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2018年5月15日 (火)

兵士から侮辱される(マルコ15章)

聖書箇所は、マルコの福音書第15章15節から20節です。

共観福音書の並行個所は、マタイの福音書27章27節から31節です。

マルコ福音書では、出来事の順序として、十字架刑の判決があり、続いて鞭打ちが行なわれ、それから官邸内(中庭)でローマ兵たちによる侮辱行為が行なわれました。

これらは実際にあった出来事でしょう。

十字架刑の前には事実鞭打ちがあったそうです。

鞭打ちは公衆の目の前で見せしめのために行なわれましたから、判決が出された直後に官邸を囲む城門に至る階段の下にいる群衆からも見える場所で実施されたと思います。

●15節.ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。

「引き渡した。」とありますが、これはユダヤ人の手に渡したのではなく、処刑のためにローマ側の役人に引き渡したということでしょう。

調べてみましたら、鞭は長い革紐を束ねたもので、それらの先端あるいはひも全体に鋭い金属やとがった骨などがつけられていたということです。

鞭打ちの回数はきまっていないということです。

だから、鞭の回数は鞭を打つものに任されていて、激しい場合は鞭打ちだけで死ぬこともあったということです。

鞭打ちの刑のあとは、おそらくすぐには立つことができなかったのではないでしょうか。

マルコの福音書では、この城内での鞭打ちの後で、イエスは総督の官邸内(官邸の建物に囲まれた中庭か)に(門から入って)連れて行かれたとあります。

なお、解説書によると、この部隊の兵士は、正規のローマ兵ではなくて、言わば現地召集の「補助軍団」ではないかということです。

兵士たちは、現地召集の補助軍団であったがユダヤ人ではなく、主にカイザリアやサマリアなどローマ化された都市で募集された者たちではないかということです。

●16節.兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。

「部隊の全員を呼び集めた」とありますから、鞭打たれたイエスが連れて行かれたのは、多くの兵隊を収容する場所が必要ですから、建物内部ではなく、建物に囲まれた中庭ではないでしょうか。

●17節.そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、

「イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、」は、まさしくイエスをなぶりものにしています。

兵士たちがイエスに茨の冠をかぶせたのは、解説書では創世記3章18節でアダムが罪を犯したことに対し神は、「土は茨とあざみを生えいでさせる」と言われたところからきているのではということですから、その茨は、人類の初めであるアダムが犯した罪の結果ですから、イエスはわたしたちすべての人間の罪を背負っていることになります。

●18節.「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼し始めた。

部隊の兵士は「「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼し始めた。」とイエスを侮辱しますが、兵士は異邦人(ユダヤ人ではない)ですからイエス個人に恨みはないはずです。

もし、ユダヤ人がそのように言えばイエスに対する侮辱になりますが、この侮辱は犯罪者としてのイエス個人に対するものではないと思います。

「ユダヤ人の王」として嘲笑ですから、つまり、ローマ帝国に反抗するユダヤの王という名目で処刑される者への侮辱ですから、それは反ローマ感情を抱くユダヤ人全体に向けられる侮辱と嘲笑ではないでしょうか。

もし、イエス個人に対するものならば、それはイエスが民衆の期待するメシアでなかったので、群衆がイエスを侮辱するのはわかりますが、ローマ兵がイエスを侮辱するのはおかしいと思います。

おそらく、イスラエルを侮辱したのではと推測されます。

このような、兵士による十字架前の鞭打ちとか嘲笑は、正式な十字架刑の一貫として行われたのではないでしょうから、規律のない下での出来事であったのではと思うのです。

「紫の外套」を着せたとありますが、紫の外套はヘレニズム時代の王たちだけに許される外套で、高価なものだから兵士が所有できるものではありません。ですから、兵士は自分の赤茶けた肩掛けを王のまとう紫の外套に「見立てて」、これをイエスの裸にまとわせて嘲笑したのではないかということです。

そういう意味で、「葦の棒」も、皇帝の権威を象徴する王笏を真似た物ではないかということです。

これで「ユダヤ人の王」を叩いて愚弄したのです。

その上で、念入りにひざまずいて拝んだりしているのは、ローマの皇帝崇拝のまねごとでしょう。

「茨の冠」とあるのは、ナツメヤシの鋭い葉を集めて編んだものではないか、という説があります。

非常に細かい描写は、事実その通りにあったことを表しています。

●19節.また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。

兵卒たちは王杖に見立ててイエスの手に握らせた「葦の棒」を取り返して、イエスの頭を叩き、唾を吐きかけます。

このような侮辱に黙って耐えておられるイエスの姿を記録した聖書著者(あるいは聖書を生んだ共同体)は、おそらく、旧約聖書イザヤ書第50章5節から6節(主の僕)の預言の成就を見ていたのではないでしょうか。

●20節.このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。

散々イエスをなぶりものにした兵士たちは、処刑地に向かって官邸から茨の冠をつけたまま、額から血を流しているイエスを十字架につけるために外に引き出します。

イエスは、「ユダヤ人の王」と書いた罪状札を首に吊るされ、自分がつけられる十字架の横木を背負って歩かされます。

百卒長が指揮するローマ軍団の一隊が警備の任にあたります。

聖書では男の弟子はこの場にはいなかったようです。

たとえ、その場にいても警戒が厳重で近づけなかったでしょう。

ただし、ヨハネの福音書によれば、ヨハネは年も若く警戒の目から逃れることができたのか、この場にいたと思います。

婦人に対しては余り厳重には警戒されていなかったでしょうから、ルカの福音書第23章27節から31節のようにイエスが婦人たちに語りかけているのは分かります。

もちろん、この婦人たちと言うのは、イエスのガリラヤからイエスに付き添ってエルサレムに来た信者で、身の周りの世話をしていた人たちでしょう。

次にマタイの福音書を見てみます。

マタイの福音書はマルコの福音書を踏まえて書いていますから、同じ個所でも分かりやすく丁寧に書かれています。

マタイの福音書の描写に順番は、兵士たちがイエスの着ている服をはぎ取り、赤い外套を着せ、茨で冠を編んで頭に載せ、右手に足の棒をもたせると言うように細かく描写しています。

そして、イエスの前に跪き「ユダヤ人の王、万歳」といって侮辱しました。

また、唾を吐きかけ、足の棒を取り上げて頭をたたき続けました。

マルコの福音書とすこし順序が違います。マルコの福音書の 「紫の服」は、マタイの福音書ではローマ兵の「赤茶けた」肩掛けの色を現わす「赤の外套」に訂正され、葦の棒が王権を象徴する王笏であることをはっきりさせるために、これをイエスの「右の手」に握らせています。丁寧に描写されています。

ルカの福音書では、イエスに対する愚弄の記事は23章6節から12節にでていますが、その内容も出来事の順序もほかの三つの福音書とは全くと言えるほど違っています。

ルカは、ヘロデのことを含む自分だけの伝承資料を持っていたのでしょう。

ヘロデのことが事実かどうかという問題があるのですが、当時ヘロデには正式な裁判権はありませんでしたからいかがでしょうか。

ピラトとヘロデが、互いにイエス処刑の責任を負わないように、責任のなすり合いを図ったこととか、ヘロデがイエスに並々ならない関心をもっていたというのはありえると思います(ルカの福音書第9章7節から9節) 。

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