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2018年7月21日 (土)

弟子たちに現れる(ルカ24章)

聖書箇所は、ルカの福音書第24章36節から49節です。

 

共観福音書の並行個所は、マタイの福音書28章16節から20節/マルコの福音書16章14節から18節です。

 

●36節.こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

 

ユダヤ人を恐れて家の戸に鍵をかけて閉じこもっている弟子(ヨハネの福音書第20章19節)たちの部屋に忽然とイエスが現れました。

 

そして、ユダヤ人が日常人に会ったときの挨拶、「あなたがたに平和があるように」、つまり、シャロームと言って挨拶されました。

 

「こういうこと」というのは、エマオへの道中で二人の弟子が復活のイエスに出会った体験とか「シモン」の顕現体験などのことを十一弟子と話していたことでしょう。

 

●37節.彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。

 

集まっていた弟子たちは、目の前に復活のイエスが突然現れたので驚きました。

 

とっさのことだったので復活のイエスを亡霊だとおもったのです。

 

亡霊も異次元の存在です。

 

異次元の存在に恐怖を覚えるのは人間が持つ本能的なものです。

 

 

弟子たちは恐怖で恐れおののきます。

 

過去二回の顕現も同じですが、ここでもイエスから声をかけられて初めてそれがイエスだとわかったのです。

 

●38節.そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。

 

●39節.わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」

 

●40節.こう言って、イエスは手と足をお見せになった。

 

弟子たちはイエスの亡霊を見たと思い驚き恐怖に囚われますが、そのイエスはわたしの手や足を見なさいと、手を差し伸べ足を見せます。

 

そして、触ってみなさいとも言われました。

 

こうして、ご自身が身体を具えたイエス自身であることを強調されます。

 

復活されたイエスの身体は、見た目は肉体を持つ人間と同じであったのです。

 

●41節.彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。

 

●42節.そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、

 

●43節.イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。

 

弟子たちは、イエスが死んでしまったと嘆き悲しんでいましたが、生きておられることを知って喜びますが、まだ疑心暗鬼です。

 

そこで、イエスはさらに、彼らの前で魚を食べて見せました。

 

彼らが見ているのは、幻ではなく人間であることが証明されました。

 

そうです。「食べられた」と書いてありますから噛んで飲み込まれたのです。

 

それは肉体を持って生きている証拠です。

 

●44節.イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」

 

復活したイエスは、弟子たちに対し、ご自分に身体があることを示されて、この出来事は聖書(律法と預言の書と詩篇)の成就であると説明されます。

 

そして、自ら「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は」すべてが実現すると言われました。これは重大な証言です。

 

イエスは、地上におられるとき、エルサレムに向かう旅の途上で繰り返しご自分の受難と復活を予告されました(9の21から22・44、18の31から33)。

 

ルカの福音書第9章45節には、「弟子たちはその言葉が分からなかった。彼らには理解できないように隠されていたのである。彼らは、怖くてその言葉について尋ねられなかった。」と書いています。

 

ところが、ルカは、現実に聖書(モーセの律法と預言者の書と詩編)の預言が、生前のイエスの予告が現実に実現したことを確認した上でこの福音書を書いているのです。

 

●45節.そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、

 

●46節.言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。

 

●47節.また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、

 

●48節.あなたがたはこれらのことの証人となる。

 

「彼らの心の目を開いて」というのは、聖霊が働かれてということでしょう。隠された言葉の意味は、聖霊の力を借りなければ正しく解釈できません。

 

聖霊についてヨハネの福音書第15章26節に「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。」
復活されたイエスの働きは、聖霊による啓示(聖書の解き明かし)の働きです。

 

そして、47節で、「その名によってあらゆる国の人々に、宣べ伝えられる」とあり、「その名」ですから、イエスの名によって、その宣べ伝えられる内容は、「罪の赦しを得させる(赦しに至らせる)悔い改め」です。

 

神は全世界の諸国民に罪の赦しを布告するのではなく、「悔い改めを」求めておられるのです。

 

「これらのことの証人となる。」のこれらのこととは、もちろん、イエスの地上での働き、十字架上の死、三日目の復活など、イエスの身に起こったすべてのことの証人となりなさいということでしょう。

 

●49節.わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」

 

イエスが約束された「父が約束されたもの」とは、聖霊のバプテスマ(使徒言行録2章で実現する)でしょう。

 

ルカはイエスの言葉として次のように書いて、聖霊が与えられるのは、父の約束としています。

 

「このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」(ルカの福音書第11章13節)

 

弟子たちはこうしてガリラヤで復活したイエスと出会い、復活という決定的な召命を得て、聖霊降臨の日(使徒言行録2章)を迎えるために家業を捨ててエルサレムに移住し祈りに入ります。

 

 

 

 

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