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2019年3月28日 (木)

個人的な挨拶 (1)(16章)

聖書の箇所は、ローマの信徒への手紙16章1節から16節です。

 

この16章の全部または一部が、別の手紙が付け加えられたものではないかという問題があるそうですが、その様なことはこの手紙を読むのにあまり関係なさそうですのでわたしは深入りしません。

 

●1節.ケンクレアイの教会の奉仕者でもある、わたしたちの姉妹フェベを紹介します。

 

この1節と2節は、姉妹フェベの紹介状です。

 

この姉妹と言うのは親族関係の姉妹ではなく、キリストにある者の兄弟姉妹のことでしょう。

 

姉妹フェベがこのローマ書を携えてローマの集会に行ったことになります。

 

解説によると、「フェベ」という女性名は、ギリシア神話の「フォイベ」からきていて、当時、奴隷には神話の中の名をつけ、解放された後も

そのまま使う習慣があったということで、この女性は奴隷または解放奴隷の身分でないかと推察されています。

 

フェベは「ケンクレアイの集会(エクレシア)の奉仕者」であると紹介されています。

 

ケンクレアイはコリントの南東、サロン湾に臨むコリントの外港で、 東方に向かう船の出港地だということです。

 

パウロはここからエルサレムに向かい、エフェソなど東方からコリントに来るときに立ち寄ったということです。

 

現在でも教会は女性が支えていると言っても過言ではないのですが、当時も女性は教会活動の中心的存在であったと思います。

 

●2節.どうか、聖なる者たちにふさわしく、また、主に結ばれている者らしく彼女を迎え入れ、あなたがたの助けを必要とするなら、どんなことでも助けてあげてください。彼女は多くの人々の援助者、特にわたしの援助者です。

 

パウロは姉妹フェベを、集会において「多くの人々の援助者、特にわたしの援助者」であると紹介しています。

 

●3節.キリスト・イエスに結ばれてわたしの協力者となっている、プリスカとアキラによろしく。

 

姉妹フェベの個人的な頼みのあとパウロは挨拶として「プリスカとアキラ」夫妻の名があげていますが、それは、彼らがパウロの伝道活動にとってかけがえのない協力者であったからではないでしょうか。

 

この二人のことを調べてみると、ローマの集会において、おそらく律法順守の必要をめぐって会堂のユダヤ人の間で騒乱が起こったのですが、そのときローマのクラウディウス帝はユダヤ人をローマから追放します(紀元49年)。

 

この追放令でこの夫妻はコリントに移住したのですが、そのとき第二次伝道旅行でコリントに到着したパウロに出会い(紀元50年)、夫妻はパウロを自分の家に迎え、同じ職業であるテント造りを共にして、パウロの自給伝道を助けることになったのではと言うことです(使徒言行録18章1節から4節参照)。

 

アキラ夫妻は紀元54年のユダヤ人追放令の廃止後にローマに戻っていたと推定されています。

 

●4節.命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たちに、わたしだけでなく、異邦人のすべての教会が感謝しています。

 

パウロはこの夫妻について、「命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たち」と言っています。

 

おそらくエフェソでパウロが遭遇した危急の場面で、プリスカとアキラ夫妻に助けられたことがあったのでしょう。

 

●5節.また、彼らの家に集まる教会の人々にもよろしく伝えてください。わたしの愛するエパイネトによろしく。彼はアジア州でキリストに献げられた初穂です。

 

この時代、つまりキリスト共同体形成の初期においては、教会(エクレシア)は個人の家に集まって、集会がなされていたのでしょう。

 

ローマにおいてもおなじように一つの「ローマ教会」というようなものは存在せず、個々の信徒の家に集まる集会(エクレシア)や、特定の立場の人たちのグループが散在していたと考えられています。

 

だからパウロは、この手紙の挨拶のところで、宛先として「神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち」と複数形にしています。
宛先を一つの教会とする単数形ではありません。

 

●6節.あなたがたのために非常に苦労したマリアによろしく。

 

この「マリア」は、ここに出てくるだけで詳しいことは分かりません。

 

それでもわざわざパウロが挨拶の中に名前を上げるのですから、おそらくユダヤ人女性で、エフェソまたはローマでの福音宣教に大きな働きをした女性であると考えられます。

 

それにしても、この時代からキリストの集会では、女性の働きが活発で、重要な位置を占めていたことが分かります。

 

当時世間での女性の社会的地位は、一人の一人前の人間として見られていなかったそうです。

 

●7節.わたしの同胞で、一緒に捕らわれの身となったことのある、アンドロニコとユニアスによろしく。この二人は使徒たちの中で目立っており、わたしより前にキリストを信じる者になりました。

 

「わたしの同胞」というのは、パウロと同じユダヤ人で、パウロが投獄されたとき一緒に投獄された仲間を意味するのでしょう。

 

「二人は使徒たちの中で目立っており」とありますが、これは評判が高いと言う意味ではなく、二人が使徒と言うことで目立つ存在であるという意味ではということです。

 

なお、ここの「使徒たち」という語は、イエスの直弟子「十二人」を指すのではなく、復活されたイエスの顕現を体験して、そのことを述べ伝えた多くの証人たちを指しているのではないかということです(第一コリント15章7節)。

 

●8節.主に結ばれている愛するアンプリアトによろしく。

 

「アンプリアト」は、名前から見て、おそらく奴隷または解放奴隷の身分の人であろうと考えられるが、それ以外のことは分からないと言うことです。

 

●9節.わたしたちの協力者としてキリストに仕えているウルバノ、および、わたしの愛するスタキスによろしく。

 

「ウルバノ」は、名前からすると自由人ではと言うことです。

 

「わたしの協力者」とありますから、彼はこれまでのパウロの伝道活動のどこかで協力した人物なのでしょう。

 

「スタキス」については、不明です。

 

●10節.真のキリスト信者アペレによろしく。アリストブロ家の人々によろしく。

 

「アペレ」も詳細不明です。

 

「アリストブロ家の人々」というのは、アリストブロの家の奴隷か、またはその家の解放奴隷である者たちを指すということです。

 

●11節.わたしの同胞ヘロディオンによろしく。ナルキソ家の中で主を信じている人々によろしく。

 

「同胞ヘロディオン」も、名前から見て、おそらくヘロデの宮廷に所属していたユダヤ人の奴隷または解放奴隷の身分の人物だろうということです。

 

「ナルキソ家の中で主を信じている人々」は、ナルキソの家の奴隷またはその家の解放奴隷たちの中に、キリストを告白する者がいたことを示しています。ナルキソはローマの有力者です。

 

●12節.主のために苦労して働いているトリファイナとトリフォサによろしく。主のために非常に苦労した愛するペルシスによろしく。

 

「トリファイナとトリフォサ」そして「ペルシス」は、三者とも女性名で、名前から推察し、おそらく奴隷または解放奴隷の身分の女性であったと見られています。

 

このように初期のキリスト集会では、身分の低い女性たちが、「非常に苦労」したとありますから、初期の宣教活動がこのような女性たちによって担われていたことが伺えます。

 

●13節.主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女はわたしにとっても母なのです。

 

「ルフォス」は、名前からすると自由人であると考えられています。

 

マルコ福音書15章21節に同じ名前が出てきますね。

 

同一人かどうかは不明です。

 

パウロはルフォスの母について、「その母・・わたしにとっても母」と言っています。パウロはルフォスの家に滞在して、ルフォスの母親から親身の世話を受けたことがあるのでしょう。

 

●14節.アシンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマス、および彼らと一緒にいる兄弟たちによろしく。

 

「ヘルマス」は、名前から見て、おそらく奴隷または解放奴隷の身分の男性で、名前が挙げられている五人の名の後に、「彼らと一緒にいる兄弟たち」とありますから、彼らは一つの「家の集会」のメンバーなのでしょうか。

 

●15節.フィロロゴとユリアに、ネレウスとその姉妹、またオリンパ、そして彼らと一緒にいる聖なる者たち一同によろしく。

 

「フィロロゴとユリア」は夫妻で、ユリア(女性名)とネレウスは、名前から見て、おそらく奴隷または解放奴隷の身分であると見られています。このグループも先ほどと同じで、一つの「家の集会」のメンバーでしょう。

 

●16節.あなたがたも、聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。キリストのすべての教会があなたがたによろしくと言っています。

 

初期のキリストの集会では、キリストにある者たちは集まるときなどには、お互いに兄弟姉妹として、口づけによって互いに挨拶を交わしていたのですね(テサロニケⅠ5章26節、コリントⅠ16章20節、コリントⅡ13章12節、ペテロⅠ5章14節参照)。

 

 

 

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