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2017年12月23日 (土)

天の国のことを学んだ学者(マタイ13章)

今回はマタイの福音書第13章51~52節 を読みます。

共観福音書の並行個所はありません。マタイ単独の記事です。

●51節.「あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」弟子たちは、「分かりました」と言った

マタイは「たとえ集」をまとめていますが、そのたとえ集の最後にこの「天の国のことを学んだ学者」のたとえ話を置いています。

これまでに語ったたとえ話を前提にイエスは、「あなたがたは、これらのことがみな分かったか」と問われました。
弟子たちは「分かりました」と答えています。

弟子たちはマタイの福音書第13章11節で、「天の国の秘密を悟ることが許されている」とありますから、イエスが語られたたとえの意味を悟って、神の奥義を理解している者とされています。

しかし、わたしの理解では、弟子たちは十字架の後イエスの御霊、聖霊が降臨されるまでは、神の国の奥義を悟ることができなかったというのが前提なのですが、そうすると矛盾します。どういうことでしょうか。

同じ弟子の姿でも、マルコの福音書は、弟子たちの無理解を強調していますから、わたしもそのように理解しています。

ということは、「分かりました」と言った弟子たちですが、真の意味では分かっていなかったと思うのです。

それは、次の52節のユダヤ教律法に通じる学者のように、古い教えにこだわらない弟子たちでしたが、自分たちが教えられている新しい教えが、アブラハムから続く、人類救済の神のみ業の中で、どのような意味を持つのか、という深い意味までこの時は分かっていなかったと思うのです。

●52節.そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」

この箇所の「天の国のことを学んだ学者」の「学者」というのはどのような人たちなのでしょうか。

そして、「・・学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」とはどういうことでしょうか。

当時イスラエルで「学者」というのは、ユダヤ教律法に通じている人たちのことだと思います。

そうすると、ここで言っている学者は、ユダヤ教律法に通じている学者で、イエスの弟子となった律法学者ということになります。

そのような学者は、イエスを受け入れているわけですから、神の御霊、聖霊に導かれて聖書解釈をする人たちと言えます。

そのような学者は、「新しいものと古いもの」を判断し、その関係を理解し、両者を正しく選び分けて提示することができる真の「学者」であると言っているのだと思います。

もちろん、新しいものというのはイエスの教えで、例えば山上の教えなどであり、古いものはユダヤ教律法のことでしょう。

そのような「学者」が「新しいものによって古いもの」を判断し、両方を正しい関係で提示し、イエスの信徒を導かねばならない、信徒は耳を傾けなければならないとしているのだと思います。誠に合理的な見方です。

現在でも十分に通用する見方だと思うのですが、いかがでしょうか。

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