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2019年8月 1日 (木)

異邦人のためのパウロの働き(3章)

聖書の箇所は、エフェソの信徒への手紙3章1節から13節です。

著者は、1章において、この霊的祝福を具体的に描きました。

 

すなわち、父なる神からの祝福、子なるキリストによる祝福、そして聖霊の祝福です。

それから2章において、この祝福を受ける前、わたしたちがどのような状態にいたのかを描きます。

 

すなわち、今は、キリストとともに生かされ、キリストにあって、神の民とさせられ、神の家族の中に入れられたことです。

 

 

そして、この3章において著者は、そのような霊的祝福は、実は、これまで誰の手によっても明らかにされていなかった奥義、あるいは秘められた計画であることを告知します。

 

神が永遠の昔から計画されていたことで、それが今になって明らかにされたものであることを教えるのです。

 

●1節.こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているわたしパウロは……。

 

この文面からすると、著者は、おそらく師であるパウロのエフェソ(あるいはローマ)での投獄を知っており、その獄中からの書簡の形で本書を書いているのでしょう。

 

なお、投獄場所については、ローマだとする意見もありますが、わたしにはどちらが正しいのか分かりません。

 

「キリスト・イエスの囚人」 とは、キリストの宣教(異邦人に対する)ゆえに獄に入れられている者という意味と、キリストに捕らえられている者という意味という二つの意味が重なっているのではないでしょうか。

 

「こういうわけで」(直前の2章11節から22節を受けて)、といいながら、「わ たしパウロは・・・」とまで書いて、そのパウロがどうするのかは語られていません。

 

14節でやっとそのことを「このような理由で、わたしは父の御前に両膝をかがめて祈ります。」としています。

 

●2節.あなたがたのために神がわたしに恵みをお与えになった次第について、あなたがたは聞いたにちがいありません。

 

著者はこの手紙の受取人たちが、パウロに与えられた「神がわたしに恵みをお与えになった次第」を聞いているはずだとします。

 

そうすると、著者が受取人たちとは面識がないのでしょうね。

 

その上で、その内容です。

 

「神がわたしに恵みをお与えになった次第」の恵みとは、神のパウロ(あるいは著者)に対する恩恵の務めでしょうが、その恩恵の務めとは、神が御霊によってパウロに啓示された恩恵の事態を、忠実に保持して伝えることでしょう。

 

第一コリントの信徒への手紙4章1節・2節参照のパウロの言葉「こういうわけですから、人はわたしたちをキリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべきです。この場合、管理者に要求されるのは忠実であることです。」とあるからです。

 

パウロはまさしく、自らが体験した神の恩恵を世界に告知する使徒であったのです。

 

従って「あなたがたは聞いたにちがい」とは、手紙の著者は、手紙の受取人たちにあなたたちはパウロが立ち上げた集会の一員であるから、パウロがこのような使徒であることは十分聞いているはずだ、と言っているのでしょう。

 

●3節.初めに手短に書いたように、秘められた計画が啓示によってわたしに知らされました。

 

「初めに手短に書いたように」というのは、「手短に」ですから、パウロ書簡を指すのではなく、「(この手紙かほかの手紙の中で)初めに書いたように」という意味だと思うのですが、いかがでしょう。

 

そこに書いたように、「秘められた計画が啓示によって」ですから、パウロに与えられた「奥義」は啓示によって知らされたと言っているのでしょう。

 

わたし思うのです、パウロが受けたような啓示ではなくても、こうして神の言葉である聖書を理解するためには聖霊の働き掛けが必要だと思うのです。

 

自分の生活における主のみこころを知るのも、聖霊の導きがあって初めて可能だと思うのです。

 

だから、パウロがエペソ書1章で祈ったように、わたしたちは常に知恵と啓示と霊を与え、神を深く知ることができるように、祈らなければならないと思います(1章17節)。

 

●4節.あなたがたは、それを読めば、キリストによって実現されるこの計画を、わたしがどのように理解しているかが分かると思います。

 

著者は、「それを読めば」と言っていますが、それは、先に書いたその書簡(あるいは部分)を読めば、パウロが「キリストによって実現されるこの計画」をどのように理解しているかが分かるはずだということでしょう。

 

それでは、「それを読めば」とは、何を指しているかですが、解説によれば、エフェソ書1章8節から10節までの箇所、すなわち、神は恵みによってわたしたちに知恵と理解とを与えて、秘められた計画(奥義とも言っている)をわたしたちに知らされたのは、神が前もってキリストにおいて決められていたことだということです。

 

●5節.この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や“霊”によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。

 

「この計画」、すなわち、秘められたご計画(奥義)は、「今や“霊”によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示」されたので、以前の時代の「人の子ら」(広く人類全般を指す)には知られていなかったということでしょう。

 

「聖なる使徒たちや預言者たち」とは、キリストの御霊にあって集められた使徒たち(パウロを含め十二使徒に限らない)や預言者(キリストの集会にも預言する人がいたのでその人たちだと思います。旧約聖書の出てくる預言者ではない。)たちに御霊の働きによって啓示されたのです。

 

●6節.すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。

 

その秘めたる計画、すなわち奥義の内容は、「福音によってキリスト・イエスにおいて」、異邦人が本来の神の民であるイスラエルと共同の相続人となり、ユダヤ人と異邦人が一つの民となり、「同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者」ですから、共に栄光の約束にあずかる者となるのです。

 

●7節.神は、その力を働かせてわたしに恵みを賜り、この福音に仕える者としてくださいました。

 

著者はここで、パウロこそが秘めたる計画、すなわち奥義を告知する福音の使徒であることを改めて強調しているのでしょう。

 

それは、「恵みを賜り」ですから、神の恩恵によりということです。

 

●8節.この恵みは、聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられました。わたしは、この恵みにより、キリストの計り知れない富について、異邦人に福音を告げ知らせており、

 

著者はパウロ自身の告白を受け継いで、自分のことを「聖なる者たちすべての中で最もつまらない者」 と言っています。

 

「つまらない者」という表現は、パウロ自身が言っているように、神の集会を迫害した者として、そのような使徒とされる資格がもっとも小さい、その資格がない者を言う意味でしょう。

 

自分は罪人の「頭」であるとも他の個所で話しています。

 

しかし、神の恵みにより「キリストの計り知れない富について、異邦人に福音を告げ知らせる」働きを果たしていると言うことでしょう。

 

パウロは、神の恵みの賜物によって、神の力によってこのことを行なっている、と話しているのです。

 

「キリストの計り知れない富」とは、神の秘められた計画、奥義のことで、それは永遠の昔から、天地万物が造られる前から、神の御旨の中で秘められていた事柄です。

 

●9節.すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が、どのように実現されるのかを、すべての人々に説き明かしています。

 

ここでは、パウロに与えられた使徒としての使命が語られます。

 

それは、パウロの使命は、異邦人たちにキリストの計り知れない富で、異邦人にその福音を告げ知らせるためであり、また、万物を創造された「神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画、つまり、永遠の計画(11節)がどのように実現されるのかを、すべての人々に説き」明かすことです。

 

それらを明るみに出すことが使徒パウロに与えられた使命だということでしょう。

 

この「すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画」の秘められた計画とは、キリストにあって万物が統合されることを目的(1章10節)としますが、それはキリストによって運用・遂行されますので、キリストの内に神の「計り知れない富」(8節)が隠されていることになります(コロサイ2章3節)。

 

その「キリストの計り知れない富」を、全世界の異邦の諸国民に告げ知らせることが、使徒パウロの使命だということでしょう。

 

●10節.こうして、いろいろの働きをする神の知恵は、今や教会によって、天上の支配や権威に知らされるようになったのですが、
主イエス・キリストにあってユダヤ人と異邦人が一つにされてキリストの民(エクレシア)を形成することが「奥義」であるとしていましたが、代々に隠されていたその「奥義」が、今や使徒パウロによって顕わにされて実現しました。

 

その上で、「こうして」、キリストの民の集会にキリストの奥義が実現した結果として、「いろいろの働きをする神の知恵は、今や教会によって、天上の支配や権威に知らされるようになった」と著者は言っています。

 

神の民の集会(エクレシア)こそ、神の奥義を体現し、理解し、地上の諸民族だけではなく、天上にある霊的諸存在(天使ではということです)に、「すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画(奥義)」(9節)の内容と、その奥義が、現実の人間社会の中で、「いろいろの働きをする神の知恵」を明らかにして告げ知らせるのです。

 

●11節.これは、神がわたしたちの主キリスト・イエスによって実現された永遠の計画に沿うものです。

 

神は天地の万物が創造される前から、このように予め定められました(1章5節から6節)。

 

その秘められたご計画が今や、主イエス・キリストによって実現され、完成され、キリストに属する民がその御計画の担い手として存在するのです。

 

●12節.わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます。

 

神が「主キリスト・イエスによって実現された永遠の計画」である贖いの業のおかげで、「キリストに対する信仰により、」(11節)キリストに結ばれている者として、「確信を持って、大胆に」神に近付くことが出来るのが、奥義の担い手としてのキリストの民の特権です。

 

●13節.だから、あなたがたのためにわたしが受けている苦難を見て、落胆しないでください。この苦難はあなたがたの栄光なのです。

 

著者はパウロの言葉を受け継いで、「あなたがたのためにわたしが受けている苦難を見て、落胆しないでください。」といいます。

 

すなわち、パウロはあなたたちにこの奥義を伝えるために働き、そのために投獄されています。

 

それは、あなたたちがこの奥義の受取人として、神に選ばれた民であることの結果です。

 

したがって、パウロがあなたたちのために受けているこの苦難は、あなたたちが神から奥義の担い手として選ばれているという「あなたがたの栄光」を現していると言っているのでしょう。
今、パウロは牢獄の中にいるので、エフェソの民は落胆していたのでしょう。

 

そのエフェソの民を励ますために、パウロは異邦人に、神の恵みのすばらしさを説きます。

 

自分が苦しみに(迫害に)あったのも「キリストの計り知れない富」が、あまりにも深く、あまりにも栄光に富み、あまりにも恵みに富んでいるので、それがためユダヤ人たちがねたみ、パウロを迫害したと言っているのでしょう。

 

従って、パウロが苦しみにあっているのは、あなたがた異邦人に対する神の恵みの大きさを表している証拠なのです。

 

だから落胆しないでください、と励ましているのでしょう。

 

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