「実のならないいちじくの木」のたとえ(ルカ13章)
聖書箇所は、ルカの福音書13章6節から9節です。
共観福音書に並行個所はなくルカ単独の記事です。
●6節.そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。
●7節.そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか』」。
いちじくの木をイスラエルの象徴としてとらえているのでしょう。
マルコの福音書11章12節から14節でイエスは、最後にエルサレムに入られたときに実のない「いちじくの木を呪う」という象徴的な奇跡を行われた話がありますが、この記事はルカにはありません。
「ある人」と言うのはいちじくの木を植えた人ですが、8節で園丁はその人をご主人さまと言っていますからぶどう園の所有者のことでしょう。
そのぶどう園の所有者は、そこに植えたいちじくの木がいくら待っても実をつけないので、そのいちじくの木を切り倒せと命じています。
このたとえ話は、何を語ろうとしているのかを考えると、一般に言われているのは、「ぶどう園」は世界を指し、いちじくは世界の中で選ばれて特別の使命を与えられたイスラエルを指し、ぶどう園の所有者は世界の支配者である創造者なる神を指すと言うことです。
ぶどう園の所有者である神は、いちじくの木にたとえられたイスラエルに実がなることを求められましたが、イスラエルはぶどう園の所有者である神が期待されるような実を結びませんでした。
それで、ぶどう園の所有者である神はいちじくの木を切り倒す、つまり、イスラエルを滅ぼすことに決められた、ということになります。
●8節.「園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。
●9節.そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください』」。
「切り倒せ」という主人の命令に対して園丁は、肥しをやって手入れすれば来年は実がなるかもしれないと可能性を述べ、最後のチャンスを与えるために「今年もこのままにしておいてください」と懇願しています。
イエスはエルサレム神殿の崩壊を避けられないものと預言しておられますが、イスラエルが滅びることは望まれていないことは、ルカの福音書19章41節にイスラエルの滅びに対しては涙を流しておられる記事があるのでよくわかります。
神はやがて憐みゆえにイスラエルを救いの道に導かれるものと思います。
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