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2019年2月 5日 (火)

パウロ、ローマで宣教する

聖書の箇所は、使徒言行録28章17節から31節です。

●17節.三日の後、パウロはおもだったユダヤ人たちを招いた。彼らが集まって来たとき、こう言った。「兄弟たち、わたしは、民に対しても先祖の慣習に対しても、背くようなことは何一つしていないのに、エルサレムで囚人としてローマ人の手に引き渡されてしまいました。

●18節.ローマ人はわたしを取り調べたのですが、死刑に相当する理由が何も無かったので、釈放しようと思ったのです。

●19節.しかし、ユダヤ人たちが反対したので、わたしは皇帝に上訴せざるをえませんでした。これは、決して同胞を告発するためではありません。

●20節.だからこそ、お会いして話し合いたいと、あなたがたにお願いしたのです。イスラエルが希望していることのために、わたしはこのように鎖でつながれているのです。」

いよいよ使徒言行録も終わりに近づいてきました。

もう少しです。がんばります。

パウロは、自分についての悪いうわさを、ローマにいる離散ユダヤ人信徒たちの耳に入り、躓かないようにと思って、彼らを呼び集めました。

ローマのキリスト信徒の中には多くの離散ユダヤ人がいたのでしょう。

まずパウロは、自分はユダヤ人に敵対しているのではないことを説明しました。

そして、何よりも、「イスラエルが希望していることのために、わたしはこのように鎖でつながれているのです。」と説明しました。

自分の信じていることは、ユダヤ人をやめて、改宗した異教徒になることではなく、むしろ、キリストの福音を受け入れることによって、ユダヤ人になされた神の約束を受け入れたユダヤ人、つまり本当の意味でのユダヤ人になったのだ、と言いたかったのでしょう。

パウロは、ユダヤ教徒でありながらキリスト教徒だと言っているのです。

●21節.すると、ユダヤ人たちが言った。「私どもは、あなたのことについてユダヤから何の書面も受け取ってはおりませんし、また、ここに来た兄弟のだれ一人として、あなたについて何か悪いことを報告したことも、話したこともありませんでした。

●22節.あなたの考えておられることを、直接お聞きしたい。この分派については、至るところで反対があることを耳にしているのです。」

パウロの弁明に兄弟のユダヤ人たちは、パウロについてユダヤから何ら悪い報告を受けていないし、偏見をも持っていないことを告げます。

ローマのユダヤ人の間では、パウロたちのことを「分派」(ユダヤ教の分派という意味)と言っていたのですね。

そして、ローマのユダヤ人たちは、「至るところで反対があることを耳にしている」から本当のところを、すなわち、「あなたの考えておられることを、直接お聞きしたい。」ということでしょう。

●23節.そこで、ユダヤ人たちは日を決めて、大勢でパウロの宿舎にやって来た。パウロは、朝から晩まで説明を続けた。神の国について力強く証しし、モーセの律法や預言者の書を引用して、イエスについて説得しようとしたのである。

分派といわれているパウロたちの宣教に反対する噂があることに対し、説明を聞くためにローマのキリスト共同体のユダヤ人の兄弟たちが大勢集まります。

そして、パウロも朝から晩まで、「神の国について力強く証しし、モーセの律法や預言者の書を引用して、イエスについて説得しようと」します。

おそらく、この部屋には監視のローマ兵がいるのでしょうが、止めようともしません。

こうして、パウロは囚人になり拘束されることによって、かえって福音を自由に語ることができたのです。

モーセの律法や預言者の書を引用してイエスのことについて説得したとありますが、これは、イエスが「わたしは、律法と預言者を成就するために来たのです。」と言われたからでしょう。

モーセの律法や預言者の書を引用して説明することは、ユダヤ人に対しては有効です。

神は人類救済のご計画を、旧約聖書をもって告知しています。

イエスは、そうした神の人類救済のご計画を実現させるためにこの世に来られたのです。

イエスを知るには、旧約聖書を知る必要があります。

新約聖書はあくまでも、旧約聖書の神の約束が成就したことを告知する書物です。

●24節.ある者はパウロの言うことを受け入れたが、他の者は信じようとはしなかった。

どこでも同じですが、パウロの言うことを受け入れた者と受け入れなかった者がいたのです。

受け入れなかった者は、説得を受けたが、信じることができなかったのではなく、最初から信じないと決めていたのではないでしょうか。

聞く耳を持たない人々です。

●25節.彼らが互いに意見が一致しないまま、立ち去ろうとしたとき、パウロはひと言次のように言った。「聖霊は、預言者イザヤを通して、実に正しくあなたがたの先祖に、

●26節.語られました。『この民のところへ行って言え。あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、/見るには見るが、決して認めない。

●27節.この民の心は鈍り、/耳は遠くなり、/目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、/耳で聞くことなく、/心で理解せず、立ち帰らない。わたしは彼らをいやさない。』

パウロは「意見が一致しないまま」(25節)、立ち去ろうとするユダヤ人に対して、イザヤを通して神が語られた言葉(『』内)を告げます(26節、27節)。

イザヤが預言したことを簡単に書けば、イスラエルの民が神に背いているので、そのために霊的な事柄について理解することができなくなる、というものです。

いまもユダヤ人たちは、(神に背いているので)パウロの言葉を頭から信じようとしなかったのです。だから、受け入れることができないのです。

わざわざ集まって来たのですから、パウロの言うことを聞こうと思って集まって来たのでしょうが、それは好奇心がなせる業で、その心は神から遠く離れていたのです。

心が神から離れていては、聖霊が働く余地はありません。

●28節.だから、このことを知っていただきたい。この神の救いは異邦人に向けられました。彼らこそ、これに聞き従うのです。」

そして最後にパウロは、他の宣教旅行のときと同じように、福音が異邦人に向けられることを話しています。

全人類を救うための神の救済計画は、イスラエルの選びをもって始められたが、イスラエルはその福音を受け入れなかったので、異邦人を中心としたキリストの民にゆだねられたということでしょう。

逆に言えば、神はイスラエルのかたくなさはあらかじめご存知ですから、神は最初からイスラエルのかたくなさを用いられて、異邦人に祝福をお与えになるご計画であったのでしょう。

●29節.<底本に節が欠けている個所の異本による訳文>
パウロがこのようなことを語ったところ、ユダヤ人たちは大いに論じ合いながら帰って行った。†

●30節.パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、

●31節.全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。

パウロは、皇帝の前で裁判を受けるまで、二年間「自費で借りた家」に住まい、訪問する者には、囚人でありながら自由に福音を語ります。

逆にいえば、囚人として皇帝カエザルの保護下にあるパウロに対して、だれも手を出すことはできなかったのでしょう。

そして、フィリピ人への手紙によると、ここでパウロを見張っていた看守たちがイエスを受け入れていったことが示唆されています。

パウロの話を聞こうと集まって来たのは、ユダヤ人だけではなかったのです。

この時期にパウロは、四通の手紙を書いています。

エフェソ、フィリピ、コロサイ、フィレモンです。

パウロの異邦人伝道はローマの囚人であったからこそ最も前進したといえます。

身動きが取れないような状況の中にいても、その中にあっても、福音を大胆に、妨げられることなく語ることができるのですね。

これらの出来事によって、将来ローマの住民の半数以上がキリスト教徒になり、キリスト教がローマ帝国の国教になり、ヨーロッパから世界に広まったと言えるのではないでしょうか。

使徒言行録はここで終わりますが、パウロのローマでの裁判の結果はどのようになったのでしょうか。

著者ルカはそのことを知っているはずですが、使徒言行録には書いていないのです。

もし、パウロが無罪として釈放されたのであれば、それは重要な事実ですから、省略することは考えられません。

解説では、エルサレムへの旅が諸集会への訣別を告げる旅として描かれている事実から、ルカがパウロの有罪判決と処刑を知っていたと推測しています。

その処刑は、紀元64年のローマ皇帝ネロの迫害の時ではないかと思われています。

パウロはその時まで裁判にかけられずに囚人として、皇帝の保護下にあったのかもしれません。

したがって、ネロの処刑は裁判の結果による処刑ではなく迫害による処刑であったのかもしれません。

こうして、異邦諸民族への偉大な使徒パウロは、志半ばで殉教します。

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コメント

27節の「わたしは彼らをいやさない。」を「わたしは彼らをいやそう」とも読めるようですね。「目からウロコの新約聖書」の『使徒言行録の結語』 にはそう書いてあります。
https://myrtos.co.jp/?pid=172928819

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