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2018年4月の記事

2018年4月28日 (土)

過越しの食事をする

聖書箇所は、マルコの福音書14章12節から22節です。

共観福音書の並行個所は、マタイの福音書26章17節から25節/ルカの福音書22章7節から14節・21節から23節です。

●12節.除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日、弟子たちがイエスに、「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」と言った。

●13節.そこで、イエスは次のように言って、二人の弟子を使いに出された。「都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。

●14節.その人が入って行く家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をするわたしの部屋はどこか」と言っています。』

●15節.すると、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために準備をしておきなさい。」

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2018年4月27日 (金)

ユダ裏切りを企てる

聖書箇所は、マルコの福音書14章10節・11節です。

共観福音書の並行個所は、マタイの福音書26章14節から16節、ルカの福音書22章3節から6節です。

●10節.十二人の一人イスカリオテのユダは、イエスを引き渡そうとして、祭司長たちのところへ出かけて行った。

●11節.彼らはそれを聞いて喜び、金を与える約束をした。そこでユダは、どうすれば折よくイエスを引き渡せるかとねらっていた。

イエスが、ご自分で選ばれた十二弟子の一人である「イスカリオテのユダ」に裏切られることは、イエスは神の子ですからユダを弟子に選ぶときにご存じであったはずです。

なぜなら、イエスが選ばれたということは父なる神が人類救済のご計画の一環としてユダをイエスの弟子に選ばれたと言うことだと思うからです。

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2018年4月24日 (火)

ベタニアで香油を注がれる

聖書箇所は、マルコの福音書14章3節から9節です。

共観福音書の並行個所は、マタイの福音書26章6節から13節です。

●3節.イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。

イエスはエルサレムに入られてから、夜はベタニアで過ごされました(マルコの福音書11章11節)。

ベタニアの場所を調べてみますと、エルサレムからエリコの方向に約三キロ離れたところにある村です。

その村にはマルタとマリアの姉妹と兄弟ラザロが住んでいました(ヨハネの福音書11章1節)。

したがって、ベタニアはイエスにとって心が落ち着くところで、暖かく迎える支持者が多い村であったのでしょう。
「重い皮膚病の人シモン」のこの「重い皮膚病」とはらい病のことを指していると思います。

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イエスを殺す計略

聖書箇所は、マルコの福音書14章1節から2節です。

共観福音書の並行個所は、マタイの福音書26章1節から5節、ルカの福音書22章1節から2節です。

いよいよこの14章からイエスの「受難物語」が始まります。

イエスの「受難物語」は、イエスの復活と並んで必ず語り伝えられる伝承です。

マルコは、十字架にかけられて、辱められて苦しむイエスの中に栄光のキリストを見ています。

なぜ栄光かと言いますと、それは、イエスの出来事が神の人類救済のご計画の成就であるからです。

イエスの十字架の意味はメシアの秘密でしたが、この受難物語においてその秘密が明らかにされます。

並行個所マタイの福音書の26章1節の「さて、過越祭と除酵祭の二日前になった。祭司長たちや律法学者たちは、なんとか計略を用いてイエスを捕らえて殺そうと考えていた。」。

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2018年4月20日 (金)

主の晩餐(2)

聖書箇所は、マルコの福音書14章22節から26節の23節です。

共観福音書の並行個所は、マタイの福音書26章26節から30節、ルカの福音書22章15節から20節です。

長いので投稿文は二回に分け、この投稿文は二本目です。

●23節「また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。」

ルカの福音書の並行個所では「互いに回して飲みなさい」と言っておられます。そこで問題になるのですが、解説によると、この箇所を直訳すると、

「これを取り、あなたたち自身の間で分配せよ」となるということですから、パンと同じように杯もイエス自身は飲まずに弟子たちだけに飲ませたと解釈できます。

イエスが飲むと、ご自分の血にたとえたブドウ酒をご自分が飲むということになります。

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主の晩餐(1)

聖書箇所は、マルコの福音書14章22節から26節です。

共観福音書の並行個所は、マタイの福音書26章26節から30節、ルカの福音書22章15節から20節です。長いので投稿文は二回に分けます。

この個所は、レオナルド・ダ・ヴィンチ作絵画『最後の晩餐』で有名な個所です。また、クリスチャンにとっても非常に大切な個所だと思います。

マルコの福音書を中心に、一節ずつ読んでいきたいと思いますが、その前に過越祭(除酵祭)について少し書いておきます。

過越祭は、旧約聖書出エジプト記12章にあるように、イスラエル人がエジプトにおいて奴隷として虐げられていたとき、神はみ業を持ってモーセを指導者に選びエジプトから脱出させた出来事を祝うユダヤ教の祭りです。

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2018年4月18日 (水)

いちじくの木の教訓

今回はイエスの神殿の崩壊預言の中の「いちじくの木の教訓」を読みます。

聖書個所はマルコの福音書13章28節から31節です。

共観福音書の並行個所は、マタイの福音書24章32節から35節、ルカの福音書21章29節から33節です。

イエスの終末預言は、「エルサレム神殿崩壊」の予言、「人の子の顕現」の預言をもってクライマックスに達します。

ここではその時に備える心構えを語られます。

パレスチナは冬にも葉を落とさない木が多いということです。

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2018年4月17日 (火)

人の子が来る

この箇所は、イエスの神殿の崩壊預言の中の一つです。

聖書個所はマルコの福音書13章24節から27節です。

共観福音書の並行個所は、マタイの福音書24章29節から31節、ルカの福音書21章25節から28節です。

●24節.「それらの日には、このような苦難の後、/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、

●25節.星は空から落ち、/天体は揺り動かされる。

「それらの日」とは、もちろん終わりの日のキリスト再臨の前にくる「大きな苦難」(マルコの福音書13章14節から23節)のときです。

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2018年4月15日 (日)

大きな苦難を予告する

この箇所は、イエスの神殿の崩壊預言の中の一つです。

聖書箇所は、マルコの福音書13章14節から23節です。

共観福音書の並行個所は、マタイの福音書24章15節から28節、ルカの福音書21章20節から24節です。

●14節.「憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つのを見たら――読者は悟れ――、そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。

福音書は、もちろん、読者を想定して書かれているでしょう。

それでは、このマルコの福音書の読者はどのような状況に生きている人たちでしょうか。

前にも書きましたが、マルコの福音書が書かれた時代は、ユダヤ戦争終結の前後、紀元70年ぐらいとみられています。

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終末の徴

聖書個所はマルコの福音書13章3節から13節です。

共観福音書の並行個所は、マタイの福音書24章3節から14節、ルカの福音書21章7節から19節です。

このマルコの福音書13章は、内容も用語も当時のユダヤ教黙示文学によく似ているので、「マルコの小黙示録」と呼ばれています。

●3節.イエスがオリーブ山で神殿の方を向いて座っておられると、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかに尋ねた。

神殿の崩壊とエルサレムの崩壊を預言されたイエスは、オリーブ山で神殿を見つめながら弟子たちに最後の教えをされます(3節)。

神殿を見つめながら語られるイエスの心の中はいかほどであったでしょう。

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2018年4月10日 (火)

神殿の崩壊を予告する

さていよいよ重要な出来事である共観福音書三つに記載されている「神殿の崩壊を予告する」の個所です。

内容は「神殿の崩壊を予告する」(マルコの福音書13章1節から2節)、「終末の徴」(同13章3節から13節)「大きな苦難を予告する」(同13章14節から23節)「人の子が来る」(同13章24節から27節)「いちじくの木の教え」(同13章28節から31節)そして最後に「目を覚ましていなない」(同13章32節から37節)ですが、長いので投稿文は副題ごとに作成したいと思います。

マルコの福音書に沿って読んでいきたいと思います。

共観福音書の並行個所は、マタイの福音書は24章1節から44節。ルカの福音書21章5節から38節です。
さて、導入部分の「神殿の崩壊を予告する」から始めます。

聖句はマルコの福音書13章1節と2節です。

●1節.イエスが神殿から出て行かれる時、弟子のひとりが言った、「先生、ごらんください。なんという見事な石、なんという立派な建物でしょうか」。

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2018年4月 8日 (日)

目を覚ましていなさい

聖書箇所は、マルコの福音書13章32節から37節です。

共観福音書の並行個所は、マタイの福音書24章36節から44節/ルカの福音書12章39節から40節、17章26節から30節、34節から35節です。

●32節.「その日、その時は、誰も知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。」、

「その日、その時」というのは、終わりの日の裁きの時に、キリストは再び来られる(人の子の顕現)と約束されていますので、その日のことを言っているのでしょう。

「天使たちも子も知らない。」というのは、その日は天使もイエスの知らないのです。父なる神だけがご存じなのです。

イエスは神の子として、「すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。」(マタイの福音書11章27節)と言っておられますが、「その日、その時」はご存じではなかったのでしょう。

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2018年4月 7日 (土)

やもめの献金

聖書箇所は、マルコの福音書12章41節から44節です。

共観福音書の並行個所は、ルカの福音書21章1節から4節です。

この箇所は教会で献金を勧めるときによく取り上げられる聖句です。

●41節.イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。

●42節.ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。

●43節.イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。

●44節.皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」

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2018年4月 6日 (金)

律法学者が非難する

聖書箇所は、マルコの福音書12章38節から40節です。

共観福音書の並行個所は、マタイの福音書23章1節から36節、ルカの福音書20章45節から47節です。

●38節.イエスは教えの中でこう言われた。「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、

「律法学者に気をつけなさい。」というイエスの言葉は、弟子たちに注意を促していると言うよりも、律法学者らの偽善的な行いをたとえにして弟子たちの日頃の行いを注意しておられるのでしょう。

律法学者に対するイエスの厳しい言葉ですが、マルコの福音書の表現はこのようにごく短くて簡潔ですが、並行するマタイの福音書23章では詳しく書かれています。

マタイの福音書が詳しいのは、マタイの福音書はユダヤ人信徒ひいてはイスラエルの人々に書かれているというところに原因があるのでしょう。

「彼らは、長い衣を着て歩き回り・・」の「長い衣」の意味を調べてみると、それは律法学者の身分をあらわす衣で、長くゆるやかにたれているということです。

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2018年4月 5日 (木)

ダビデの子についての問答

聖書箇所は、マルコの福音書12章35節から37節です。

共観福音書の並行個所は、マタイの福音書22章41節から46節、ルカの福音書20章41節から44節です。

35節.イエスは神殿の境内で教えていたとき、こう言われた。「どうして律法学者たちは、『メシアはダビデの子だ』と言うのか。

神殿の境内ですから律法学者らの監視の目が光っている場所でということです。

イエスは律法学者たちが『メシアはダビデの子だ』と言っているのはなぜかとおそらくイエスの教えを聞いていた群衆に問われます。

キリストはヘブル語でメシヤと言いますが、意味は、「油注がれた者」(聖別された者)ということです。

●36節.ダビデ自身が聖霊を受けて言っている。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい。わたしがあなたの敵を/あなたの足もとに屈服させるときまで」と。』

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2018年4月 3日 (火)

復活についての問答

聖書箇所は、マルコの福音書12章18節から27節です。

共観福音書の並行個所は、マタイの福音書22章23節から33節、ルカの福音書20章27節から40節です。

●18節.復活はないと言っているサドカイ派の人々が、イエスのところへ来て尋ねた。

神は終わりの日に死者を復活させるという信仰は、旧約聖書の後期からイエスの時代の直前、黙示文学が盛んであった時代に発展したということです。

ユダヤ教ファリサイ派の律法学者は律法解釈に柔軟でしたから、復活信仰と言う新しい信仰を律法の新しい解釈として受け入れましたが、律法解釈に保守的なサドカイ派は、モーセ五書の本文に書かれていること以外は認めようとしなかったので、この新しい復活信仰を拒否していたということです。

彼らはモーセ五書本文だけが神のみ言葉であると信じていましたので、復活や天使や霊などは信じませんでした。

また、そのことを誇りに思っていたようです。

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最も重要な掟

聖書箇所は、マルコの福音書12章28節から34節です。

共観福音書の並行個所は、マタイの福音書22章34節から40節、ルカの福音書10章25節から28節です。

●28節.彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」

マタイの福音書の並行個所22章35節に「・・律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。」とありますから律法学者らの質問の動機はそういうことなのでしょう。

「イエスが立派にお答えになった」というのは、18節からの「復活についての問答」でのイエスの答え方を指していて、この律法学者はイエスの聖書理解に感心してるのでしょう。

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2018年4月 1日 (日)

「ぶどう園の農夫」のたとえ

聖書箇所は、マルコの福音書12章1節から12節です。

共観福音書の並行個所はルカの福音書20章9節から19節/マタイの福音書21章33節から46節です。

●1節.イエスは、たとえで彼らに話し始められた。「ある人がぶどう園を作り、垣を巡らし、搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。

「たとえで彼らに・・」の彼らとは、12節に「彼らは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを」と書いてあるので、「祭司長たちや律法学者たち」のことでしょう。長老も入るのでしょう。

その彼らはイエスに殺意を抱いている人々です。

イエスはその彼らに彼らもよく知っているイザヤ書5章の「ぶどう畑の歌」を用いてこのたとえ話で彼らのご自分に対する殺意と、その意味を明らかにしょうとしておられるのではないでしょうか。

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権威についての問答

聖書箇所は、マルコの福音書11章27節から33節です。

共観福音書の並行個所は、マタイの福音書21章23節から27節/ルカの福音書20章1節から8節です。

●27節.一行はまたエルサレムに来た。イエスが神殿の境内を歩いておられると、祭司長、律法学者、長老たちがやって来て、

イエスがメシア到来を求める群衆の熱狂的な歓迎を受けてエルサレムに入られて最初になされたことは、マルコの福音書11章15節・16節にあるように暴力的な神殿粛清行為でした。

これにより、祭司長たちや律法学者たちのイエスに対する殺意は一気に高まります。イエスを殺そうとする謀議が進むことになります。

そのような危険な状態にあるのにイエスはあえて神殿に入って行かれます。

イエスはご自分の時が迫っていることをご存じで、覚悟の上でのエルサレム入りであり神殿入りであったのでしょう。

イエスが神殿の境内に入られると、早速、祭司長、律法学者、長老たちがやってきます。

イスラエルの歴史(旧約聖書の歴史)を成就するためにイエスはこの世にやってこられました。

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神殿から商人を追い出す

聖書箇所は、マルコの福音書11章15節から19節です。

共観福音書の並行個所はマタイの福音書21章12節から17節/ルカの福音書19章45節から48節です。

●15節.それから、一行はエルサレムに来た。イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。

ユダヤ教の神殿はイスラエルの象徴です。

神殿の境内では、参拝に来る人々のために犠牲の動物を売っている商人、普通の貨幣を神殿に納めることができる通貨に両替する商人がいて、売買が行われていました。

神殿に入られたイエスは、境内で売り買いする商人を追い出し、両替の台をひっくり返すなど手荒な行動をされました。

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