最も重要な掟(マルコ12章)
聖書箇所は、マルコの福音書12章28節から34節です。
共観福音書の並行個所は、マタイの福音書22章34節から40節、ルカの福音書10章25節から28節です。
●28節.彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」
マタイの福音書の並行個所22章35節に「・・律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。」とありますから律法学者らの質問の動機はそういうことなのでしょう。
「イエスが立派にお答えになった」というのは、18節からの「復活についての問答」でのイエスの答え方を指していて、この律法学者はイエスの聖書理解に感心してるのでしょう。
それで、律法学者は日頃自分が思っている疑問に、イエスならばどう答えるのかと真面目に尋ねたと思われます。
「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」は、律法の規定はどれも神から与えられた戒めですから大切で、軽重の差はなく、厳格に守られなければならないものですが、モーセ律法の条項は613もあり、それ以外に、律法学者たちは、時代の変化に対応して蓄積してきた律法の解釈や守り方の細則が、「昔の人の言伝え」(ハラカ)としてあり、モーセ律法と同じ権威を認めていたということですから、両方合わせると律法の数は膨大なものになりますので、こういう質問になったのでしょう。
当時律法学者の中で、膨大な数の律法の中で最も重要な律法は何かが争われていたのではないでしょうか。
すなわち「第一の戒め」の問題が関心を集め、議論されるようになっていたのでしょう。
当時のユダヤ教で最も重要で基本的な戒めであると認められていたのは、申命記6章4から5節の「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」という戒めだとのことです。
その後6章4から9節、申命記11章13から21節、民数記15章37から41節が加えられて、ユダヤ教徒の成人男子はすくなくとも毎日朝と夕べの二回は唱えなければならないとされていたそうです。
●29節.イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。
●30節.心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
これが第一の戒めであることについては、どのユダヤ教の律法学者からも異論はないはずです。
●31節.第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」
ユダヤ教の律法学者らとイエスの教えの違うところは、この31節の第二の戒め「隣人を自分のように愛しなさい」だと思います。
イエスはマタイの並行個所22章39節で、「第二もこれと同じように重要である。」とありますから、二つの戒めを一体としておられるのでしょう。
「隣の人を自分のように愛しなさい」というのは、レビ記19章18節にもありますが、真の愛は、人間ひとりとひとりの人格的な交わりから生まれるものですから、基本的な考え方は、相手の人格を大切にして、人間関係を大切にする事だと思います。
「自分のように」ですから、見返りを求めないで、無条件で愛しなさいということでしょう。
●32節.律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。
●33節.そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」
32節を読めば、彼らは二つの戒めに同意しています。
その戒めが「どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」ですから、すべての祭儀にまさって神が求めておられる重要なことであると言っているのでしょう。
マタイの福音書にはこのような律法学者らのイエスの答えに対する同意の個所はありませんが、マタイはユダヤ人あてに書いていますから入れたくなかったのでしょうか。
●34節.イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。
ただし、「遠くない」ということですから、近いがまだ足りないと言うことになります。
それでは何が足りないのか。
イエスはルカの福音書の並行個所10章28節で「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる」と言われていますから、行いが足りないのです。
この足りない一歩を満たすのは実に難しいものです。
だから、「もはや、あえて質問する者はなかった」のです。
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