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2018年5月18日 (金)

墓に葬られる(マルコ15章)

聖書箇所は、マルコの福音書第15章42節から47節です。

共観福音書の並行個所は、マタイの福音書第27章57節から61節/ルカの福音書第23章50節から56節です。

●42節.既に夕方になった。その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので、

当時のイスラエルでは日の出とともに一日が始まり、日没とともに一日が終わるということですから、「既に夕方になった。」の夕方は、日没前の夕方を指すのだと思います。

イエスが十字架にかけられたのは安息日の前日です。

安息日には遺体を十字架から降ろして埋葬することは労働ですから禁じられています。

「夕方になった」ということは、安息日は日没とともに始まりますから、一刻も早くイエスの遺体を埋葬する必要があるために処刑を急いだと思います。

それに、死体を木にかけたまま夜を過ごしてはならない、という律法(申命記21・22~23)の定めもあります。

それらの事情が「その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので」というように説明されています。

イエスは安息日の前日「準備の日」に十字架にかけられました。

何を準備するかといいますと、安息日または祭(過越祭)を祝うための食物や衣服や器具類を準備する日ということでしょう。

なお、マルコの福音書もヨハネの福音書もイエスの十字架刑の日が「安息日の前日」(すなわち金曜日、マルコの福音書15章42節、ヨハネの福音書19章31節)であったことは一致しています。

●43節.アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。この人も神の国を待ち望んでいたのである。

このヨセフは「アリマタヤ出身の身分の高い議員」でした。

身分の高いというのを調べてみると、ヨセフが最高法院を構成する三つの出身階層(祭司長、長老、律法学者)のうちの長老階層に属する者ではないかということです。

「長老」というのは、各地方で名声が高く人望もある貴族階級の家柄の出身者で、地域代表というような資格の議員であるということです。

いわゆる地元の名士と言われるような人でしょうか。

祭司長や律法学者たちは神学議論を重視する人たちですが、そういう神学議論にあまりこだわらない長老もいたようで、その中にはイエスの言葉とかしるしに感動して、ひそかにイエスに同調する者もいたのではないでしょうか。

マタイの福音書第27章57節とヨハネの福音書第19章38節には、このヨセフはイエスの弟子であったと書いています。

長老ヨセフもイエスを十字架に追い込んだ最高法院の議員のひとりですから、立場上自分がイエスの弟子であると公に言い表すことはできないが、ひそかにイエスの言葉を信じていたということでしょう。

●44節.ピラトは、イエスがもう死んでしまったのかと不思議に思い、百人隊長を呼び寄せて、既に死んだかどうかを尋ねた。

ヨセフがピラトに願い出たのは日没前ですが、時間はわかりません。

朝の九時に十字架につけられたイエスが、短時間で死んだことにピラトは不審に思ったのでしょう。

ヨハネの福音書は、イエスが十字架のつけられたのは正午過ぎですから、もっと短い時間でイエスが死んだことになります。

ヨハネの福音書の方がマルコの福音書より後で書かれていますから、ヨハネが自分の記憶が正しい、そちらが間違っていると主張しているのでしょう。

どちらの時間が正しいのかは分かりませんが、わたしはヨハネが正しいと思っています。

十字架にかけられて死ぬときは、通常途中で昏睡状態になり、たいてい二・三日を要するということです。

死ぬまで二・三日を要するので、イエスと同時に十字架のかけられた二人の犯罪人は、(窒息死させて)死を早めるために足のすねを折られています(ヨハネの福音書第19章32節)。

ところが、イエスの場合は、すでに死んでおられたので、その必要がなかった(ヨハネの福音書第19章33節)から足のすねは折られていません。

●45節.そして、百人隊長に確かめたうえ、遺体をヨセフに下げ渡した。

ピラトは死刑執行の責任者であり立会人である百卒長を呼んで、イエスの死を確認した上、「遺体をヨセフに下げ渡した」。

こうして、イエスの死がローマ側によって公式に確認されたことになります。

同時にこれは、イエスは仮死状態で十字架から下ろされ、その後で息を吹き返したというイエスの復活を否定する見方を退けることになります。

●46節.ヨセフは亜麻布を買い、イエスを十字架から降ろしてその布で巻き、岩を掘って作った墓の中に納め、墓の入り口には石を転がしておいた。

ヨセフは日没前に、つまり、安息日が始まる前にイエスを墓に納めなければならなかった。

遺体を墓に納めるには、亜麻布を買い、遺体を十字架から降ろし、亜麻布で遺体を巻き、墓に納め,墓の入り口に石をころがして誰も入れないようにしなければならない。

ヨセフは、一連の作業を日没前にしてイエスを墓に葬りました。

こうして、イエスは当時金持ちしか持てなかった墓に葬られました。

イザヤ書53章9節にあるように、「彼は富む者とともに葬られた。」という預言が成就したのです。
 
ここで各福音書の並行箇所を見てみたいと思います。

マタイの福音書は、ヨセフがイエスを墓に埋葬しましたが、その墓が誰のものかは書いていません。

マルコの福音書には「岩に掘ってあった墓」と書いてあるだけで、誰の墓であるか、墓の場所はどこかなど、詳しいことは何も書いていません。

ヨハネの福音書(19章41節から42節)は、「イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。

その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた」と説明しています。

マルコ同様、それが誰の墓であるかは書いていなくて、その日が準備の日であって、日没までに急いで葬らなければならず、ただその墓が近かったので、そこに葬ったとしています。

ヨセフが墓の準備をしてイエスを埋葬したので、イエスが葬られた墓はヨセフの墓のように思いますが、解説では、ヨセフは、アリマタヤの人で、アリマタヤはエルサレムから北西へ四〇キロも離れていてヨセフがエルサレムに墓を持っていたとは考えにくいと書かれていました。

わたしにはよくわかりませんが、ただ、マルコ以外の福音書がみな、その墓が「まだ誰も葬むられたことのない新しい墓」であることを強調しています。

それは、イエスが復活された後の墓が空であったことをイエス復活の証拠として明確にすることになります。

もし、イエスが葬られた墓が既に誰かが埋葬されているような古い墓であれば、先に葬られた者の遺体とか遺骨が残っているので、先に葬られた人の遺体とか遺骨がイエスのものでないことを証明する必要があります。

それができなければイエスの復活が曖昧になってしまいます。

したがって、墓が空で、誰も葬られたことのない墓という証言は非常に重要な証言だと思います。

ヨハネの福音書第19章39節から40節には、「ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ」としています。

ヨセフが「ユダヤ人の埋葬の習慣に従って」イエスを埋葬したのであれば、当時のユダヤ教の定めでは、処刑された者は通常の埋葬は許されず、犯罪者墓地で行われなければならなかったのですから、イエスの埋葬は異例のことであったと思います。

そのような埋葬ができたのは、イエスの遺体をヨセフという有力者が引き取ったからだと思われます。」

しかし、このヨセフという議員は、人の目をも気にしないでこのようなことができるのですから、相当しっかりとイエスの教えを信じていた人なのでしょう。

●47節.マグダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエスの遺体を納めた場所を見つめていた。

イエスに最後までついてきて、十字架の死を見守った女性たちの中の二人が、「イエスの遺体を納めた場所を見つめていた。」ということは、同時にイエスの遺体が葬られた場所を確認したことになります。

日曜日の朝に墓が空であることが分かったのですが、その墓が間違いなくイエスを葬った墓であることを、こうして二人の証人が証言していることになります。

なお、イエスの遺体を埋葬した時の様子がヨハネの福音書に書かれています。

ヨセフの手によって十字架から下ろされたイエスは、「そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。」(ヨハネの福音書第19章39節)。

同40節「彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。」

なお、没薬と沈香は防腐剤にも用いられたそうですが、香料として最高の価値を持つということです。

そのまま比べることはできませんが、没薬と沈香を混ぜ合わせたもの100斤(100リラ、32kg)は、今日の価値に換算すると、中級品でも5000万円、少なく見積もっても2000万円になるということです。

すごいですね普通では考えられません。

埋葬方法は、没薬と沈香を混ぜた粉末状の香料を、亜麻布の間に振りかけて、イエスの遺体に、亜麻布を包帯のようにぐるぐる巻いていたのでしょう。

これは当時のイスラエルの埋葬の仕方だということです。

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