宣教者パウロの使命
聖書の箇所は、ローマの信徒への手紙15章14節から21節です。
●14節.兄弟たち、あなたがた自身は善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに戒め合うことができると、このわたしは確信しています。
パウロは、「兄弟たち」と同じ志を持つ兄弟として親しみをこめて呼びかけます。
パウロはまだ一度もあっていない兄弟に「あなたがた自身は善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに戒め合うことができると、このわたしは確信しています。」と語ったのは、ローマの集会に対する配慮でしょう。
「かなり思い切って書きました。」というのは、パウロはこの手紙を、とくにユダヤ人キリスト信徒を念頭において書いているのですが、その中には「ところどころ」ユダヤ人キリスト信徒が驚くようなこと(その理由は15節以降)を「かなり思い切って」書いたと意識しているのでしょう。
●15節.記憶を新たにしてもらおうと、この手紙ではところどころかなり思い切って書きました。それは、わたしが神から恵みをいただいて、
●16節.異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を務めているからです。そしてそれは、異邦人が、聖霊によって聖なるものとされた、神に喜ばれる供え物となるためにほかなりません。
「かなり思い切って」書いた理由ですが、それは、「わたしが神から恵みをいただいて、異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を務めているから」だと言っています。
パウロが「祭司の役を務めている」というのは、祭司が神殿で神に献げ物を献げるように、(律法遵守ではなく)聖霊によって聖なるものとされた異邦の諸民族を「献げ物」(異邦人が神にささげる献げものではありません)として神に献げることだと言うこと、すなわち、異邦の諸国民をイスラエルの神の礼拝へと導くことでしょ。
その神に献げられる献げ物は「聖なるものとされた」で受身ですから聖霊により神に所属する者とされたということでしょう。
「神に喜ばれる」の「喜ばれる」とは、神に受け入れられると言う意味でしょう。
●17節.そこでわたしは、神のために働くことをキリスト・イエスによって誇りに思っています。
「神のために」、すなわち「神から恵みをいただいて、異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を務めている」(15節・16節)のは、終わりの時のために不可欠の大切な仕事をしているのですから、ユダヤ人からどのように批判されようが、イスラエルの神に仕える者として、ユダヤ人に「キリスト・イエスによって誇ります。」ということでしょう。
●18節.キリストがわたしを通して働かれたこと以外は、あえて何も申しません。キリストは異邦人を神に従わせるために、わたしの言葉と行いを通して、
●19節.また、しるしや奇跡の力、神の霊の力によって働かれました。こうしてわたしは、エルサレムからイリリコン州まで巡って、キリストの福音をあまねく宣べ伝えました。
「異邦人を神に従わせる」とは、異邦人がイスラエルの神の声を聞き、従うようになるということでしょう。
パウロが誇るのは、自分の働きを誇るのではなく、自分を通して働かれるキリストを誇るのです。
そのようなことをパウロが言えるのは、「わたしの言葉と行いを通して、しるしや奇跡の力」が、すなわち、「神の霊の力」がパウロの中で働いているという自覚と現実があるからでしょう。
パウロを通してのキリストの「御霊の力による」働きは、すべて「異邦人をイスラエルの神に従わせる働き」なのです。
19節でパウロは,自分の福音宣教の働きを、「エルサレムからイリリコン州まで巡って、」と言っています。
パウロにとって、エルサレムは終わりの日に神の言葉がそこから全世界に出ていく聖なる神の都ですから、全世界に神の言葉である福音を宣べ伝える働きはエルサレムから始まらなければならないのでしょう。
●20節.このようにキリストの名がまだ知られていない所で福音を告げ知らせようと、わたしは熱心に努めてきました。それは、他人の築いた土台の上に建てたりしないためです。
パウロの福音宣教活動は「キリストの名がまだ知られていない所で福音を告げ知らせる」というのが原則でした。
パウロは人の土台の上で福音活動をするのではなく、開拓伝道の気概を感じさせます。
●21節.「彼のことを告げられていなかった人々が見、/聞かなかった人々が悟るであろう」と書いてあるとおりです。
この引用個所は、イザヤ書53章の「主のしもべの歌」の導入部の一句だと思いますが、わたしは共同訳聖書しかもっていませんので確認できませんでした。
七十人訳ギリシャ語聖書(イザヤ書52章15節)があればよいのですがね。
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