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2017年12月28日 (木)

ペトロ信仰を言い表す(2)(マタイ16章)

「ペトロ信仰を言い表す(1)」からの続きです。

マタイの福音書第16章17節から20節を読みます。

●17節.すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。

●18節.わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。

「あなたにこのことを」の「このこと」というのは、ペトロがイエスを何者であるかを悟り告白した内容、つまり、16節のペトロの告白「あなたはメシア、生ける神の子です」を指していると思います。

そのペトロの告白は、まさしく神の御霊、聖霊の働きの体験をもとにペトロ個人か(あるいはその集団であるエクレシアを代表して)が告白したということだと思います。17節と18節の主の祝福の言葉も同じだと思います。

ペトロがイエスに「あなたはメシア、生ける神の子です」と告白したのに対して、今度はイエスがシモン・ペトロに向かって、「あなたはペトロである」と言われました。

ギリシャ語では、イエスの言葉は「あなたはペトロ(ペトロス)である。わたしはこの岩(ペトラ)の上にわたしの教会(エクレーシア)を建てる」(18節)となるそうです。

さて、この岩(ペトラ)というのは何を指すかが問題になります。

ペトロと共に、聖霊に導かれてなされるイエスがキリストであると言う信仰告白、その信仰を成り立たせるイエス・キリストご自身ではないかと言う見方があります。

なぜなら、エクレーシア(信仰共同体=教会)が建てられる「岩」は、ペトロという移ろいやすくやがて死にゆく人間などではなく、ペトロにイエスが語りかけた言葉で、イエスがご自分を「キリスト、生ける神の子である」とする告白(宗教改革者はそのように理解したということです。)ではないかということです。

言い換えれば、その「岩」の上に立つのは「イエスはキリスト、生ける神の子である」と告白する者たちの群(エクレーシア)で形成される信仰共同体、つまり信徒の集団(教会も含む)と言うことになります。

18節の末尾の、「陰府(ハデス)の力もこれに対抗できない。」の「ハデス」とは死者のいる場所です。

「陰府(ハデス)の力」とは、イエスを信じなくて死んだ者は陰府(ハデス)に行くと言われていて、ひとたび陰府(ハデス)に入れば誰も出ることはできないという意味で力を「門」とも訳されています。

陰府の力(門)はエクレーシアに対抗できない、つまり、エクレーシアが陰府の力を攻撃するときは、陰府の力は門を守ることができないということになります。

ひとたび死者の国に入るならば、誰もこの門を破って出ることはできないのです。

しかし、キリストの復活の命に溢れるエクレーシアがその門を攻撃するとき、陰府の力はこれに対抗することができない、ということだと理解したいと思います。

つまり、キリストの復活の力はたとえ陰府に入った者でもそこから救いだせるということになりますので、わたしはそういうことで、キリストを知らなくて死んだ者もやがて救われる道はあると信じています。

●19節.わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」

この個所は「鍵」の比喩を用いてペトロの地位を語っています。

すなわち、イエスをキリストと告白したペトロに、「天の国の鍵」を授けたというのです。

人間ペトロがキリストのおられる天の国に入る鍵を授けられるのはおかしいので、ここの「天の国」は、エクレーシアを天の国にたとえていますから、信者の共同体であるエクレーシアを指していると思います。

なぜなら、エクレーシアは神の御霊、聖霊が支配する場ですからそこはすでに地上における天の国と言えるからです。

その「天の国」すなわちエクレーシア(信者の共同体)に入る門を開いたり閉じたりする鍵を、イエスはペトロに授けたということでしょう。

イエスはペトロに鍵を渡し、彼の家であるエクレーシアの管理人に任命したというのです。

その鍵を用いて、ペトロが門を開くとき、人はエクレーシアに入ることができ、門を閉じるときは入ることが拒否される。

さらに、「あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」とありますが、この「つなぐ」とか「解く」というのはどういうことでしょうか。

また、そういう権能をペトロ個人に与えたのでしょうか。この19節はそのように言っているように見受けられます。
同じような個所が他にもあります。

つまり、マタイの福音書第18章18節「はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」ですが、つなぐとか解く権能を、ここでは個人ではなくて「あなたがたが」ですからエクレーシア全体に与えていることになります。

わたしが思うに、この権能はおそらく罪(イエスの言葉から外れること)を犯した兄弟を受け入れるか追放するかを決める権能だと思うのです。

具体的には、イエスの言葉に従うためにはこうすべきであると、ペトロが地上で決めたことは、天上でも有効であるということだと思います。

少なくとも、マタイの福音書が書かれたころの教団は、復活のキリストから示されてペトロがこのような権能を与えられていると理解していたのでしょう。

わたしには神の言葉を解釈してつなぐ、あるいは解くという重要な権能を個人であるやがて死にゆくペトロに与えたとは思えないのです。
もし、そうであればペトロが死んだあと誰がその権能を引き継ぐか決められているはずです。

ただし、人間とか組織としての教会が権威を持って決めると、中世のキリスト教会のようにおかしくなります。

いろいろと考え方がありますが、結論的には、まず、「つなぎ、かつ解く」権能はもともと罪(イエスの教えから外れること)を犯した兄弟を受け入れるか拒否するかの権能であると理解し、18節の「岩」はイエスをキリストと告白する信仰、いわゆるキリストが聖霊により支配される場、いわゆるキリストご自身。その上に立っているエクレーシア(信仰共同体)に与えられた権能だと思います。

その意味でペトロは「天の国の鍵」を与えられているのであると思います。

それでも、人間が恣意的に決めるものではないと思います。

たとえ、人間が恣意的に決めたにしても、その人が本当に救いに与れるかどうかは、裁きの日にイエスが決められることです。

●20節.それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。

ここでイエスは、ご自分がメシアであることを誰にも話さないように命じられたのですが、このメシアの意味は、先に書きました、ユダヤ人のための救い主メシアではなく、これから語り出そうとしておられるご自分に関する秘密(神の子イエスの奥義)を誰にも話さないようにという意味に理解したいと思います。

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