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2018年11月の記事

2018年11月29日 (木)

エルサレム教会に対する迫害

聖書箇所は、使徒言行録8章1節から3節です。

●1節.サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。

その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。

ステファノが殉教した日にエルサレムのキリスト共同体が大迫害に遭います(1節)。

この迫害で、十二人の使徒の他は全員がエルサレムから追い出されました。

そして、ユダヤとサマリアの地方に散って行きます。

おかしいですね。エルサレム共同体に対する迫害ならば十二人の使徒は指導者ですから、まず十二人の使徒が追い出されるはずです。

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ステファノの殉教

聖書の箇所は、使徒言行録7章54節から60節です。

●54節.人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした。

●55節.ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、

●56節.「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。

ステファノの弁論を聞いたユダヤ人たちは、悔い改めるどころか、怒り心頭に達しました。

ユダヤ人たちは、自分たちの人生の拠り所を否定されたと思ったのでしょう。

ステファノは聖霊に満たされて、「天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。」(55節と56節)。

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2018年11月27日 (火)

ステファノの説教(3)

聖書の箇所は、使徒言行録7章1節から53節です。

(3)では、36節から終わりまで読みます。

●36節.この人がエジプトの地でも紅海でも、また四十年の間、荒れ野でも、不思議な業としるしを行って人々を導き出しました。

モーセはエジプトでも、エジプト脱出後も不思議やしるしを行なって人びとを導きました。

それは、先祖の神が共におられたからだと言うことでしょう。

●37節.このモーセがまた、イスラエルの子らにこう言いました。『神は、あなたがたの兄弟の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる。』

『神は、あなたがたの兄弟の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる。』というのは、モーセの預言です。

聖書の箇所は、申命記18章18節です。

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ステファノの説教(2)

聖書の箇所は、使徒言行録7章1節から53節です。

(2)では、17節から35節までを読みます。

●17節.神がアブラハムになさった約束の実現する時が近づくにつれ、民は増え、エジプト中に広がりました。

●18節.それは、ヨセフのことを知らない別の王が、エジプトの支配者となるまでのことでした。

「神がアブラハムになさった約束の実現」、すなわち、「わたしはあなたの子孫を天の星のように増やし、これらの土地をすべてあなたの子孫に与える。」(創世記26章4節)と約束が実現する日が近づきました。

ヤコブの家族は、ヨセフの招きでエジプトに移住しました。

その民が増えていったのですが、ヨセフも死んで、何代か後に、ヨセフのことを知らない王が現われました。

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ステファノの説教(1)

聖書箇所は、使徒言行録7章1節から53節です。

三回に分けまして、(1)では16節まで読みます。

この個所は少し長いので、まず総括しておきます。

大祭司がステファノに、「訴えのとおりか」(1節)と尋ねたのに対し、ステファノは弁論を開始します(2節以下最後の節まで)。

訴えの内容は、14節にあるように「聖なる場所と律法をけなし」たこと、もう一つは、イエスが、「モーセが我々に伝えた慣習を変える」ことです。

なお、ステファノの弁論は神の民イスラエルの歴史そのものです。

イスラエルの中での神の働きの主要な内容と、それに対するイスラエルの対応を語っているのです。

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2018年11月25日 (日)

ステファノの逮捕

聖書箇所は、使徒言行録6章8節から15節です。

●8節.さて、ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた。

「恵みと力に満ち」というのは、聖霊に満ちてという意味でしょう。

その結果、「不思議な業としるし」が伴うのです。

●9節.ところが、キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる「解放された奴隷の会堂」に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり、ステファノと議論した。

「解放された奴隷の会堂」に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々などのある者」とは、ギリシア語系ユダヤ人のある者、いわゆる、離散ユダヤ人です。

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ステファノたち七人の選出

聖書箇所は、使徒言行録6章1節から7節です。

●1節.そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。

エルサレムの共同体には、「ギリシア語を話すユダヤ人」と「ヘブライ語を話すユダヤ人」がいました。

ギリシア語を話すユダヤ人とは、ギリシア語を学んで話せるのではなく、「ギリシア語を母語として話すユダヤ人」のこと、すなわち、離散ユダヤ人だと思います。

ヘブライ語を話すユダヤ人は、もちろん、イスラエルに居住する人たちです。

なお、イスラエルはアラム語とヘブライ語が通用語であったそうです。


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2018年11月23日 (金)

使徒たちに対する迫害

聖書箇所は、使徒言行録5章17節から42節です。

●17節.そこで、大祭司とその仲間のサドカイ派の人々は皆立ち上がり、ねたみに燃えて、

●18節.使徒たちを捕らえて公の牢に入れた。

このような支配勢力であるユダヤ教の神殿内での大胆なキリストの共同体の行動は、いつまでも許されるはずがありません。

支配勢力である「大祭司とその仲間のサドカイ派の人々は」使徒たちを捕えて牢に入れます。

「大祭司とその仲間のサドカイ派の人々は皆立ち上がり、ねたみに燃えて、使徒たちを捕らえて公の牢に入れた。」(17節・18節)のです。

「ねたみに燃えて」とありますが、イエスの使徒たちは大衆に人気があったので、そのことを言っているのでしょうが、神殿の支配者は首謀者であるイエスを、死罪にしたところでありますから、弟子たちがそのイエスをメシア・キリストとして告知しているのを放っておくわけにはいかなかったでしょう。

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使徒たち、多くの奇跡を行う

聖書箇所は、使徒言行録5章12節から16節です。

●12節.使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議な業とが民衆の間で行われた。一同は心を一つにしてソロモンの回廊に集まっていたが、

●13節.ほかの者はだれ一人、あえて仲間に加わろうとはしなかった。しかし、民衆は彼らを称賛していた。

●14節.そして、多くの男女が主を信じ、その数はますます増えていった。

●15節.人々は病人を大通りに運び出し、担架や床に寝かせた。ペトロが通りかかるとき、せめてその影だけでも病人のだれかにかかるようにした。

●16節.また、エルサレム付近の町からも、群衆が病人や汚れた霊に悩まされている人々を連れて集まって来たが、一人残らずいやしてもらった。

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アナニアとサフイラ

聖書箇所は、使徒言行録5章1節から11節です。

●1節.ところが、アナニアという男は、妻のサフィラと相談して土地を売り、

●2節.妻も承知のうえで、代金をごまかし、その一部を持って来て使徒たちの足もとに置いた。

●3節.すると、ペトロは言った。「アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。

●4節.売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思いどおりになったのではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」

●5節.この言葉を聞くと、アナニアは倒れて息が絶えた。そのことを耳にした人々は皆、非常に恐れた。

●6節.若者たちが立ち上がって死体を包み、運び出して葬った。

●7節.それから三時間ほどたって、アナニアの妻がこの出来事を知らずに入って来た。

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2018年11月21日 (水)

持ち物を共有する

聖書の箇所は、使徒言行録4章32節から37節です。

●32節.信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。

●33節.使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。

●34節.信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、

●35節.使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。

●36節.たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ――「慰めの子」という意味――と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、

●37節.持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた。

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信徒たちの祈り

聖書の箇所は、使徒言行録4章23節から31節です。

●23節.さて二人は、釈放されると仲間のところへ行き、祭司長たちや長老たちの言ったことを残らず話した。

●24節.これを聞いた人たちは心を一つにし、神に向かって声をあげて言った。「主よ、あなたは天と地と海と、そして、そこにあるすべてのものを造られた方です。

ペトロとヨハネは釈放されました。

釈放された二人の報告を聞いたエルサレム共同体の人たちは、心を一つにして、声をあげて神に祈ります。

その祈りは、「主よ、あなたは天と地と海と、そして、そこにあるすべてのものを造られた方です。」(24節)と、天地を創造された神に向けられました。

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2018年11月19日 (月)

ペトロとヨハネ、議会で取り調べを受ける

聖書の箇所は、使徒言行録4章1節から22節です。

●1節.ペトロとヨハネが民衆に話をしていると、祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々が近づいて来た。

●2節.二人が民衆に教え、イエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えているので、彼らはいらだち、

●3節.二人を捕らえて翌日まで牢に入れた。既に日暮れだったからである。

ペトロとヨハネが神殿内の「ソロモンの柱廊」(3章11節)で民衆に語りかけていると、神殿を支配する勢力である「祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々」(1節)が近づいてきて、二人を逮捕して翌日まで投獄しました(3節)。

投獄したのは、「二人が民衆に教え、イエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えているので、」そのことにいら立ち、自由にしてはおけばますますイエスが復活された噂が広まり、しまいには民衆を抑えきれなくなることを恐れたからでしょう。

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ペトロ、神殿で説教する

聖書箇所は、使徒言行録3章11節から26節です。

●11節.さて、その男がペトロとヨハネに付きまとっていると、民衆は皆非常に驚いて、「ソロモンの回廊」と呼ばれる所にいる彼らの方へ、一斉に集まって来た。

●12節.これを見たペトロは、民衆に言った。「イスラエルの人たち、なぜこのことに驚くのですか。また、わたしたちがまるで自分の力や信心によって、この人を歩かせたかのように、なぜ、わたしたちを見つめるのですか。

●13節.アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神は、その僕イエスに栄光をお与えになりました。ところが、あなたがたはこのイエスを引き渡し、ピラトが釈放しようと決めていたのに、その面前でこの方を拒みました。

11節の「その男」はもちろん、ペトロとヨハネにいやしてもらった足の不自由な男のことでしょう(3章1節以降を参照)。

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2018年11月17日 (土)

ペトロ、足の不自由な男をいやす

聖書箇所は、使徒言行録3章1節から10節です。

●1節.ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。

●2節.すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。

●3節.彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞うた。

●4節.ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。

●5節.その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、

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信者の生活

聖書の箇所は、使徒言行録2章43節から47節です。

●43節.すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。

42節でパウロの説教によって生まれた人々の、「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」という表現は、生まれたばかりのイエスを主キリストと信じた人たちの共同体の姿です。

エルサレムで生まれたからエルサレム共同体ですね。

ここ43節から47節では、さらに詳しく記述します。

洗礼を受けて集まった人たちは「すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていた」(43節)とあります。

「恐れが生じた。」というのは、新しく洗礼を受けた人々が、使徒たちの「不思議な業としるし」(43節)を見てということでしょう。

この時の聖霊の働きは非常に活発であったのでしょう。

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2018年11月15日 (木)

ペトロの説教(2)

聖書箇所は、使徒言行録2章14節から42節です。

ここ(2)では29節から42節までを読みます。

●29節.兄弟たち、先祖ダビデについては、彼は死んで葬られ、その墓は今でもわたしたちのところにあると、はっきり言えます。

●30節.ダビデは預言者だったので、彼から生まれる子孫の一人をその王座に着かせると、神がはっきり誓ってくださったことを知っていました。

●31節.そして、キリストの復活について前もって知り、/『彼は陰府に捨てておかれず、/その体は朽ち果てることがない』/と語りました。

●32節.神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。

「ダビデの詩」である詩編16編のダビデの預言は、「キリストの復活」について語ったのだとして、31節は、詩編16編10節を引用しているということです(引用はギリシヤ語70人訳聖書からだと思いますが、わたしの手元にないので確認できません。)。

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ペトロの説教(1)

聖書箇所は、使徒言行録2章14節から42節です。

ここ(1)では28節までを読みます。

弟子たちにとって、イエスが復活してメシアとして立てられたことを、祭りに来るすべての同胞ユダヤ人に告知するためには、ユダヤ教支配者階級の厳しい監視の目がありますので勇気が必要です。

もともと弟子たちは、イエス逮捕の巻き添えを食うのを恐れて故郷ガリラヤに帰ったほどですから、神殿に集まるユダヤ教徒の群衆に大胆に声を上げて福音を宣べ伝える勇気はなかったのです。

そこに聖霊降臨が実現して、弟子たちは御霊に満たされて、勇気を得て立ち上がったのです。

いくら弱い弟子たちでもイエスの復活に出会い、聖霊に満たされれば希望に湧き、勇気も出ます。

そういうことですから、師であるイエスが共にいてくれるという強い思いから希望が膨らみ、今すぐにでもイエスが再臨されると言う切羽詰まった思いになるのもあり得ると思うのです。

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2018年11月13日 (火)

聖霊が降る

聖書箇所は、使徒言行録2章1節から13節です。う。

●1節.五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、

「五旬祭」は、ユダヤ教、あるいは、キリスト教の祝日です。

「五旬祭」はユダヤ教の祭りですが、キリスト教では通常ペンテコステといい、聖霊降臨とも呼ばれています。

イスラエルの五旬祭は、イスラエル民族のカナン定住後、農耕儀礼として起こったユダヤ教の三大祭りの一つです。

「五旬祭」は、もともと「七週祭」(出エジプト記 34章22節、民数記28章26節)と呼ばれ、小麦の収穫の刈り入れの祭りでしたが、後に、春先の過越祭(出エジプト、4月の初め)から50日目にモーセがシナイ山で神から与えられた契約(モーセ律法)を記念する日となったと言うことです。

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マテイァの選出

聖書箇所は、使徒言行録1章12節から26節です。

●12節.使徒たちは、「オリーブ畑」と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にある。

●13節.彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。それは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダであった。

●14節.彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。

弟子たちはイエスの十字架死もあと、故郷ガリラヤに逃げ帰っていましたが、ガリラヤで復活したイエスに出会い、福音を伝えるよう告知を受け、主イエスの再臨を待つために、母マリアらイエスの家族、また、ガリラヤでイエスと行動を共にしていた女性たちと故郷を引き払いエルサレムに移住します。

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2018年11月11日 (日)

イエス、天に上げられる

聖書箇所は、使徒言行録1章6節から11節です。

●6節.さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。

弟子たちに現れた復活したイエスは、その父の約束によって弟子たちに「間もなく聖霊による洗礼を授けられる」(5節)ことを予告されます。

それで、弟子たちは、イスラエルのために「神の国」が来るのはいつですか、と復活したイエスに質問します(6節)。

イエスは復活されてから弟子たちに「神の国」のことを語られていましたから、弟子たちはその国がいつ来るのかと思ったのでしょう。

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約束の聖霊

聖書箇所は、使徒言行録1章3節から5節です。

●3節.イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。

●4節.そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。

●5節.ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」
さて、いよいよルカの福音書第2巻使徒言行録の始まりです。

イエスは復活されて、その事実を「数多くの証拠をもって使徒たちに示し、」四十日の間弟子たちに顕れて神の国について話されました。

イエスが復活されたことは、目の前でつい先ほど十字架に架けられて死んだイエスがまさに生きておられるということと、同時にイエスが神の子であることを証しているのです。

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2018年11月 9日 (金)

はしがき

聖書の箇所は、使徒言行録1章1節から2節です。

●1節から2節.テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。

この使徒言行録の著者は、ルカの福音書の著者であるルカです。

ですから、「先に第一巻」はルカの福音書の事でしょう。

この使徒言行録は二巻目だと言うことです。

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イエスとその愛する弟子

聖書の箇所は、ヨハネの福音書21章20節から25節です。

●20節.ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのが見えた。この弟子は、あの夕食のとき、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、裏切るのはだれですか」と言った人である。

ここを読むと、イエスの愛しておられた弟子は、やはりヨハネのことでしょう。ですから、この福音書はヨハネのイエス伝承をもとに著わしていると思います。

●21節.ペトロは彼を見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。

「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と、ペトロは「イエスの愛しておられる弟子」ヨハネを見てイエスにこのように言ったのですが、これはイエスがヨハネのことについて、「わたしがくるときまで彼が生きている」と言ったと言う噂があったので、それに対する問いかけでしょう。

なお、ペトロはイエスとほぼ同じ年代か少し若い年代で、イエスに召されたときは三〇歳代で、紀元六〇年代前半に殉教しましたので、そのときは六〇歳代ではと言われています。

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イエスとぺトロ

聖書箇所は、ヨハネの福音書21章15節から19節です。

●15節.食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。

「この人たち以上にわたしを愛しているか」ですが、イエスはペトロに「ヨハネの子シモン」(ヘブライ語のフルネーム)とペトロの本名をユダヤ教社会の呼び方で呼びかけて、親しみを込めて語りかけられました。

マタイの福音書ではシモン・ペトロ(ギリシア語のニックネーム)とあります。

ペトロと言う名が「岩」を意味するところから、後の教会では、そのペトロと言う名で彼がキリストの民の土台となることが意義づけられています。

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2018年11月 7日 (水)

イエス、七人の弟子に現れる

聖書の箇所は、ヨハネの福音書21章1節から14節です。

前段でこの福音書は一応締めくくられていますが、その後に続く本章21章は、後で加えられたと言うことです。

調べてみると、21章は編集者による別系統の伝承、つまり、主が愛された弟子ヨハネの伝承以外の伝承に基づいてなされたのではということです。

その理由は、20章までのこの福音書の本体と21章の不可部分の内容に違いがあるからと言われています。

それは、福音書本体ではイエスの復活顕現はエルサレムに限られていて、十字架の後弟子たちがガリラヤへ帰ったこととか、ガリラヤでの復活顕現についてはいっさい触れられていません。

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本書の目的

聖書箇所は、ヨハネの福音書20章30節から31節です。

●30節.このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。

イエスは生前に「多くのしるしをなさった」のですが、「しるし」とは奇跡とも言います。

しるしをなされた理由は、イエスが神から遣わされた方であることを明らかにするためです。

「多くのしるし・・この書に書かれていない。」ですが、イエスのなされた「しるし」はこの福音書に書かれているものだけではなく、もっと多くの「しるし」があったということでしょう。

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2018年11月 5日 (月)

イエスとトマス

聖書箇所は、ヨハネの福音書20章24節から29節です。

●24節.十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。

わたしみたいに疑い深い十二弟子の一人トマスの登場です。

彼は、週の初めの日の夕方、復活されたイエスが他の弟子たちに現れたとき(ヨハネの福音書20章19節から23節)その場にいませんでした。

「ディデュモス」というのは双子を意味するギリシア語だそうです。

●25節.そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」

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イエス、弟子たちに現れる

聖書箇所は、ヨハネの福音書20章19節から23節です。

●19節.その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

「週の初めの日」は、安息日明けの一日目を指します。

弟子たちは「ユダヤ人を恐れて、・・家の戸に鍵をかけていた」、つまり、外から入れないように戸はロックされていました。

弟子たちは、イエスが十字架の場で自分たちのことをばらしていないかと思って、いつ自分たちが逮捕されるのかと不安と恐れで震えていたのでしょう。

そのような外から入ることができない部屋にイエスが突然現れて、「あなたたちに平和があるように」と言われたのです。

この言葉は、「あなたにシャローム」というユダヤ人の日常的な挨拶だと言うことです。

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2018年11月 3日 (土)

イエス、マグダラのマリアに現れる

聖書の箇所は、ヨハネの福音書20章11節から18節です。

●11節.マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、

二人の弟子は「家に帰って行った」のですが、おそらく少し遅れて墓に来ていたマグダラのマリアは一緒に帰らずに墓の前で泣いていたのでしょう。

そして、二人の弟子から中の様子を聞き、恐る恐る墓の入り口で身をかがめて中を覗いたのでしょう。

●12節.イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。

身をかがめて墓の中をのぞいたマリアは、「白い衣を着た二人の天使」を認めます。

その二人の天使の一人は、「頭の方に」、もう一人は「足の方に」座っていました。

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復活する

聖書箇所は、ヨハネの福音書20章1節から10節です。

●1節.週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。

「週の初めの日」は、安息日明けの一日目ですから日曜日です。

イエスが死なれたのは、安息日の前の「過越の準備の日」でしたから、この日は死なれてから安息日をはさんで(ユダヤ人の数え方で)「三日目」ということになります。

最初に墓に行ったのはマグダラのマリア一人となっているのはヨハネの福音書だけで、マタイの福音書は「マグダラのマリアともう一人のマリア」で、マルコの福音書は、「マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメ」で、ルカの福音書は「婦人たち」となっています。

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墓に葬られる

聖書箇所は、ヨハネの福音書19章38節から42節です。

●38節.その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。

「アリマタヤ出身のヨセフ」のアリマタヤはエルサレムから北西へ40キロほどにある地中海近くの町だと言うことです。

ヨセフと言う人物は、ピラトに直接あって願い出ることができる立場の人物ですから最高法院を構成する階級である祭司長、長老、律法学者の中で地域を代表する「長老」階級の議員ではないかということです。

「隠していた」というのは、ユダヤ教指導層や会堂勢力のユダヤ人からの異端追及を恐れて、イエスの弟子であることを隠していたと言うことでしょう。

最高法院の中にもイエスの「隠れた弟子」が相当いたと言うことでしょう。

ほかに聖書に名前が出てくる人物でニコデモがそうであると思います。

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2018年11月 1日 (木)

イエスの脇腹を槍で突く

聖書箇所は、ヨハネの福音書19章31節から37節です。

●31節.その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た。

「準備の日」とは、安息日とか大祭の祭儀の準備の日でしょう。

ヨハネの福音書によるとイエスが十字架につけられたのは金曜日の午後ですから、その日没から土曜日の安息日が始まります。

「翌日は特別の安息日であった」とは、調べてみると、過越祭の日付はニサンの月の14日ですから、その年はたまたまその日が安息日になっていたのではということです。

「十字架上に残さないため」は、律法(申命記21章22節から23節)では、木にかけられた者の死体はその日のうちに(すなわち日没までに)埋めるように命じているからでしょう。

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イエスの死

聖書箇所は、ヨハネの福音書19章28節から30節です。

●28節.この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。

「聖書の言葉が実現した」と、今までイエスの身に起こった出来事が、すべて聖書(旧約)の言葉が実現したとしてまとめられています。

イエスの身に起こったことのすべてが、聖書の預言の成就であったことを強調しているのでしょう。

●29節.そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。

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十字架につけられる

聖書の箇所は、ヨハネの福音書19章17節から27節です。

●17節.イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。

「自ら十字架を背負い」ですが、十字架に架けられる死刑囚は、縦木は刑場に用意されていたので、自分が架けられる十字架の横木を背負って(あるいは引きずって)刑場まで歩かされたということです。

刑場は「されこうべの場所」で、現在の聖墳墓教会がある場所とされています。

イエスは、仲間による奪還を警戒するローマの兵士たちに厳重に守られて、エルサレムの狭い街路を引かれて行かれたのでしょう。

現在そのイエスが歩かれた道は、悲しみの道と呼ばれて、巡礼者がイエスの苦難の道行きを偲ぶ場所になっていると言うことです。

●18節.そこで、彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒にほかの二人をも、イエスを真ん中にして両側に、十字架につけた。

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