挨拶
聖書の箇所は、ローマの信徒への手紙1章1節から7節です。
パウロはいまアカイア州の州都コリントにいます。
パウロはこの土地で、冬の三ヶ月(55年から56年にかけての冬)を過ごしたということです。
パウロは、エルサレムの聖徒たちを援助すべく、マケドニア州とアカイア州の諸集会(フィリピ、 テサロニケ、コリントなど)で集めた献金を携えて、この諸集会の代表者たちと一緒にエルサレムへ向かうために、春になって海路が再開されるのを待っていたのでしょう。
この募金活動はパウロにとって異邦人への使徒としての自分の福音活動を受け入れてもらうためにどうしても成し遂げなければならない事業でした。
それは、イスラエル教会はキリスト教会の本家本元ですから、本家本元の了解なくてキリストの諸集会は成り立たないからです。
異邦人(ユダヤ人以外の諸民族)から集めた募金で、そのイスラエル教会をキリストにある兄弟として支援するのですから、その支援を受け取るということは異邦人の集会をキリストの集会として公式に認めることになるのですから、大きな意味があります。
春になって東へ向かう船便が再開したら、まずエルサレムに上り、使命を果たし、そのあとの使命としてパウロの心はきっと西に、つまり帝国の首都ローマにあったのでしょう。
ローマは、パウロが福音を宣べ伝えた土地ではないので、ローマの信徒たちにはまだ会ったことがありません。
それでパウロは、ローマのキリストの民の集会においても、自分が宣べ伝えている福音が理解され、やがて訪問したときに受け入れられることを願って、ローマ訪問に先立って、コリントからこの手紙を書き送ったのではと言われています。
●1節.キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、――
パウロは自分のことを「キリスト・イエスの僕」と言っています。
通常「キリスト・イエス」でなく「イエス・キリスト」と言いますが、その理由ですが、解説によると、キリスト・イエスと書かれる時には、キリスト(救い主)が先に来ますから、イエスの神性を強調しているとみられます。
そこには初代教会の信仰があらわれているのではないかということです。
また「僕(しもべ)」は、奴隷を意味し、「使徒」というのは、通常は生前にイエスに直接選ばれた弟子十二人(この時は十一人)を指すと思います。
この手紙でパウロは自分を使徒としていますが、それは、イエス復活の証人の使徒という意味でしょう。
パウロは復活のイエスに会い使徒とされたのです。
「神の福音のために選び出され」ですが、「神の福音」とは、人類の救いを告知する神の働きを意味し、「選び出された」ということは、パウロは、自分はその神の働きを遂行するために、特別に選び出された者であると自覚しているということでしょう。
「召されて使徒となったパウロから、」と言うのは、この手紙が自分の思想や主義を説明する為の論文ではなく、自分を使徒として遣わされた方に委ねられた福音(人類に対するメッセ-ジ)を告知するために書いたものであると主張しているのでしょう。
その委ねられた福音の使徒とは、復活されたイエス・キリストを世界に向かって証し、そのキリストの出来事において告知されている神の救いを宣べ伝える者と言うことでしょう。
パウロは復活したイエスと出会ってその人生を180度変えられました。
人は真理と出会うと何もかも捨ててその真理を伝えようと行動せざるを得なくなります。
たとえ、そのことによって命を捨てることになってもです。
キリストとの出会いとはそういう出会いです。すごいです。
パウロは生前のイエスに選ばれて使徒となったのではないので、パウロが使徒であることを否定する批判が繰り返されましたが、それに対してパウロは、「わたしは自由な者ではないか。使徒ではないか。わたしたちの主イエスを見たではないか。あなたがたは、主のためにわたしが働いて得た成果ではないか。」(コリントの信徒への手紙第一9章1節)と反論しています。
イエスの直弟子でないとしても、パウロにとっては復活されたイエスの顕現に接し、その証人とされた者が使徒なのです。
パウロはコリントの信徒への手紙第一15章8節で「そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。」と主張して、自分をイエスの直弟子である十二人の弟子であるペトロたちと同列の使徒であると主張しています。
これは当然だと思うのです。
キリストの使徒が十二人だけならばその十二人が死ねば使徒はいなくなり、キリスト信仰を継ぐ者がいなくなります。
そうすると、その段階でキリスト信仰は終わってしまいます。
だから十二人の殉教以降にキリストの使徒とされる者は、復活のイエス(聖霊)に出会って使徒とされた者、ということになるのでしょう。
パウロはこの手紙を、1節で発信人の名と資格(どういう立場でこの手紙を書いているのかを示す肩書き)を書き、7節で宛先を「神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。」としています。
●2節.この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、
「聖書」ですが、これは旧約聖書のことですが、この語句は複数形ということです。
当時はまだ今のような形の旧約聖書の正典が出来ていませんでした。
「律法」と「預言者」と「諸書」が並記されていたということです。
したがって、この「聖書」とは、「律法」と「預言者」と「諸書」を総称した語句ではないかと思います。
●3節.御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、
●4節.聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。
「御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、・・わたしたちの主イエス・キリストです。」(3節、4節)というのは、当時キリストを告白するケリュグマ(信仰告白)であったと思います。
信徒は定型となっていたこの語句をいつも唱えていたと思います。
「肉によれば」(3節)は、「聖なる霊によれば」に対立する語句ですから、その意味は、自然の営みで生まれた人間としては、ということでしょう。
イエス・キリストは人間であるけれども、自然の営みによって生まれていませんから、人間であって神である存在ということになります。
次に「ダビデの子孫」(3節)ですが、当時イスラエルでは、イスラエルのメシア(救済者)はダビデの家系から生まれると信じられていましたので、イエスがそのメシアであると主張する表現といえます。
「聖なる霊によれば」(4節)ですが、これはパウロ以前の信仰告白の表現ということです。
パウロはおなじことを「聖霊」と表現しています。
聖霊は働く神の霊ですから、「神の約束を実現する聖霊の働きによれば」、ということでしょうか。
「死者の中からの復活によって」(4節)というのは、イエスの死者の中からの復活は神の御霊、聖霊の働きで、そのことによってイエスは神の子と定められたということでしょう。
この「死者」という語句は、複数形だということですから、イエスの復活は、終わりの日に実現する死者たちの復活の初穂として実現した出来事とする信仰表現ということでしょう。
4節の「主イエス・キリスト」という表現は、イエス・キリストという名がギリシア文化の中で固有名詞になってしまったので、頭に「主」(神のこと)をつけて、イエスを「主イエス・キリスト」と呼ぶことになったと言うことです。
「主イエス・キリスト」の前に「わたしたちの」としていますから、この文はケリュグマであり、信仰告白文だと言うことでしょう。
●5節.わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。
「異邦人」というのは、ユダヤ人以外の諸民族を指し、ここは複数形だということです。
パウロは自分を「異邦人」に福音を伝えるために遣わされた使徒であると自覚していました。
●6節.この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。――
2節から6節ではこの手紙を、ローマの人々に差し出す理由とその関連を述べています。
すなわち、パウロが使えている福音と、現にローマの人々が受けたキリストの福音は、同じ福音で、その両者が共通して生きる場であり、この手紙の主題となることです。
当時、すなわち、パウロがまだローマを訪れる前にローマにはすでにキリストを信じる者の共同体が出来ていました。
誰がどのようにしてローマに福音を伝えたのかは分からないそうです。
ただ、解説では、30年代初頭(イエスが十字架で殺されてすぐにです。)にエルサレムで始まったイエスをキリストと信じる新しい信仰(メシア)運動が(無名のユダヤ人信徒によって)ローマにも伝えられて、40年代にはユダヤ人だけでなくユダヤ教会堂に集う「神を敬う」異邦人たちを含む信徒の群れが形成されていたのではないかと推測されています。
ただ言えることは、最初は、ローマのイエスをメシアと信じる者の集まりは、ローマの公認宗教としての保護下にあったユダヤ教の一派として守られていました。
ところが、ユダヤ人追放令が発令されてユダヤ人信徒がローマから追放されたので、残った異邦人キリスト信徒はユダヤ教という公認宗教の保護を失い、いわば非合法集会として信徒個人の家で小さな集会を続けることになっていたと言うことです。
したがって、その集まりは家の集会の集団ですから、共同体と言った方がよいかもしれません。
●7節.神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
ユダヤ人追放令はその後クラウディウス帝の死とともに解除され(紀元54年)ています。
異邦人信徒による非合法な小さな家の集会は、パウロがこの手紙を書いた紀元56年の時点ではまだ存続していたので、この手紙のあて先が、「ローマの人たち一同へ」となっているのでしょうか。
「聖なる者」というのは、宗教的・道徳的に完全な者を指すのではなく、「召されて」ですから、世からより分けられて神に所属する者になったと言う意味でしょう。
« 前置き ローマの信徒への手紙 | トップページ | ローマ訪問の願い »
「ローマの信徒への手紙を読む」カテゴリの記事
- 神への賛美(16章)(2019.03.30)
- 個人的な挨拶(2)(16章)(2019.03.30)
- 個人的な挨拶 (1)(16章)(2019.03.28)
- ローマ訪問の計画(15章)(2019.03.27)
- 宣教者パウロの使命(2019.03.27)
コメント