偽善に気をつけさせる(ルカ12章)
聖書箇所は、ルカの福音書12章1節から3節です。
共観福音書に並行個所はなく、ルカ単独の記事です。
この節から13章9節までは、終わりの日の裁きが迫っていることを忠告する言葉が続いています。
●1節.とかくするうちに、数えきれないほどの群衆が集まって来て、足を踏み合うほどになった。イエスは、まず弟子たちに話し始められた。「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい。それは偽善である」。
人々が驚くような新しい教えを述べ、病人をいやし悪霊を追い出す働きをされるイエスの評判はすごい反響を呼んでいます。
多くの群衆がイエスの周りに集まって来ます。
そのような群衆がいるところでも、イエスはまず弟子たちに語りかけ、イエスに従う者としての忠告というか心構えを説かれます。
「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい」というイエスの言葉は、マルコにもマタイにもありますが、用いられ方が違うように思います。
いずれにしても、ファリサイ派の人々の教えに対する忠告です。
ルカの福音書は、明確にイエスの言葉でファリサイ派の人々の教えは偽善であると言っています。
「偽善」というのは、外から見えるところと中身と違うことを指すと思いますが、ユダヤ教は人間の内面に巣くう悪をそのままにしながら、外面が律法に適う者であれば義人としていました。
つまり、見かけ良ければそれで良しとしていたのです。
そのことをイエスは「偽善」として厳しく攻撃しました。
●2節.「覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない。
解説によると、この「覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない」という言葉は、当時のユダヤ人の間で諺とか格言のように使われていたということです。
ここでイエスが言われていることは、終わりの日の裁きのことを語っておられるのでしょう。
終わりの日の裁きの時には、真実を隠していても心の中も含めて、すべてが明らかになるのだから、自分の本当の姿を外面的な行為で飾って隠そうとする(偽善)ことは通らないし、無意味であると言っておられるのでしょう。
●3節.だから、あなたがたが暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれ、奥の間で耳にささやいたことは、屋根の上で言い広められる」。
「暗闇で言ったこと」や「奥の間で耳にささやいたこと」というのは、人が人目を避けて、隠れてしたことを指しているのでしょう。
どのようにしたことを隠しても、神の前ではすべてが明らかにされることが「明るみで聞かれ」とか「屋根の上で言い広められる」という表現(未来形です)で語られています。
未来形ですから、もちろん裁きの場で明らかにされると言う意味でしょう。
マタイはここの聖句を、ちょっと違った文脈において、違った意味で用いています。
それはマタイの福音書10章の26節以下の「恐るべき者」のところで、イエスが弟子たちを「神の国」を告げ知らせるために送り出されるとき、「人々を恐れるな」(そのような偽善者を恐れるな)と弟子たちに忠告する言葉になっています。
ここの三節の言葉もマタイでは、「わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい」と、イエスから密かに教えられた「神の国」の奥義を隠すことなく告知するように励ます(命令形で)言葉になっています。
このように、同じイエスの言葉でも各福音書記者によって違った文脈に置かれることで、違った意味を持つことになるのがよく分かります。
だから、聖書記者はイエスの言葉を用いて自分の信仰を語っていると言えるのではないでしょうか。
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