フォト
2025年4月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

カテゴリー

« 「十人のおとめ」のたとえ(マタイ25章) | トップページ | 番兵、報告する(マタイ28章) »

2018年1月 7日 (日)

番兵、墓を見張る(マタイ27章)

今回はマタイの福音書第27章62節から66節を読みます。

この記事はマタイ単独の記事です。

●62節.明くる日、すなわち、準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まって、

●63節.こう言った。「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました。

●64節.ですから、三日目まで墓を見張るように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』などと民衆に言いふらすかもしれません。そうなると、人々は前よりもひどく惑わされることになります。」

●65節.ピラトは言った。「あなたたちには、番兵がいるはずだ。行って、しっかりと見張らせるがよい。」

●66節.そこで、彼らは行って墓の石に封印をし、番兵をおいた。

この記事は、マルコの福音書にもルカの福音書にもヨハネの福音書にもありません。

マルコとルカとヨハネの福音書は、イエスが墓に葬られる記事のあとにこの記事がなく復活の記事になります。

このマタイ独自の記事は、一言で言うと、祭司長たちとファリサイ派の人々がピラトに番兵を置いて墓を見張るように要求したという記事です。

必要があってこの記事が置かれたのでしょうが、その必要を考えてみますと、おそらく、マタイの福音書第28章11節から15節に、弟子たちが遺体を盗んだのだという噂を反対者たちが言いふらしたという記事がありますから、その記事と何か関連があるように思うのです。

節の「明くる日」というのは、イエスが亡くなられたのは「準備の日」(金曜日)の日没が迫る頃でしたから、翌日の安息日(土曜日)ということになります。

しかし、祭司長たちと「ファリサイ派の人たち」がピラトに墓の番兵を置く(イエスの遺体が盗まれないように)ように要求したのですが、それはイエスの復活の予告を知っていたからと思うのです。

では、なぜその人たちは、イエスの身近な弟子でもないのにイエスの復活の予告をっていたのでしょうか。不思議です。

よく考えると、ヨハネの福音書第2章19節に「イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」」というイエスの言葉もあり、弟子たちも噂をしていたでしょうから、一般的に知られていたのかもしれませんね。

その要求に対してピラトは、65節で「あなたたちには、番兵がいるはずだ。行って、しっかりと見張らせるがよい。」と答えています。

しかし、この記事では実際に警備をしたのは、ユダヤ教側の神殿警備の警官かピラト配下のローマ兵か分かりません。

節と66節の流れから見ると、ユダヤ教側の神殿警備の警官だと思われます。

そして、祭司長たちは兵士(警官?)たちと一緒に墓に行って、ヨセフが墓の入り口をふさぐために転がしておいた大きな石に封印をして、番兵に墓を見張らせます(66節)。

封印をしていますから、誰かが石を動かせばすぐにわかります。遺体を盗んでイエスが復活したと見せかけるような誤魔化しはできないということです。

« 「十人のおとめ」のたとえ(マタイ25章) | トップページ | 番兵、報告する(マタイ28章) »

共観福音書を読む」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 番兵、墓を見張る(マタイ27章):

« 「十人のおとめ」のたとえ(マタイ25章) | トップページ | 番兵、報告する(マタイ28章) »