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2019年9月10日 (火)

結びの言葉(4章)

聖書の箇所は、コロサイの信徒への手紙4章7節から4章18節です。

 

ここの手紙の結びの挨拶を読むと、この手紙がパウロ本人によって書かれたと思えますね。

 

しかし、最近の調査では、この手紙はパウロ名によるパウロの後継者の書簡とされていますので、そのつもりで書きました。

 

この手紙の著者は、コロサイの危険な状況に対処するために、自分たち(パウロ系共同体)の間でキリストの使徒としての権威が確立しているパウロの名によって、すなわちパウロの名代としてこの文書を書きました。したがって、著者はパウロの手紙の形式を踏襲しています。

 

 

それで、最後にパウロの個人的挨拶を加えることになりますが、その際に、解説によると、おそらく、著者はエフェソ近辺でパウロと宣教活動を共にした親しい協力者であり、その活動の時期に書かれたパウロの手紙の写しを所有しており、この勧告文書を書くにあたって、パウロの立場で勧告していることを印象づけるために、手許にあるパウロの手紙の一部を用いたと推察されていると言うことです。

 

●7節.わたしの様子については、ティキコがすべてを話すことでしょう。彼は主に結ばれた、愛する兄弟、忠実に仕える者、仲間の僕です。

 

●8節.彼をそちらに送るのは、あなたがたがわたしたちの様子を知り、彼によって心が励まされるためなのです。

 

●9節.また、あなたがたの一人、忠実な愛する兄弟オネシモを一緒に行かせます。彼らは、こちらの事情をすべて知らせるでしょう。

 

パウロは、忠実な愛する兄弟二人、すなわち、ティキコとオネシモをコロサイの町に行かせると言っています。二人とも、パウロのことをよく知っている同労者であったのでしょう。ですからこの二人は、パウロの証人にもなるわけです。

 

●10節.わたしと一緒に捕らわれの身となっているアリスタルコが、そしてバルナバのいとこマルコが、あなたがたによろしくと言っています。このマルコについては、もしそちらに行ったら迎えるようにとの指示を、あなたがたは受けているはずです。

 

●11節.ユストと呼ばれるイエスも、よろしくと言っています。割礼を受けた者では、この三人だけが神の国のために共に働く者であり、わたしにとって慰めとなった人々です。

 

アリスタルコとマルコとイエスの三人は、みなユダヤ人だと言うことです。

 

彼らが数少ない、パウロのユダヤ人の同労者でした。

 

●12節.あなたがたの一人、キリスト・イエスの僕エパフラスが、あなたがたによろしくと言っています。彼は、あなたがたが完全な者となり、神の御心をすべて確信しているようにと、いつもあなたがたのために熱心に祈っています。

 

●13節.わたしは証言しますが、彼はあなたがたのため、またラオディキアとヒエラポリスの人々のために、非常に労苦しています。
●14節.愛する医者ルカとデマスも、あなたがたによろしくと言っています。

 

エパフラスとルカとデマスの三人は、おそらくみな異邦人だと言うことです。エペフラスは、コロサイの集会の人であり、ルカは病の多いパウロとともに行動した医者ではないかと言うことです。
●15節.ラオディキアの兄弟たち、および、ニンファと彼女の家にある教会の人々によろしく伝えてください。

 

●16節.この手紙があなたがたのところで読まれたら、ラオディキアの教会でも読まれるように、取り計らってください。また、ラオディキアから回って来る手紙を、あなたがたも読んでください。

 

ラオディキアはコロサイのすぐ東にある町です。

 

パウロはそこでもこの手紙が読まれるように指図したのでしょう。

 

●17節.アルキポに、「主に結ばれた者としてゆだねられた務めに意を用い、それをよく果たすように」と伝えてください。

 

●18節.わたしパウロが、自分の手で挨拶を記します。わたしが捕らわれの身であることを、心に留めてください。恵みがあなたがたと共にあるように。

 

パウロは、自分が牢につながれていることを忘れずないでください、とお願いしています。

 

この手紙の著者は、おそらく異邦人ではと言われています。

 

しかも、書かれた年代は、手紙の内容からユダヤ戦争でのエルサレム神殿の崩壊(紀元70年)以降だとされています。

 

パウロの救済史は、メシア・キリストによってイスラエルに対する神の約束が成就し、救われ完成されたイスラエルに異邦諸民族が参与するという形で世界に神の支配が実現するという構想です。

 

それに対してこの手紙の著者のかたる救済史は、ユダヤ人には気を使う必要のない異邦人の時代に入っているからか、神の救済の担い手は、イスラエルとは別に異邦人からなるキリストの民の集会(エクレーシア)に移っていると思います。

 

その異邦人のキリスト理解がこのコロサイ書で表明されていることになります。

 

この手紙によって、パウロがいなくなった後も、パウロの福音がヘレニズム世界にしっかりと根付いて展開している姿が見られ、その後のキリスト教は、パウロよりもむしろコロサイ書に書かれたキリスト信仰の線で進むことになります。

 

この手紙の著者は、パウロを神の奥義を委ねられた使徒としていますので、パウロの救済史的なキリスト信仰は引き継がれ、パウロ系共同体の中で救済史神学が形成されることになったのではないかということです。

 

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