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2019年9月10日 (火)

家族に対して(3章)

聖書の箇所は、コロサイの信徒への手紙3章18節から4章1節です。

 

ここは「家族に対して」ですが、内容は当時のローマ社会の家庭倫理をそのまま踏襲しているそうです。

 

そして、それを根拠づけるために「主を信じる者」という視点から書かれています。

 

内容は、まず、下位の者に服従を求めています。

 

当時のローマ社会が父権的な家父長制の家族であったことの表れでしょう。

 

キリストに属する者も、家庭においては、そのようにすることを求められます。

 

その上で上位に立つ者(夫、父親、主人)に、下位の者への配慮をするように勧告しています。

 

 

ということは、キリストに結ばれた者も、その置かれた社会の枠組みの中で健全な歩みをするように求められているのです。

 

イエスは弟子たちに、家族との対立や分裂を覚悟するように求められましたが、比べると随分違います。

 

状況が変わってきたのでしょうか。

 

歴史は進み時代背景は変わります。

 

ですから、ここの当時の「家庭訓」をそのまま現代に適用することはできないと思います。

 

現代では、 現代社会の状況の中で「主にある者としてふさわしく」生きる道を模索し、主にある新しい家庭像を構築する努力をしなければならないのでしょう。

 

キリストの属する者は、置かれた時代と社会の中で、福音を生きる努力をする課題を負っているのでしょうね。

 

御霊の思いを正しく受け止める努力が必要なのでしょう。

 

以下簡単に各節を見てみます。

 

●18節.妻たちよ、主を信じる者にふさわしく、夫に仕えなさい。

 

「仕えなさい」というのは、支配されることを思い、余り人気のない言葉ですが、家庭内の秩序が求められているのでしょう。

 

ただし、何が何でも使えるのではなく、あくまで「主を信じる者にふさわしく」という条件付きです。

 

だから、仕えると言っても、妻が夫の所有物とか奴隷になるのではなく、両者は先ずキリストの僕として、妻はキリストに仕えるために神が与えてくださった夫にも仕えなさいと言うことでしょう。

 

●19節.夫たちよ、妻を愛しなさい。つらく当たってはならない。

 

夫が妻に対して与えられている、神からの命令は、「愛しなさい」 です。

 

もし、夫がキリストの愛を持って妻を愛せば、妻は夫に仕えなさいという勧告も理解できます。

 

夫婦間においても秩序を保つことが大切なのですね。

 

●20節.子供たち、どんなことについても両親に従いなさい。それは主に喜ばれることです。

 

夫婦関係の次は親子関係です。

 

子どもたちは、両親に「従いなさい」という命令です。

 

もちろん、妻が夫に従うときと同じように、「主を信じる者にふさわしく」従います。それは、「主に喜ばれること」だからとしています。

 

ということは、子どもも、大人と同じように、主イエス・キリストを信じることができるし、また信じなさいと言うことでしょう。

 

●21節.父親たち、子供をいらだたせてはならない。いじけるといけないからです。

 

「いらだたせてはならない。」のもともとの意味は、「こすって、ひりひりさせる」 ということです。

 

そこから、「走るようにせかされて、疲れ果てる人」という使われ方をしていると言うことです。

 

こうしなさい、ああしなさい、これはしてはいけません、だめですよ、などと続けざまに怒鳴り、急がすと、ついに、子供はどうすればよいか分からなくなってしまいます。そのような状態を指しているのでしょう。

 

そして、その理由を、「いじけるといけないからです。」とします.。

 

●22節.奴隷たち、どんなことについても肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとしてうわべだけで仕えず、主を畏れつつ、真心を込めて従いなさい。

 

ここは奴隷と主人の関係です。現在では雇用関係でしょう。

 

雇われている人は、雇っている人に従いなさい、というのが勧めです。

 

ここの「従いなさい」も、「言うことに聞き従う」というギリシヤ語が使われていると言うことです。

 

雇われている人は、「人にへつらおうとしてうわべだけ」の仕え方ではなく、すなわち、上司が見ているときには、一生懸命働きますが、見ていないときは手を抜くと言うような働き方ではなく、主が見ておられるのだから、「主を畏れつつ、真心を込めて」従いなさいと勧めています。

 

どのような雇用関係か、組織はどうかなどの条件はないのですが、この下がいなさいは、盲目的にではなく、当然主のみ心に沿ってという条件はあるでしょう。

 

●23節.何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。

 

「何をするにも、人に対してではなく、主に対して」ですから、妻が夫に仕えるのも、子供が両親に従うのも、奴隷が主人に仕えるのも主に対してするように心から行いなさいと勧めます。

 

不平を言いながら、呟きながら仕えると、そこには争いとか不和が生まれます。

 

●24節.あなたがたは、御国を受け継ぐという報いを主から受けることを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。

 

●25節.不義を行う者は、その不義の報いを受けるでしょう。そこには分け隔てはありません。

 

人に仕える中で、報いが無くても、不公平な扱いを受けることがあっても、大事なことは、それは主に仕えていることを忘れないようにと言っているのでしょう。

 

ですから、たとえ、報いが無くても、不公平な取り扱いを受けても、主ご自身はあなたに報いてくださる。

 

また、「不義を行う者は、その不義の報いを受け」公平な取り扱いをしてくださるのです。

 

●4章1節.主人たち、奴隷を正しく、公平に扱いなさい。知ってのとおり、あなたがたにも主人が天におられるのです。

 

ここは主人、すなわち雇用者に対する勧めです。

 

自分の下で働いている者たちには、公平に取り扱いなさい、つまり賃金を取り決め通りきちんと払いなさい、ということでしょう。

 

そして、「あなたがたにも主人が天におられる」と書いています。

 

人の上に立つ人は、自分自身がキリストの権威の下にいることを知らなければならないのです。

 

支配される者の心を知っている人こそ、人を支配することができるのですね。

 

 

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