« イエスの死 | トップページ | 墓に葬られる »

2018年11月 1日 (木)

イエスの脇腹を槍で突く

聖書箇所は、ヨハネの福音書19章31節から37節です。

●31節.その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た。

「準備の日」とは、安息日とか大祭の祭儀の準備の日でしょう。

ヨハネの福音書によるとイエスが十字架につけられたのは金曜日の午後ですから、その日没から土曜日の安息日が始まります。

「翌日は特別の安息日であった」とは、調べてみると、過越祭の日付はニサンの月の14日ですから、その年はたまたまその日が安息日になっていたのではということです。

「十字架上に残さないため」は、律法(申命記21章22節から23節)では、木にかけられた者の死体はその日のうちに(すなわち日没までに)埋めるように命じているからでしょう。

ただし、この律法の規定は、調べてみると、安息日とか祭日とは関係がないと言うことです。

しかし、この場合は日没から始まる翌日が安息日で、かつ大祭であったので、聖なる土地を死体で汚さないためにこの律法規定を守ることが重視されたのではということです。

「脚を砕いて」は、ローマの十字架刑では、逃亡を防ぐため、あるいは死を早めるために十字架から降ろす前に囚人の脚の骨を折りました。

ユダヤ人たちはピラトにこのことを願いでました。

ピラトはユダヤ人たちとの不要の摩擦を避けるためか、これを認めます。

●32節.そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。

「脚を折った」という記事は、共観福音書にはないので、ヨハネが補充したのだと思います。

●33節.イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。

イエスはすでに息絶えておられましたので、脚の骨を砕くことはしませんでした。共観福音書には、二人の受刑者の脚を砕く記事はありません。

●34節.しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。

「兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。」は、囚人の死亡を確実にするために、槍で脇腹を指すこともあったのでしょう。

イエスはピラトが不審に思うほど短時間で死なれたので、このような処置がとられたのではということです。

この記事も共観福音書にはないのでヨハネが補充したのだと思います。

「血と水が流れ出た」は、槍で脇腹を刺せば血が出るのは当たり前です。

それでは、わざわざそのように福音書に書いて残したのはなぜでしょう。

水が流れ出たというのはどういうことでしょうか。

ヨハネは間近で見ていたのですから、この記事は事実そうであったのでしょう。

ヨハネはイエスを見て何かを感じたのでしょう。

解説によるとそういうことも現実にあるのではと言うことです。

余りないことを細かく描写しているのですから、この記事には信頼がおけるのではないでしょうか。

ヨハネの第一の手紙5章6節から8節によれば、「水と血」は、バプテスマと聖餐を象徴する救済の手段ですから、十字架の死が救済をもたらす出来事であることを象徴することになります。

つまり、水が清め(悔い改め)、血が贖い、そして霊は真理で三者は一致してイエスを証ししていると言うことになります。

●35節.それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている。

「それを目撃した者が証し」ですが、イエスの脇腹から血と水が出たことを、ヨハネは自分が目撃したから、目撃した自分のことを「目撃した者」という三人称を用いて,水と血が流れ出た事は事実であると念を押しているのでしょう。

念を押すのは、それだけこのことが重要であるとしているからでしょう。

このような情報は、十字架刑に立ち会っていなければわかりません。

他の弟子たちは十字架のその場所にいませんでした。

ヨハネだけはそこにいたのでしょう(19章25節から26節)。

この福音書の著者が、ヨハネの共同体であるならばその共同体の代表者ヨハネはやはり十二弟子のひとりであるヨハネだと思います。

このように、この記事が真実であることを強調したのは、「あなたたちもまた信じるようになるため」であると、わざわざその意図が 説明されています。

この「あなたたち」とは、ヨハネの共同体でイエスのことを聞いている信徒たち、ひいては、この福音書の読者たちを指しているのでしょう。

●36節.これらのことが起こったのは、「その骨は一つも砕かれない」という聖書の言葉が実現するためであった。

「その骨は一つも砕かれない」という語句は、詩篇34編21節の引用でしょう。

なお、出エジプト記12章46節にも過越の小羊について、「その骨は折ってはならない」とあります。

ヨハネは、過越の羊が屠られる時刻に十字架につけられたイエスこそ、過越祭の成就であるとしているので、過越の羊の骨についての律法が成就したとしています。

●37節.また、聖書の別の所に、「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」とも書いてある。

「聖書の別のところに」というのは、ゼカリヤ書12章10節の「・・彼らは、彼ら自らが刺し貫いた者であるわたしを見つめ、独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように悲しむ。」でしょう。

この個所がイエスの遺体が槍で刺されたことが、この預言の成就であるとして引用されているのでしょう。

« イエスの死 | トップページ | 墓に葬られる »

ヨハネの福音書を読む」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/208854/67334752

この記事へのトラックバック一覧です: イエスの脇腹を槍で突く:

« イエスの死 | トップページ | 墓に葬られる »