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2018年11月 9日 (金)

イエスとぺトロ

聖書箇所は、ヨハネの福音書21章15節から19節です。

●15節.食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。

「この人たち以上にわたしを愛しているか」ですが、イエスはペトロに「ヨハネの子シモン」(ヘブライ語のフルネーム)とペトロの本名をユダヤ教社会の呼び方で呼びかけて、親しみを込めて語りかけられました。

マタイの福音書ではシモン・ペトロ(ギリシア語のニックネーム)とあります。

ペトロと言う名が「岩」を意味するところから、後の教会では、そのペトロと言う名で彼がキリストの民の土台となることが意義づけられています。

イエスはペトロに対し、「この人たち以上に」と比較する言葉を使って、ペトロに他の者たちよりも大きな使命を委ねるにあたって、強い献身の覚悟を求められたのだと思います。

そのイエスの語りかけにペトロは「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と答えます。

13章37節の「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます。」という強い言葉に比べるとなんと控えめでしょうか。

ペトロは「あなたのためならば命をも捨てます」と言っておきながら、イエスが逮捕されてから、「そのような人は知らない」 と三度までイエスを否認した経験がよほどこたえているのでしょう。

「わたしの小羊を飼いなさい」は、イエス(実際には聖霊の働きとしてのイエス)はペトロに、イエスを信じる者たちの世話を委ねられたのでしょう。

ということは、この福音書を著わしたヨハネの共同体も、ペトロを直弟子たちの筆頭として、イエスから信徒の集団の世話を委ねられた立場にあることを認めていると言うことでしょう。

●16節. 二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。

「わたしを愛しているか」という質問を、イエスは三回繰り返しておられます。

●17節.三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。

わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。

「三度」というのは、ペトロが三度までイエスを否認したことに対応しているのでしょう。

つまり、イエスは、三度まで否認したペトロに、同じ回数だけイエスへの愛を告白させて立ち直らせたと解釈したいと思います。

三度はその事柄を徹底させたことを意味しているのでしょう。

こうしてイエスは、ペトロの心の傷を癒され、他の弟子よりもイエスに身近な弟子として、キリストの民の世話を委ねられたのでしょう。

なお、ここの「愛」の原語の意味を調べてみますと、イエスが愛するかという「愛は」、十字架の愛(神の人間に対する愛)で、それにこたえるペトロの愛は友情の愛だそうです。

●18節.はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」

「はっきり言っておく」は、イエスは重要なことを語られるまえに使われています。

「自分で帯を締めて・・年をとると・・両手を伸ばして・・連れて行かれる」は、若い時は自分で自由に行動(伝道のための行動)できるが、年をとると行きたくないところへ連れて行かれる(逮捕されて連行される)ということで、ペトロの生涯と死に方を予告しているのでしょう。

イエスのこの言葉の背後には、当時「若いときは 他人の世話になることなく、自分の思いに従って歩めるが、年をとると他人の世話になり、自分の思い通りにはならなくなる」という意味の諺があったのではないかということです。

「両手を伸ばして、」は、他人に帯を締めてもらうときには両手を広げますので、そのことでしょう。

これは、ペトロが縛られて両手を広げて十字架につけられることを示唆しているのでしょう。

伝承によれば、ペトロの殉教は、主と同じ姿で十字架につけられるのは畏れ多いとして、逆向けに(頭を下にして)十字架につけられたとされています。

●19節.ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。

「神の栄光を現す」、イエスの十字架の死は神の栄光を現す出来事です。

ペトロの殉教も神の栄光を現すとされています。

イエスはこのように、ペトロがどのような死に方で神の栄光を現すようになるかを示された上で、「わたしに従いなさい」と言われました。

イエスはイエスについてくる者に、ご自分と同じように神の栄光のために命を捧げる覚悟を求めておられるのだと思います。

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