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2018年5月23日 (水)

マグダラのマリアに現れる(マルコ16章)

聖書箇所は、マルコの福音書第16章9節から11節です。

共観福音書の並行個所はマタイの福音書第28章9節から10節です。

●9節.イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された。このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である。

ここでは復活したイエスのことが語られています。

それに、前節までは複数の女性の体験でしたが、ここではマグダラのマリアだけです。

こうして、マリアを別に取り上げているのは、復活されたイエスの顕現に最初に接したのは、マグダラのマリアであることを表しているのでしょう。

このことは、初期のキリスト共同体の中で広く流布していた伝承であったのでしょう。

ところが、マタイの福音書は28章9節では、「すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。」とあるように複数の婦人たちとしています。

しかし、ヨハネの福音書は、最初の顕現はマグダラのマリアとしています(ヨハネの福音書第20章14節から17節)。

このように、少し食い違いがありますが、福音書著者を含めて男の弟子たちはこの場にいなかったのは確かで、後から婦人たちにその時の様子を聞いたことでしょう。

その話が各共同体の中で伝承されるうちに最初に復活したイエスに出会った女性が誰であるかが違ってきたのかも知れません。

●10節.マリアは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいるところへ行って、このことを知らせた。

マグダラのマリアは、復活し、顕現されたイエスに出会ったことを弟子たちに伝えたのですが、11節にあるように、男の弟子たちはにわかには信じなかったのです。

それでは、泣き悲しんでいる「イエスと一緒にいた人々」とは誰でしょうか。11節で彼らとなっていますから、おそらく男の弟子たちのことでしょう。

イエスを十字架で失って悲しんでいるということでしょう。

その場にマグダラのマリアが、数人のガリラヤの女性とイエスの十字架刑と埋葬の現場を見届けた結果を男の弟子たちに報告したのです。

以上のことから、復活されたイエスが最初に顕現したのは、マリアであるとすることに矛盾はないと思います。

なお、マグダラのマリアが最初に復活のイエスであったとするのが、一般的であったと思うのですが、ルカの福音書ではマリアの名前も出てきません。

逆に、最初に顕現に接したのはペトロであるという伝承が有力になっているようです。

後になって、イエス復活の最初の証人は、ペトロだとするようになるのは、ペトロが弟子達の筆頭とすることと関係があるのかもしれません。

それに、ユダヤ教では女性に証人として資格が認められていなかったという事情があるのでしょうか。

古代教会の中においても男性優位の風潮が強かったのでしょう。

解説によると、女性の聖職を認めない正統派がペトロの首位性を擁護するために、マグダラのマリア伝承を抑圧したという事情もあったといわれています。

マリアがマグダラの売春婦であったという伝承の流布も、マリアの権威をおとしめるための正統派の策謀であるとする見方もあるそうです。

そうすると、マグダラのマリアは、本当は売春婦ではなかったのかもしれません。

●11節.しかし彼らは、イエスが生きておられること、そしてマリアがそのイエスを見たことを聞いても、信じなかった。

泣き悲しんでいる「イエスと一緒にいた人々」である男の弟子たちは、マリアが復活のイエスに出会った報告を最初のうちは信じませんでした。

この後、エマオに向かって歩いている二人の弟子(イエスが直接選ばれた十二人の弟子からイエスを裏切ったユダを除いた十一人以外の)にもイエスは顕現されたのですが、その弟子の報告も十一人の弟子は信じませんでした(マルコの福音書第16章13節)。

イエスと寝食を共にして教えを受け、復活の告知を受けていた弟子たちでさえ、このようにかたくななのです。

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