パウロ、ローマへ向かって船出する
聖書の箇所は、使徒言行録27章1節から12節です。
●1節.わたしたちがイタリアへ向かって船出することに決まったとき、パウロと他の数名の囚人は、皇帝直属部隊の百人隊長ユリウスという者に引き渡された。
「わたしたちは」となっていますから、パウロと弟子も何人か同行していたのでしょう。
使徒言行録の著者ルカとテサロニケ出身のアリスタルコもその中にいたのではと思います。
アリスタルコは、 パウロの手紙の挨拶の中に何回が登場します。
「イタリアへ向かって船出することに決まった」とあるのは、パウロはローマ皇帝に上訴しましたから、皇帝の前での法廷に立つために囚人としてイタリアのローマに行くことが決まったと言うことでしょう。
パウロはかねてからローマに行くことを願っていました。
ローマがその当時の世界の中心地であり、ローマ皇帝の前で、ローマ市民に福音を語ることは、主イエスが命じられた全世界に福音を宣べ伝える使命を果たすことになるからでしょう。
エルサレムへ行った時から長い月日がたちましたが、今、ようやくローマに行くことができるようになりました。
しかし、パウロは囚人としてローマに行くことになると思っていたのでしょうか。不明です。
パウロは、カイザル直属の軍隊である親衛隊の一人、百人隊長ユリウスに引き渡されて、他の囚人と共に船に乗ります。
●2節.わたしたちは、アジア州沿岸の各地に寄港することになっている、アドラミティオン港の船に乗って出港した。テサロニケ出身のマケドニア人アリスタルコも一緒であった。
パウロの乗った船は、「アジア州沿岸の各地に寄港する」と言っていますので、単に囚人の運搬船ではなく、一般の人々が自由に用いる地中海の移動手段であったのでしょう。
パウロたちは、カイサリアを通る船の中で、アジヤの沿岸の各地に寄港する船に乗り込んだのですね。
●3節.翌日シドンに着いたが、ユリウスはパウロを親切に扱い、友人たちのところへ行ってもてなしを受けることを許してくれた。
シドンに教会の群れがあったようです。
なぜなら、「友人たちのところへ行ってもてなしを受ける」ことを許されたとありますからね。
しかし、百人隊長のユリウスはよく囚人であるパウロを友人のところに行かせましたね。
どうやら、彼とパウロとの間には、何か個人的な信頼関係があったのかもしれません。
●4節.そこから船出したが、向かい風のためキプロス島の陰を航行し、
シドンから出向してからは、向かい風が吹いていましたので、進み具合がかなり遅くなりました。
島陰に入ると、風はやや穏やかになるので、キプロス島の島陰を航行しました。
●5節.キリキア州とパンフィリア州の沖を過ぎて、リキア州のミラに着いた。
ミラは、小アジヤの地中海に面する町です。
●6節.ここで百人隊長は、イタリアに行くアレクサンドリアの船を見つけて、わたしたちをそれに乗り込ませた。
一行は、船を乗り換えました。百人隊長の指示によるものです。
乗り換えた船は、エジプトの大都市アレキサンドリアから世界の中心ローマへと向かう穀物輸送船でした。
その船は、パウロが乗ったときには、乗客は276人であったと言うことですから、かなり大きな船でした。
●7節.幾日もの間、船足ははかどらず、ようやくクニドス港に近づいた。ところが、風に行く手を阻まれたので、サルモネ岬を回ってクレタ島の陰を航行し、
●8節.ようやく島の岸に沿って進み、ラサヤの町に近い「良い港」と呼ばれる所に着いた。
「風に行く手を阻まれた」(7節)ので、「幾日もの間、船足」(7節)ははかどりませんでした。
「ようやく」クニドス港に近づいた。」のですが、風に行く手を阻まれたので、「サルモネ岬を回ってクレタ島の陰を航行し、」(7節)て島の岸に沿って進みクレア島のラサヤの町に近い「良い港」というところに着きました。
●9節.かなりの時がたって、既に断食日も過ぎていたので、航海はもう危険であった。それで、パウロは人々に忠告した。
●10節.「皆さん、わたしの見るところでは、この航海は積み荷や船体ばかりでなく、わたしたち自身にも危険と多大の損失をもたらすことになります。」
パウロは、「航海はもう危険」だとして、ここで冬を過ごすように人々に忠告します。
なぜパウロがそのような忠告をしたのかを考えますと、「既に断食日も過ぎていた」(9節)とありますから、断食日はユダヤ人の祭りの一つであり贖いの日です。
年によって異なりますが季節としては10月上旬ぐらいだと言うことです。
すでにその季節が過ぎており、冬が近づいていました。
だから冬の地中海は荒れるので、パウロはそのような忠告をしたのでしょう。
しかもすでに航行は、「風に行く手を阻まれたので、」幾日も船足がはかどらずずいぶん日数が経過しています。
そこでパウロは、いろいろな側面を考えて、このまま航海を続ければ、「積み荷や船体ばかりでなく、わたしたち自身にも危険と多大の損失をもたらす」、つまり、船体が壊れるだけでなく、自分たちの命さえも危険にさらされると判断したのでしょう。
●11節.しかし、百人隊長は、パウロの言ったことよりも、船長や船主の方を信用した。
百人隊長が航海士や船長のほうを信用するのは無理からぬことです。
やはり、プロの意見を聞くのが正統でしょう。
●12節.この港は冬を越すのに適していなかった。それで、大多数の者の意見により、ここから船出し、できるならばクレタ島で南西と北西に面しているフェニクス港に行き、そこで冬を過ごすことになった。
百人隊長は船長や船主の意見を取り入れて「クレタ島で南西と北西に面しているフェニクス港」に向かって船出することに決めます。
そして、そこで冬を過ごすことになります。
なお、解説によると、当時水夫たちがどこかの港町で冬を過ごすとき、解放されて、遊びほうけるのが常であったそうです。
ですから、貿易中継都市であったコリントには、航海の途中で立ち寄った多くの水夫と、彼らを相手する売春婦が大勢いて、酒場もあり、とてもにぎやかであったそうです。
冬を過ごすフェニクスは、比較的大きな町であったから遊ぶところも多くあったので、大多数の者はフェニクスで冬を過ごすことを願ったのではと言うことです。
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