子と親(6章)
聖書の箇所は、エフェソの信徒への手紙6章1節から4節です。
●1節.子供たち、主に結ばれている者として両親に従いなさい。それは正しいことです。
●2節.「父と母を敬いなさい。」これは約束を伴う最初の掟です。
●3節.「そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる」という約束です。
5章で妻と夫の関係を語った著者は、続いて「主に結ばれている者として、両親に従いなさい」(1節)とします。
ローマの家父長制家族では、子が従うのは父親ですが、ここで「両親」となっています。
家庭訓全体の流れが、「キリストへの畏敬をもって」従いなさいですから、子が親に従うのを「主に結ばれているものとして」と、キリスト信仰によって根拠づけられるのは自然なことでしょう。
親はキリストにあって親ですから、その親に子供が従うことは、子供は親をとおして、神を知り、神に従うと言うことでしょう。
2節の 「父と母を敬いなさい。」は、モーセ十戒の第五の戒めと同じです。
十戒は、神が人間に与えられた、人間関係についての戒めの中では最初であって最も重要な戒めです。
そして最後に、「そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる」(3節)と祝福の約束が置かれています。
この箇所は、出エジプト記20章12節、申命記5章16節の七十人訳ギリシア語聖書からの部分的引用だということです。
キリストに結ばれた者の祝福は、普通天において成就すると思いますが、親を敬うことは、地上での人間関係のことですから、祝福も地上で与えられると理解したいと思います。
●4節.父親たち、子供を怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい。
「父親たち」と父親だけに呼びかけています。
父親だけに呼びかけられているのは、おそらく子供の教育に責任があるのは父親であるというローマの家父長制から来ているのでしょうか。
それとも、自分の怒りの感情にまかせ、また 家父長としての権力にまかせ子供に当たる父親が多かったのでその様な呼びかけになったのでしょうか。
「子供を怒らせてはなりません。」と言うのは、親が力まかせで子供を従わせると、子供は反抗し、自発性を失ない内に籠るので、自ら成長しょうとする自然の命を摘み取ってしまうことになる、ということでしょうか。
子供が自発的によい人間に成長するように、「主がしつけ諭されるように、育てなさい。」と勧めます。
「しつけ」という語句は、「教育」と訳されるそうです。
子供を成熟した大人に仕上げるという意味で、「訓練・訓育」に近い意味の語句だということです。
そして「諭し」は、主がわたしたちに対してしてくださるような仕方でしなさいということでしょう。
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