終末の徴(マルコ13章)
聖書個所はマルコの福音書13章3節から13節です。
共観福音書の並行個所は、マタイの福音書24章3節から14節、ルカの福音書21章7節から19節です。
このマルコの福音書13章は、内容も用語も当時のユダヤ教黙示文学によく似ているので、「マルコの小黙示録」と呼ばれています。
●3節.イエスがオリーブ山で神殿の方を向いて座っておられると、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかに尋ねた。
神殿の崩壊とエルサレムの崩壊を預言されたイエスは、オリーブ山で神殿を見つめながら弟子たちに最後の教えをされます(3節)。
神殿を見つめながら語られるイエスの心の中はいかほどであったでしょう。
「ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが密かに尋ね」ます(3節)。
それに対するイエスの応えは5節以降です。
5節のその言葉はこの四人の弟子たちに語られたことになっていますが、その内容から推測すると、決してこの四人の弟子たちだけに語られたのではなく、わたしたちを含むイエスを信じるすべての者に向けて語られたものと思います。
なぜそのように思うかは、マルコの福音書13章37節「あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」というイエスの言葉があるからです。
●4節.「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、そのことがすべて実現するときには、どんな徴があるのですか。」
弟子たちはイエスに、恐る恐る尋ねたのでしょう。
なぜならば、ユダヤ人にとってエルサレム神殿の崩壊は、世の終りを意味するからです。
神殿が崩壊する時、「この世」は終り、黙示録が描いていたように、宇宙的破局を経て「来るべき世」が来るのです。
弟子たちは、そのような恐るべきことが「いつ起こるのか」ということと同時に、「どのような前兆があるのか」と尋ねます。
●5節.イエスは話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。
弟子たちの問いに応える形で、イエスは終末に関する教えを語り始められます。ここで語られていることは、十字架を前にしてのイエスの遺訓と考えます。
したがって、現在に生きるわれわれに語りかけておられるものとして真剣に聞かなければならないと思います。
●6節.わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。
ここでこの13章がどのような意味をもっているのかを、福音書が書かれた時代の状況から推測してみたいと思います。
マルコの福音書が書かれたのは、エルサレム神殿がローマの軍勢によって破壊された紀元七十年前後ではと考えられています。
エルサレム崩壊の前か後かははっきりしません。
ですからこの時代のパレスチナは、ユダヤ戦争の戦場であり騒然とした状況であったでしょう。
この戦争は、神に選ばれ神の下に生きる民が、ローマの支配を打ち破って、政治的独立を達成しなければならないとする「ゼーロータイ」(熱心党)の運動が全国民を巻き込んで引き起こしたローマに対する全面戦争であったということです。
戦争の発端を調べてみると、当時のユダヤ人歴史家ヨセフスによると、66年にカイサリアで起こったユダヤ人会堂をめぐるささいな事件から始まり、それがローマ総督フロルスの介入を招き、多くのユダヤ人が虐殺されるに至った。
これが全面的なユダヤ戦争の発端となったということです。
ユダヤ戦争は紀元67年に始まり70年のエルサレム崩壊で終わります。
なお、当時は飢饉や地震などの災害が多く(使徒言行録11章28節)、パレスチナもこの飢饉で悲惨な状況にあったと思います。
イエスの弟子たちもさることながら、当時の人たちは旧約の預言書やユダヤ教の黙示文書を熱心に読んでいたでしょうから、このような社会の混乱、つまり、偽メシアによる宗教的動揺、内乱や戦争とか飢饉や地震などの自然災害の多い時期に遭遇して、おそらく、時代の状況が旧約聖書の預言書とか黙示録の預言どおりになっていると感じ、いよいよその日が迫っていると考えていたと思います。
もちろん、その日というのは、終わりの日、つまり、「人の子が現われる日」で、神による終末の裁きの日です。
●7節.戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。
ここでは、「・・慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。」と戒めています。
そう、このような出来事は起こるにきまっているが、「戦争の騒ぎや戦争のうわさ」を聞いてそのことを前兆としてただちに終りの日に結びつけることはしてはいけない、と言っているのです。
●8節.民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである。
「産みの苦しみ」というのは黙示録の用語で、終わりの日が到来し、新しい世界をもたらすメシアが到来する前に神の民や世界が体験する苦悩のことでしょう(黙示録12章2節)。
世の騒乱や災害はその「産みの苦しみ」であるが、そのようなことがあってもその日が直ちに来るのではなく、始まりで、世界はこれから「産みの苦しみ」の時期に入るのだ、と言っているのでしょう。
●9節.あなたがたは自分のことに気をつけていなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で打ちたたかれる。また、わたしのために総督や王の前に立たされて、証しをすることになる。
●10節.しかし、まず、福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。
「あなたがたは・・彼らに証をすることになる」というのは、地方法院と会堂というのはユダヤ教の組織の用語であり、総督と王はローマの支配体制の役職ですからローマの支配を指しています。
したがってこの節は、イエスを信じる者がユダヤ教とローマ支配権力の両方から迫害されることを語っていることになります。
ここの「地方法院」は複数形と言うことですから、小事件を扱う地方の裁判所のようなところを指すのでしょう。
「ユダヤ教会堂」は地域の宗教生活の中心で、裁判権も持っており、律法に違反する者や異端の疑いのある者は会堂で裁かれ、鞭打ちなどの刑を受けました。
「総督」は属州のローマ総督を指し、「王」はヘロデ・アンティパスのようなローマの威光で地方の支配権を与えられている王を指します。
イエスご自身もユダヤ教の最高法院で裁かれ、ローマ総督の法廷で死刑を宣告されましたが、終りの時に臨む信徒たちも、ユダヤ教側からは神の律法を冒涜する者として、ローマの支配体制からは反乱の危険のある者として、法廷に「連れて行って引き渡される」であろうと言っているのでしょう。
9節にあるように、イエスが「証しをすることになる」場所が、ご自分がキリストであるということが真理であると身をもって証言する場所となるのです。
イエスご自身に起こったことが、イエスが去ったあとイエスに従う者にも同じことが起こることを予告して弟子たちを励まされたのでしょう。
●11節.引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと取り越し苦労をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。実は、話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。
そしてイエスは弟子たちに、あなた方が「引き渡されて連れていかれるとき、何を言おうかと、取り越し苦労をしてはならない。」と言われます。
さらに、「そのときには、教えられることを話せばよい。」と言われえます。
そして、その時に何を言おうかを教えて下さるのは、イエスの代わりに来られる聖霊です。
もちろん、この福音書が書かれている頃には、もう、地上にはイエスおられないで、イエスの代わりにこの世に送られた聖霊は活発に働かれています。
ですから、そのことを現実に体験した上でこの福音書の著者は書いているのです。
なお、この箇所はマルコとルカで用い方が違いますが、それは、マルコはユダヤ戦争の真っただ中、ルカはユダヤ戦争が終わって数十年後、すなわち、ユダヤ戦争は過去のことになっている時代に書かれたのですから、当然です。
●12節.兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。
さて、いよいよ最後の節ですが、ここに書かれているような人間関係の破壊は、黙示思想によく書かれている状況です。
たとえば、イエスも「自分の家族の者が敵となる」と言っておられます(マタイの福音書10章34節から37節)。
●13節.また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」
あなたがたは「わたしの名のために、・・すべての人に憎まれる」ことになる。
しかし、このような現象は必ず起こるものであるが、その様な現象が起こっても直ちに終りの日の前兆としてとらえないで、終わりまで耐え忍びなさい。
そうすれば救われると言われています。
わざわざこういう文書をイエスの言葉として福音書に挿入したのは、背景には、信者たちが現実に起こっている現象を終わりの日の裁きの時が近いあかしだとして、つまり、イエスの再臨が近いとする切羽詰まった雰囲気が共同体の背景にあったと思います。
それは、そのような現象を前兆として直ちに終りの日の到来に結びつける態度を戒めるためであったと思います。
追い詰められたキリスト共同体の人々の切羽詰まった気持ちが伝わってきます。
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