(「言」はキリストのこと)とあります。
●3節.御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。
御子は「神の本質の完全な現れ」ですから、神と同等、神そのものと言えます。
御子は肉を持って生まれましたから、神が肉の姿を取って、人間の前に現われてくださったということでしょう。
ヨハネの福音書14章9節にこのようなイエスの言葉があります。
「イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。」
このようにイエスを見た者は、神を見たことになるのです。
「万物を御自分の力ある言葉によって支えておられます」は、御子は、万物を創造し、万物を相続しておられるだけではなく、万物を支えておられるのですから、この天地万物の秩序を保っておられるのです。
その方が、「人々の罪を清められた」ですから、人類の罪を贖うために贖罪の犠牲として、十字架上で血を流されたのです。
そして、「大いなる方の右の座」ですから、今は神に次ぐ座に着いておられるのです。
●4節.御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。
著者は、御子と天使に関する聖書の言葉を引用して、御子が天使に優る方であることを論証します。
天使に関する聖書の箇所は1章7節(詩編104編4節を引用)、御子に向かって語られた言葉は1章5節(詩編2編7節を引用)、1章13節(詩編110編1節を引用)です。
そして、1章14節で、「天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされたのではなかったですか。」と結論します。
これらは、人々が陥りやすい天使礼拝を戒め(コロサイ2章8節)、キリストを天使であるかのように拝する誤り(天使であれば被造物になる)を防ぎ、御子であるキリストによる救いがいかに尊いものであるかを明らかにしています。
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