十字架につけられる(1)(マルコ15章)
ここから四回に分けて。イエスの十字架上での出来事を、マルコの福音書にそって読んでいきたいと思います。
福音書の記載は、まことにリアルで実証的であるので感心します。
このような嘘は書けないというのがわたしの感想です。
二回に分けまして、本稿では、イエスが十字架を背負いゴルゴダに引かれていくところから十字架につけられたところまでをまとめてみました。
聖書箇所は、マルコの福音書15章21節から26節です。
共観福音書の並行箇所は、マタイの福音書27章32節から44節、ルカの福音書23章26節から43節です。
マルコの福音書15章
●21節.そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。
当時犯罪人は、処刑場であるゴルゴダの丘まで自分が架けられる十字架を自分で担いでいくようになっていました。
イエスも十字架を背負わされましたが、体力が衰えていたのでその重さに耐えきれず倒れてしまいました。
ユダヤ人議会で役人にこぶしで殴られ、先ほどはむち打ちを受けられました。十字架を背負うどころか、ひとりで歩くことさえ困難だったと思われます。
そこで、兵士は仕方なく、シモンというクレネ人に、その十字架を無理やり背負わせました。
彼は、使徒言行録第13章に登場するシメオンと同一人物といわれており、後にクリスチャンになったと言われています。
●22節.そして、イエスをゴルゴタという所―その意味は、「されこうべの場所」―に連れて行った。
この「ゴルゴタ」という語は、ヘブライ語では「頭蓋骨」を意味する語に相当するアラム語だということです。
ゴルゴタがどこかは確実なところ分かっていないということです。
新約聖書の伝承によれば、処刑場ですから、それは少なくともエルサレム城壁の外にあり(ヨハネの福音書第19章20節、ヘブライ人への手紙第13章12節)、人通りの多い街道沿いの(マルコの福音書第15章29節)小高い丘(マルコの福音書第15章40節)であると推測されます。
十字架刑は見せしめの刑ですから、多くの人に見せるために街道沿いの小高い場所が選ばれたのでしょう。
これがされこうべの場所と言われている理由は、2つあるそうです。
一つは、多くの者が十字架の上で殺されて、死体がそこら辺に放置されていたので、されこうべがたくさんあった、という見方。
もう一つは、崖の輪郭をみると、されこうべの形をしているので、ゴルゴダと呼ばれるようになった、という見方です。
場所ですが、四世紀になって、キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝が、場所を調査して特定したそうです。
そこにゴルゴタ教会とアナスタシス(復活)教会を建てたということです。
それが現在の聖墳墓教会だということです。
そこがゴルゴタの地であることは、現在ほぼ確実なこととして受け入れられていますが、別の説もあるということです。
●23節.没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。
イエスが、処刑地のゴルゴタに到着したとき、苦痛をやわらげるために、麻酔性のある香料を混ぜたぶどう酒がさしだされました。
誰がこのぶどう酒をイエスに飲ませようとしたのかは記載されていませんが、それはローマ兵ではなく、弟子達も逃げてしまってそこにはいなかったと思われますので、エルサレムからイエスについてきた夫人たちではないでしょうか。ところが、イエスはこの苦痛をやわらげるぶどう酒を飲まれなかったのです。
それは、これから起こる出来事は、神によって定められた、人類の罪を贖うために人類に代わり罪を負うのですから、その苦しみと痛みは真正面から受容することが必要であり、十字架の目的であったからではないでしょうか。
●24節.兵士たちはイエスを十字架につけて、その服を分け合った、誰が何を取るかをくじで引き決めてから。
ローマの兵卒たちは、いよいよイエスを十字架にかけるという残酷な任務を遂行します。
イエスを裸にし、十字架に乗せます、地上に置いた横木にイエスの腕を伸ばし釘づけにします。
その横木を、すでに地に埋め込んで立ててある縦木に沿って引き上げ、上の方で固定します。
イエスの足は縦木に釘づけされて、体は十字の形をした木に、両腕を広げた姿で吊り下げられることになります。
死ぬまでそのままの状態で放置されます。
十字架につけられると体の重みで関節が外れるので、強烈な痛みが走ります。
そして、体を支えることができなくなり、呼吸困難に陥り、最後は窒息死で死にます。通常死亡に至るまで二・三日かかるそうです。
この様子が詩編22篇やイザヤ書53章に詳しく記されて、預言されています。
福音書記者は、感情に訴える残酷な光景の描写はいっさいしないで、イエスが十字架につけられた事実だけを「十字架につけた」という一語で語ります。
もし作文なら読者の気持を引き付けるためにもっと残酷に丁寧に書くと思うのですがいかがでしょうか。
囚人の衣服を刑吏が取るのはローマの習慣であったということです。
しかし、マルコは明らかにここで聖書預言の成就を見ています。
彼は兵卒の行為をほとんど旧約聖書詩編22編19節「わたしの着物を分け衣を取ろうとしてくじを引く」をそのまま用いて描いています。
事実を事実としてその事実を表現するのに、旧約聖書の預言の言葉をもちいているのです。
●25節.イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。
イエスが十字架にかけられた時間は、マルコの福音書とヨハネの福音書に違いがあります。
ヨハネの福音書第19章14節によると、ピラトの法廷で十字架刑の判決が出たのは正午ごろであったから、十字架につけられた時刻は正午よりも後になります。
そうすると、共観福音書が午前9時とするのと、正午すぎとするヨハネ福音書との食い違いが生じます。
イエスが絶命されたのは、マルコの福音書では午後3時ごろとなっています(34節)。
ヨハネの福音書は時刻を明示していませんが、夕暮れになる前であることは確かでありますので、それほど違いません。
イエスが絶命されるまでの時間は、共観福音書では6時間ほどになるのですが、それはピラトが驚くほどの短時間であったということですから、ヨハネの福音書では、それよりもさらに短い時間で絶命されたことになります。
この違いはなぜ生じたのかは分かりません。
福音書ができるまでに十字架以降三十年を要していますから、その間に確かなところはわからなくなってしまったのでしょうか。
どちらにしても、違っているから逆に記事の信ぴょう性があるということになります。作り話であれば、完全に一致させるはずです。
●26節.罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。
処刑される犯罪人の頭より上の方の縦木に罪状札が打ちつけられます。
この罪状書きは、ローマの法制によれば、当時十字架刑はローマに対する反逆者にのみ許されていた処刑方法なので、そのことを公示するものであったということです。
イエスが当時パレスチナを支配していたローマ帝国によって反逆罪で十字架刑に処せられたことは、イエスの生涯の中で最も確かな史的事実であります。この罪状書きは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシャ語の三つの言語で書かれていました(ヨハネによる福音書第19章20節)。
ヘブライ語は神の選民ユダヤ人の宗教言語、ラテン語は世界の政治的支配者であるローマ人の公用語、ギリシャ語は当時の文化世界の共通語であるということなので、イエスの死は、まさにこの三つ言語が表す三つの世界が重なるところで起こった出来事であるということでしょう。
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