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2019年7月24日 (水)

挨拶(1章)

聖書の箇所は、エフェソの信徒への手紙1章1節から2節です。

●1節.神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロから、エフェソにいる聖なる者たち、キリスト・イエスを信ずる人たちへ。

●2節.わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

 

まず、この1節と2節で分かることは、この手紙はパウロ名の書簡ですから、著者は手紙の差出人であるパウロの資格を、「神の御心によってキリスト・イエスの使徒」とされた者とし、使徒パウロの奥義の継承者として、聖なる者たちである「キリスト・イエスを信ずる人たち」(1節)にその奥義を伝え、励まそうとしているのだと思います。

 

前書きにも書きましたが、「キリスト・イエスを信ずる人たちへ」ですから、本書は特定の集会にあてられた手紙ではなく、広く「キリスト・イエスを信ずる」聖なる者たちに向かって語られた手紙で、説教、あるいは地域の諸集会に回される回状であったと考えられています。

 

「キリスト・イエス」という呼び方は、「キリストであるイエス」という意味で、「キリスト」は終わりの日の救済者、救い主の称号です。

 

なお、2節で「主イエス・キリスト」と「主」が頭についていますが、調べてみると、これは、「イエス・キリスト」がギリシヤで固有名詞化してしまったので、イエスがキリストであることを明確にするために「主」を頭につけたのではないかと言うことです。

 

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