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2018年7月 6日 (金)

「不正な管理人」のたとえ(1)(ルカ16章)

聖書箇所は、ルカの福音書16章1節から13節です。

二回に分けて、ここでは8節までを読みます。

共観福音書の並行個所はなく、ルカ単独の記事です。

13節の結論となるところは12年08月投稿の「神と富」を参考にしてください。

●1節.イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄遣いしていると、告げ口をする者があった。

当時の資産家は、自分の財産の運用を一人の有能な管理人に任せる場合が多くあったと言うことです。
イエスは弟子たちにそのことを例に用いてたとえ話を語られます。

ある金持ちの資産の運用を任された一人の管理人が、主人の財産を「無駄遣いしている」と告げ口する者がありました。

無駄遣いとなっていますが、おそらく自分の私腹を肥やすために主人の財産の一部を自分のために使ったり、ずさんな運用で損失を出したりしていたのでしょう。

●2節.そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』

その告げ口を聞いた主人は、「会計の報告」を出すように管理人に求めます。

そして、管理人に財産の管理を任せるのをやめると言っています。

管理人を首にする前に「会計の報告」を求めたのは、管理の実態を調べるためでしょう。

もちろん、管理人に申し開きをする機会も与えたのでしょう。

●3節.管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。

●4節.そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』

「会計報告」の提出を求められた管理人は、不正は隠しようがないので首を覚悟します。

ただ首になった後、どうして暮らしていけばよいのか、その目途が立たず途方に暮れます。

その対応策として、一つの方策を思いつきます。

それは、まだ管理人の権限がある間、つまり、首になる前に、その権限を用いて管理人を止めさせられたとき自分を家に迎えてくれるような者たちを作っておくと言うことです。

つまり、管理人の権限を持っている間に再就職先を探しておくと言うことですね。

●5節.そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。

●6節.『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』

●7節.また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』

彼は、管理人を解任されるまでの僅かの期間に、管理人の権限を用いて自分を受け入れてくれる再就職先を見つけるための行動を起こします。

管理人は色々な証文を管理しています。

主人の名で取引を行い、証書を作る権限をもっています。

彼は主人に借りのある者を一人一人呼んで証書にある負債額を少なく書き直させます。

6節の「バトス」とは、液体の容量を量る単位で、約二三リットルに相当するそうです。

7節の「コロス」は固体の容量を量る単位で、約二三〇リットルに相当するそうです。

借りていたのは油と小麦で、油は五〇%、小麦は二〇%免除したのです。

借りていた人はずいぶん大きな利益を得ることになり、この管理人に大きな恩義を感じることになります。

現在に置き換えれば、官僚や会社の役員が定年後の天下りする先を確保する為によく使われる手です。

しかし、現在では優遇する程度で、免除は簡単にはできないと思いますがね。

●8節.主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。

管理人のやり方は不正ですが、「主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた」というのです。

主人は管理人の不正によって大きな損害を受けているのですから、自分に損害を与えた管理人の「抜け目のないやり方」を知ったうえで、それをほめているのです。理解しがたいものがあります。

この理解しがたい主人の態度は、どのように見ればよいのでしょうか。

それにこのたとえ話の「主人」と言うのは誰を指すのでしょうか。

調べてみると、「主人」と訳されている原語はホ・キュリオスということで、キュリオスは「主」という意味ですから、イエスを指すのではということです。

しかし、このような見方もあります。

それは、このホ・キュリオスがたとえ話の中の資産家の「主人」を指すのか、またはこのたとえ話を語られたイエスを指すのかという問題です。

どちらにしても、「主人」でも「主」(イエス)どちらであっても、管理人の不正をほめたのではなく、自分の身を守るためにした「賢い」行動をほめたことに変わりはないと思います。

しかし、「主人」か「主」(イエス)、どちらでしょうか、決めかねます。

それでは、8節の「この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている」をどのように解釈すればよいのでしょうか。

ここをどのようにみるかで、「主人」か「主」のどちらかが分かるかもしれません。

「この世の子ら」とか「光の子」等の言葉を使っていますから、「主人」の言葉でないのは確かです。

文面からして、弟子たちに対するイエスの言葉としなければ筋が通りません。

そうすると、主であるイエスはなぜ、あるいは何のためにこのようなたとえ話を語られたのでしょうか。

それは、この文書の後半の「この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。」にあるのではないかと思うのです。

といっても、この管理人が主人の信頼を裏切って、与えられた権限を利用して自分の利益を図った「不正、不義」をほめられているのではなく、残された僅かの時を有効に用いて、解雇される危機に備えた「賢い」行動を褒められたのだと思うのです。

神を信じない「この世の子ら」が自分の仲間に対して行っているそのような賢い行動以上に、神を信じる「光の子ら」であるあなたたちは神の国に招かれるために賢く行動するように、と求められていると捉えたいと思います。

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