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2018年2月15日 (木)

洗礼者ヨハネ、殺される(マルコ6章)

聖書箇所は、マルコの福音書第6章14から29節です。

共観福音書の並行個所は、マタイの福音書第14章1から12節/ルカの福音書第9章7から9節です。

●14節.イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。人々は言っていた。「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」

●15節.そのほかにも、「彼はエリヤだ」と言う人もいれば、「昔の預言者のような預言者だ」と言う人もいた。

イエスの名が知れ渡ったというのは、イエスはこの時までに、重い皮膚病の人を癒したり、人にとりついた汚れた霊を追い出したり、嵐を静めたり、死んだ人を生き返らせたりしていましたから、いやがうえにもイエスの人気は盛り上がっていたでしょう。

人々は、そのようなイエスを見て洗礼者ヨハネが蘇ったのだと噂をしていました。

「エリヤ」は旧約聖書の預言者です。

当時のイスラエルは、王と祭司と預言者が民を統治し導いていました。

預言者の中でもエリヤは代表的な預言者でした。

「彼はエリヤだ」ということは、イエスはそのエリヤのように偉大な人物だと言うことでしょう。

ただ、その預言もイエスの時代まで約400年間止んでいました。神は時が満ちるのを待っておられたのでしょう。

●16節.ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と言った。ところが

洗礼者ヨハネを殺したのは当時のガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスであったが、ヘロデの心の中では洗礼者ヨハネはまだ生きていたのでしょう。

ヘロデ・アンティパスは洗礼者ヨハネが民衆に人気があったので、洗礼者ヨハネを殺してからも民衆の動向(暴動などの恐れから)を気にしていたのでしょうか、それとも、洗礼者ヨハネの諫言(マルコの福音書6章18節以降)を気にしていたのでしょうか。わたしは両方だと思うのですが、いかがでしょうか。

ヘロデ・アンティパスはイエスの誕生時にイエスを恐れて二歳以下の子供を皆殺しにしています(マタイの福音書第2章16節)。

それは、当時ユダヤのベツレヘムにメシアが生まれるという預言があったので、ヘロデ・アンティパスはイエスの誕生がその預言の実現だと思ったからそのことを恐れてそのような残酷な行動にでたのだと思うのです。

そういう意味でも、わたしはイエス誕生時の不思議な出来事は事実であったと思うのです。

イエス誕生時に二歳以下の子供を皆殺しにして、幼子イエスを殺してしまおうとしましたが、イエスはエジプトに逃げましたので、殺せませんでした。

そのイエスが目の前にいるのです。

おそらく民衆に人気があるイエスが暴動を起こすかもと恐れていたということもあるでしょうが、やはり、旧約聖書の預言が気になっていたでしょう。

イエスが旧約聖書の預言するメシアならば、自分たちの地位が危うくなります。

権力者は自分の権力が脅かされる事態に敏感で最も恐れます。

イエスの誕生が預言の成就だと信じていた理由には、預言に沿ったイエス誕生時の不思議な出来事もさることながら、イエスがなされる奇跡とかしるしを見てますますそのように確信をもったと思うのです。

●17節.実は、ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。

フィリポは、ヘロデ・アンティパスにとって腹違いの兄弟でした。

その兄弟の妻がヘロディアであったが、ヘロディアはローマにいたフィリポのところに訪れたヘロデ・アンティパスに付いて行って、ガリラヤに来ました。

そして、ヘロデ・アンティパスはヘロディアを妻にしたということです。

ヘロデ・アンティパスが洗礼者ヨハネを牢につないだ理由が、18節で説明されていますが、ヘロデは、洗礼者ヨハネを殺そうするヘロディアの手から彼を守るために、彼を幽閉したということもあると思います。

ヘロデは、洗礼者ヨハネを憎んではいましたが、その聖なる生き方を恐れ、教えにも関心を持っていたと思うからです。

●18節.ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。

洗礼者ヨハネは、ヘロデ・アンティパスにこのように言ったので、ヘロデ・アンティパスは洗礼者ヨハネのことを快く思っていなかった。

●19節.そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。

ヘロデ・アンティパスの妻ヘロディアは、いわゆる悪女です。

洗礼者ヨハネは、預言者エリヤと同じような身なりをして、預言者エリヤと同じように、王をも恐れず王の罪を暴きました。

当時の王女イザベルが王に諫言したエリヤを憎んだように、ここでは王女ヘロディアがヘロデ・アンティパスに諫言したヨハネを憎みました。

ヘロディアは、洗礼者ヨハネを殺そうと思っていたがなかなかできなかった。

その理由が次に書かれています。

●20節.なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。

ヘロデは、ヘロディアとの不道徳な関係を持っていましたが、洗礼者ヨハネの聖なる生き方を恐れ、教えにも関心を持っていました。

●21節.ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと、

●22節.ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。そこで、王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、

●23節.更に、「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。

この娘の踊りは、とても卑猥なものであったそうです。

その踊りを高官や将校、有力者が一緒になって見ていました。昔も今も変わりません。権力者の望むことは同じです。

「そこで、王は少女に、「欲しい物があれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、更に、「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。」

このときのヘロデ王がまさしく酩酊状態です。

本来ならばできもしないことを約束しています。酒に酔い、娘の卑猥な踊りを見て相当ご機嫌が良かったのでしょうか。

●24節.少女が座を外して、母親に、「何を願いましょうか」と言うと、母親は、「洗礼者ヨハネの首を」と言った。

●25節.早速、少女は大急ぎで王のところに行き、「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。

悪女といえる王妃ヘロディアは、洗礼者ヨハネを殺すチャンスだと思いました。

娘は幼いがゆえに母親のいいなりになります。

●26節.王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。
こうして、ヨハネは殺されました。

洗礼者ヨハネの殺される様子が、福音書ではこのように事細かく記されています。

それは、洗礼者ヨハネがイエスの先駆者だったからでしょう。

イエスが宣教を開始される前に、洗礼者ヨハネが開始し、イエスが十字架で死なれる前に洗礼者ヨハネが殺されました。

イエスの先駆者である洗礼者ヨハネが理不尽な理由で殺されたのです。

そう、最後の預言者として殺されたのです。ここに旧約聖書のドラマは終わりを告げます。

●27節.そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、

●28節.盆に載せて持って来て少女に渡し、少女はそれを母親に渡した。

●29節.ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めた。

こうしてみると、洗礼者ヨハネ逮捕の状況については(1章14節)、王妃ヘロディアが洗礼者ヨハネを憎み殺そうとしていたのは事実でしょうが、残虐で狡猾な権力者ヘロデが洗礼者ヨハネを殺すのをためらったのは良心の悩みからではなく、洗礼者ヨハネが民衆に人気があったために民衆の反感を恐れてできなかったというのが実情だと思うのです。

ヘロデは気が小さくて狡猾な性格なのでしょうか。気が小さいから残虐ということもありますからね。

だから、チャンスを狙っていたというのが本当のところだと思います。

宴会の客の前で踊ったのは、ヘロディアの連れ子サロメでした。

宴席の場の余興の褒美に、洗礼者ヨハネの首がお盆に乗せて持ってこられました。

マタイに福音書では、イエスの活動が洗礼者ヨハネの活動と不可分に結びついています。それは、イエスの公生涯は洗礼者ヨハネのバプテスマ運動から始まった(マタイの福音書3章)ことからも明らかです。

イエスは洗礼者ヨハネと同じく神の支配の切迫を告げて、悔い改めを求められたのでした(同4章17節)でした。
そして「イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤへ退かれた」(同4章12節)のです。

「船に乗ってそこを去り、ひとり人里離れたところに退かれ」ました(同14章13節)。

洗礼者ヨハネを処刑したのはガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスですから、イエスは危険を避けるために、このヘロデの勢力圏であるガリラヤから退き、ガリラヤ湖対岸の荒れ野に向かわれたのでしょう。

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