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2018年1月 8日 (月)

番兵、報告する(マタイ28章)

今回はマタイの福音書第28章11節から15節を読みます。

この話はマタイの福音書にのみあります。

●11節.婦人たちが行き着かないうちに、数人の番兵は都に帰り、この出来事をすべて祭司長たちに報告した。

婦人たちは天使に、「イエスは復活されてここにはおられない。ガリラヤでお目にかかれる。」と告げられて、そのことを弟子たちに報告するために帰ってきましたが、「婦人たちが行き着かないうちに、数人の番兵(墓の)は都に帰り、この出来事をすべて祭司長たちに報告した」のです。

●12節.そこで、祭司長たちは長老たちと集まって相談し、兵士たちに多額の金を与えて、

●13節.言った。「『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った』と言いなさい。

「祭司長たちは長老たちと集まって相談し」(12節)、いろいろと対策を講じます。
彼らは兵士たちに多額の金を与えて、「『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った』と言いなさい(12節・13節)と命じます。

●14節.もしこのことが総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにしよう。」

●15節.兵士たちは金を受け取って、教えられたとおりにした。この話は、今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている。

ここでは、もしこのことが総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにしよう」などと相談をしています(14節)。

この文面からすると、やはりイエスが復活するという噂はユダヤ教上層部にも流れていたのでしょう。

そうでないと、墓が空っぽであったという報告だけで、慌てて、金を与えて死体が盗まれたという噂など流す必要はないと思うのです。

それにしても、祭司長たちはあわててイエスの復活を糊塗しょうとしたのですから、ほんとにイエスが復活されたのかどうかを疑っていないのですね。

前にも書きましたが、この番兵が神殿警備の兵士であるのかローマ総督ピラトの配下のローマ兵なのか明確でなかったのですが、どうやら、番兵は神殿警備の兵士であったようです。

なぜなら、11節で番兵の兵士はまず祭祀長立ちのところに報告に行っているからです。

もし、ロ-マ兵ならローマ総督ピラトを無視して祭祀長のところになど行きません。

それに、当時のローマの軍律では警護を委ねられた囚人を逃がした兵士は、自らの命をもって責任を取らされた(使徒言行録12章19節ほか)のですが、この番兵はそういう責任を追求されていませんので、やはり、ユダヤ側の神殿警備の兵士であったのでしょう。

「総督を説得する」というのは、やはり金を与えて嘘の噂を流すことには後ろめたい気持ちもあったのでしょう。

総督が了解するかどうかも不安であったのでしょう。それでも、兵士たちは金をもらって、教えられた通りに嘘の噂話を流しました(15節)。

その結果、この話(弟子たちがイエスの遺体を盗んだという噂)は「今日に至るまで」、すなわちマタイがこの福音書を書いている時まで、「ユダヤ人の間に広まっている」(15節)ことになったということでしょう。

この物語の意義は、マタイがこの福音書を書いた時点で、このような噂が敵対する陣営にあったという報告なのでしょう。

イエスは復活したというキリスト教団の宣教に対して、少なくともユダヤ教会堂側は、復活を否定するためにこのような噂を広めたという事実と、墓が空であったという事実は認めていることを意味していると思います。

十字架の七週間後(ペンテコステ)にはエルサレムでイエス復活の宣教は始まっています。

もし、死体がないというのが嘘ならば、祭祀長たちは(イエスが葬られた墓の場所は知っているはずですから)墓を開いてイエスの遺体を示せばよいし、死体を弟子たちが隠したのならば探し出して、弟子たちのイエス復活の宣教を打ち砕くことができたはずです。

復活が嘘であるならば、その時点で、キリストの教えは、宗教にもならないうちに消えてしまっているはずです。

弟子たちは、墓が空であったからイエスの復活を信じたのではないのです。

空の墓を見た後も弟子たちはまだイエスの十字架の巻き添えを食うのを恐れて隠れていたのです(ヨハネの福音書第20章19節)からね。

弟子たちは復活されたイエスの顕現を体験し、聖霊を受けることによって初めてイエスの復活を信じたのです。
福音の宣教も大胆に、自信を持って述べ伝えることができたのです。

墓が空であったという事実も、イエス復活のしるしとして大胆に宣べ伝えるようになったのです。

この聖霊の働きが大切なところなのでしょう。キリスト教の根幹です。

それに対して、敵対する祭司長たちの陣営では、墓が空であった事実をこのような噂をでっち上げて説明したのです。

同じ事実でも、信じている者にとっては復活のしるしとなり、信じていない者にとっては作りごとになります。

人は立場により同じことでも受け取り方が違います。

同じ真実でも、人は自分に都合良く受け取るものです。

わたしもしっかりと何が真理であるかを見極めて、決して盲信にならないように、キリスト信仰を守っていきたいと思います。

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