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2019年7月24日 (水)

神の恵みはキリストにおいて満ちあふれる(2)(1章)

聖書の箇所は、エフェソの信徒への手紙1章3節から14節を読みます。

この段落は二回に分けて」、二回目は、8節から14節とします。

●8節.神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、

●9節.秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。

●10節.こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。

 

「時が満ちるに及んで、救いの業が完成され」ですから、神があらかじめ決められていた時が到来して、神の人類救済のご計画が完成した時には、キリストにあっていっさいのものが一つに集められます、ということでしょう。

 

 

9節の「秘められた計画」は、いわゆる奥義のことです。

 

奥義とは、昔の時代には知らされていなかったけれども、今、啓示された真理のことです。

 

すなわち、その御計画は、神の御旨の中に秘められた人類救済の計画で、「キリストにあって前もって(天地が造られる前)定められ」、神がよしとされたものです。

 

具体的には、天地が造られる前に定められ、ですから、イスラエルの預言者には知らされていなかった神のご計画です。

 

これが、今、キリストによって、使徒パウロを通して啓示され、御霊によって「あらゆる知恵と判断力」を与えられたキリストの民が理解するに至ったのです。

 

聖書には、いろいろな奥義が書かれています。

 

天の御国の奥義(マタイの福音書13章11節)。

 

イスラエルが救われる奥義(ローマ書11章)、コロサイ書のうちにおられるキリストの奥義(1章27節)、テサロニケ人への手紙第二の2章7節の「不法の秘密」も奥義でしょう。

 

そして黙示録には、バビロンの「秘められた意味」(17章5節)とあります。

 

これらは、昔は隠されていて誰も知ることができないのですが、今は、すなわち、今を生きるわたしたちにはキリストによって明らかにされているのです。

 

10節の「時」は、カイロスですから、たんなる時間の流れではなく、意味のある出来事が起こる時点を指しているのでしょう。

 

この「時」は複数形と言うことですから、人類救済のための神の諸々の働きがなされる時を指しているのでしょう。

 

「時が満ちる」とは、人類救済のための様々な出来事(神の救いの業)の時が熟し、計画された出来事が起こることを指しているのでしょう。

 

したがって聖書は、定められた時が熟し、起こった人類救済のための様々な出来事(神の救いの業)の記録ということになります。

 

最後にこの「時が満ちて」起こる様々な神の出来事の行き着く先、すなわち人類救済史の目標(神のご計画の完成)が語られます。

 

それが、「天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。」(10節後半)、すなわち、万物の統合です。

 

「一つにまとめられる」のはすべてですから、キリストの属する者も属しない者もすべてです。

 

そう、いろいろあってもやがて被造物すべてが頭であるキリストのもとに統合されるのです。

 

ということは、人類の歴史のすべての事象と宇宙の存在すべてが、キリストとの関わりにおいて意義を持ち、キリストを原理として統合・完成されるということになります。

 

そしてまたその時には、イエス・キリストが再びこの地上に来られるときでもあります。

 

コリント人へ手紙第一15章23・24節に「最初にキリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち、次いで、世の終わりが来ます。そのとき、キリストはすべての支配、すべての権威や勢力を滅ぼし、父である神に国を引き渡されます。」とある通りです。

 

●11節.キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。

 

「キリストにおいて・・約束されたものの相続者」とされた、つまり、御子における霊的祝福の最後は、御国を受け継ぐということです。

 

そして、この相続者の地位は、「御計画によって前もって定められ、約束されたもの」です。

 

つまり、天と地にあるいっさいのものが御子に服従するとき、わたしたちはその神の国を相続することになるのです。

 

この「前もって定め」は、「天地の基礎が置かれる前に、神はキリスト にあってわたしたちを選ばれた」ことを指しているのでしょう。

 

●12節.それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。

 

ここでは、わたしたちに相続分が与えられた目的が述べられます。

 

それは、「キリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるため」です。

 

それでは、「以前からキリストに希望を置いていたわたしたち」とは誰のことでしょうか。

 

13節で、12節の「わたしたち」を指して「あなたがたも」と言っています。

 

その「あなたがた」は、文脈からおそらくこの手紙を読んでいる信徒たちを指すと思います。

 

すなわちキリストにある民(共同体)一般を指しているのではないでしょうか。

 

なお、古代教会では、異邦人よりも先にメシア・キリストへの希望をもったユダヤ人を指すと解釈していたそうです。

 

わたしたち、すなわち、キリストに属する民(共同体)が何のために地上に存在しているのかというと、それは「神の栄光をたたえるため」(12節)なのです。

 

「栄光をたたえるため」とは、キリストに属する民が御霊によって終末的な栄光を地上の生において先取りして現実を生きること(それが希望)が神の栄光を表すことですから、世界中がそのようなキリストの共同体の姿を見て神を賛美するようになるためでしょう。

 

だから先に選ばれたキリストの民は、その他のすべての人々の先陣となるのです。

 

もちろん、終末における栄光は、神の国を相続することでしょう。

 

●13節.あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。

 

「あなたがたも」は、先に書きましたがこの手紙の読者のことで、その読者である「あなたがたもまた、キリストにおいて」、すなわち、キリストに属する者として「真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。」とこの手紙の著者は、読者にキリストにある者としての聖霊体験の確認をしています。

 

ということは、「わたしたち」がこのように人類救済史の奥義に参与し、神の栄光を受け継ぐ相続人となったという事態は、わたしたちが福音を聞いて、福音を告知する方、すなわち主イエス・キリストを信じたことに始まるということになります。

 

福音とは、「救いをもたらす」のですから、主イエス・キリストを宣べ伝える告知であると同時に、その告知を信じる者に「救いをもたらす神の力」なのです。

 

パウロの名による著者は、この福音を「真理の言葉」(13節)と呼んでいます。

 

福音を聞いて主イエス・キリストを信じる者は「約束の聖霊」を受けます(ガラテヤ3章2節、13節)。

 

初期教会においては、信じる者が受けた神の約束の御霊の働きが、キリストの福音の爆発的な展開(急激な信徒の増加)をもたらしたのは現実の出来事です。

 

生まれたてのキリストの共同体の発展には、神のご計画の成就には必要なことであったのでしょう。

 

まさに神の必然と言えます。

 

この手紙の著者は、13節で「約束された聖霊で証印を押された」と、信仰に入った時に既に聖霊を受けたとして、過去形にして語っています。

 

この13節で「聖霊で証印を押された」とし、14節で、「この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証」であるとしています。
御霊が与えられることによって、わたしたちが神に所属する者であるという証印が押されたというのです。

 

聖霊を受けることは、わたしたちに平安と喜びをもたらすだけではなく、御国を受け継ぐことの約束の証印でもあるわけですね。

 

●14節.この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。

 

「保証」とは、将来の全額支払いを保証するために前もって支払われる手付金を指しているということです。

 

すなわち、御霊は手付金を指し、キリストを受け入れたわたしたちに手付けとしてその御霊を与えることにより、終わりの日に受け取る栄光の全額を保証してくださるのです。

 

御霊がわたしたちの古い性質の中に内住することによって、今は不完全な形でしか現れていませんが、やがて神が定められた時が来ると、わたしたちは現在の古い人間性の弱さや拘束から解放されて、御国の栄光を、すなわち、「神の栄光をたたえる」ようになるのです。

 

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