七十二人、帰ってくる(ルカ10章)
聖書箇所は、ルカの福音書10章17節から20節です。
この記事は共観福音書に並行箇所はなく、ルカ単独です。
●17節. 七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します」。
ここでは派遣された七十二人の弟子の伝道活動(ルカの福音書10章1節から12節)の報告がなされています。
伝道活動においては多くの奇跡が伴ったことを報告しています。
「主よ、お名前を使うと、」ですから、彼らはイエスの名によって病人に手を置いていやし、悪霊を追い出すと、悪霊さえも屈服したと言っています。
●18節.イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。
●19節.蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。
イエスは、「サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。」と言われていますから、その意味は、悪霊の頭であるサタンはイエスの御名に屈服し、すでに世の支配権を失っているということになります。
そうであれば、イエスが最終的にサタンに勝利されるのは十字架死の後の復活を待たねばなりませんから、この「七十二人を派遣する」記事は、イエス復活後の記事になります。
つまり、復活のイエス(聖霊)が著者に書かせたと言うことです。
そうすると、マタイの福音書第28章18節の復活のイエスの言葉「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。」はその裏付けとなります。
だからイエスの弟子たちは、敵サタンからの危害を受けることないのですから、「あなたがたに害を加えるものは何一つない。」(19節)となります。
「蛇やさそり」は、敵対する霊的な力を象徴しているのでしょう。
なお、18節の「見ていた。」というのは、文法的に一回的な出来事ではなく、継続的な出来事を指すということです。
●20節.しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」。
これは、派遣された七十二人が帰って来て、「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します」と言って、悪霊を服従させた体験を「喜びをもって」報告しました(17節)から、これに対するイエスの答えです。
イエスは弟子たちに、もろもろの悪霊を服従させる霊力を授かっていることを喜ぶのではなく、そのような力を授かっているのは、自分の名が「天に書き記されている」ことだから、そのことを喜ぶように言われます。
「名が天に書き記されている」というのは、神の民の名簿に登録されている(救われていること)ことを意味しているのでしょう(フィリピ4の3、黙示録3の5、13の8などを参考)。
わたしたちは信仰生活において、霊的な賜物を授かれば救われていることの証として喜びますが、わたしたちが喜ぶべきことは、そういう賜物を戴いたことよりもそのような結果を生みだした主イエスにあって救いに与っている事実にこそ目をとめて、それを喜び感謝すべきであると諭されているのだと思います。
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